6話 灯

1/1
前へ
/7ページ
次へ

6話 灯

 あなたは無意識にクローゼットにあった玻璃のセーラー服を身につけて外に出た。何故かスカーフが見つからなかったので、昨夜拾った生乾きのスカーフを巻くと、あてもなく外をうろついて玻璃の姿を探す。潮の匂いがやたらと肌にまとわりつく。それがスカーフからしている匂いなのだと、あとになって気づいた。 「✕✕さんちのお嬢ちゃん、どうしたんだい」  途中声を掛けてくれた作業中の年老いた漁師が、あなたを見て人の良い笑みを浮かべた。 「すみません、玻璃を探しているんです。見つからなくて。見ませんでしたか」 「おや、()を? それは見つけるのが大変だなぁ」 「見かけたら教えてください」 「ん、あぁ。わかったよ。……気をつけて行くんだよぉ」  漁師はあなたを見送り、自分の作業に戻った。もしかしたら誘拐かも知れないのに、所詮は他人事だ。まるで緊張感がない。一体玻璃はどこに行ってしまったのか。  ――ふと、あなたは一つの可能性を思いついた。  灯台だ。  昨夜二人で行った灯台に、玻璃はいるのではないだろうか? 根拠も何もなく何故そう思ったのか、あなたはわからなかったけれど、灯台にいるかも知れないという思いは増幅し、足早になった。  昨夜嵐の中で見たあなたに似た誰かは、玻璃だったのではないか? 玻璃があなたを灯台に誘い込もうとしているのでは? まさか! ……わけのわからない妄想が、あなたの頭を支配してゆく。  白い廃灯台は、青空に向かって聳え立っている。誰かが侵入するのを拒むように固く南京錠で閉ざされた入口。その中に人がいるとは思えない。  やはり昨夜のは単なる幻か、見間違いだったのだろうか。玻璃のわけがなかった。  ぐるりと柵に囲われた小さな家にも人影はない。あなたがここに引っ越してくる前から、誰も住んでいないのだ。 「三崎……」  あなたは古びた表札を指でなぞり、書かれている文字を口にする。  特段珍しい苗字でもない。あなたは大して気にすることもなく、灯台の周囲を歩いた。あなたの他に誰もいない。ただ波の音がざわざわと耳を刺激し、ぼんやり聞いているとそれはやがて人の声のようにも思えてきた。  ――人影を見つけた。 「こんなところにいたのね、玻璃」  玻璃が灯台の裏手に一人で佇んでいた。崖に面し、危険な場所だったから近づく者はあまりいないはずだった。何故こんなところに玻璃が?    玻璃は今あなたが着ているブルーグレーのセーラー服と同じものを身にまとっていた。それは空気を含んだ海の色にも似ていた。玻璃の姿は今にも海に溶けてゆきそうな、希薄な存在にも思えた。 「玻璃……?」 「ああ、瑠璃。帰ってきたのね」 「どうして、そのセーラー服……」 「瑠璃こそどうしてそれを着たの? そのセーラー服は、以前あなたが通っていた高校のものよ。あなたは転校したから、もう必要のないもの」 「――転校?」 「この制服は、この辺では一切見かけないでしょう。気づいているはず」  玻璃は微笑して、隣にやってきたあなたの手をそっと握った。 「瑠璃、わたしはそろそろ海へ還る」 「どういうこと?」 「わたしはここにいるべきじゃない」  玻璃は相変わらずの笑顔で、お茶にでも誘うかのような気軽さで言葉を繋いだ。 「瑠璃はどうする? 一緒に行く?」  玻璃が何を言っているのか、あなたにはわからなかった。戸惑い首をかしげ、同じセーラー服を着たあなたたちは、しばらく何も言えずに崖から見える海を眺めていた。吸い込まれそうになった。 「瑠璃、まだ思い出さないの?」  玻璃がぽつりと呟いた声は、まるで雨粒のようにあなたに降り注いだ。 「ママは本当のママじゃない。本当のパパの妹だよ」 「何を言ってるの」 「心を病んだあなたを、一時的に預かってくれてるだけ」  玻璃は何を言っているのだろう。あなたの困惑が伝わってくる。  ママが、ママじゃない? 「本当のママは、あなたの誕生日に死んだ。あなたの片割れと一緒に」 「――やめて」 「あなたは瑠璃じゃない。わたしは玻璃じゃない」 「玻璃……、黙って」  何を、  言っているのかわからない。わかりたくない。 「わたしは、あなた」 「玻璃が……わたし?」 「ううん。瑠璃でも玻璃でもない、あなた(わたし)三崎(みさき)(あかり)。この灯台に囚われて、海から離れることが出来ないでいる」  海の音が、  風の音が、  ざわざわとあなたを包み込む。  玻璃の姿が次第におぼろげになる。玻璃などという双子の姉妹は、最初から存在しなかったのだ。  そしてあなた。瑠璃という少女もまた存在しない。  ()()()はわたしの空想上の友達(イマジナリーフレンド)。ずっとわたしに人生を押し付けられているだけの、哀れな存在だ。  
/7ページ

最初のコメントを投稿しよう!

5人が本棚に入れています
本棚に追加