カレーライス

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 俺が自嘲気味に呟いて厨房に戻ろうかと踵を返すと、後ろでケンが「あ、客が来たっすよ」と声を上げた。どこか悲壮感漂う声色である。 「お客様と言え」  窓の外を見ると、雪を被った1台の軽自動車が駐車場に入ってきた。少し段差になった出入口を揺られながら乗り越えて、すでにかなり雪が積もり始めた駐車場に轍を描いてカーブしてきた。てっきり国道が通行止めになったのかと思っていたがそうではないらしい。  窓に顔を寄せて手をかざすと、思いのほか駐車場は雪深い。契約の除雪業者は今夜はもう来ないからあきらめて放置状態にある。遠く隅の方では朝から駐めっぱなしの俺のセダンが白いかまくらになりかけている。ため息をついた。今日も帰れんぞ。  扉を押して店内に入ってきたのは、意外にも家族連れであった。軽自動車の感じから、なんとなく近くの大学に通う世間知らずのカップルぐらいかと思っていた。入り口のレジ前で、きちんとコートを纏った小さな子供二人と真面目そうな両親の4人が立っている。意外な客人であった。  地味な色のジャンパーを来た父親が不機嫌そうに体に付いた雪を払っている。その後ろでは濡れた髪を垂らした母親が、小学生くらいの息子と娘の雪を払う。ほっぺたを真っ赤にした幼い娘は、両手を広げて母親に雪を払われながら、明るい店内を興奮したような眼差しで眺めていた。 「いらっしゃいませ」  入口で立ち尽くしてなかなか入ってこない父親に、ケンがいつもの愛想の良い笑顔で声をかける。お客を前にするとナイスガイに切り替わる。そのあたりはケンの良いところだ。「お好きなお席へどうぞ」  父親は眉間に寄せた皺をそのままに、少し戸惑いながら一歩踏み出す。そして入ってすぐの一番入口に近い4名テーブルに腰かけた。  温かいお茶を持って行ったケンが怪訝そうな顔で戻ってくる。 「席全部空いてるのに、なんであんな入口の席なんすかね」  と眉根を寄せて言った。お前はまだ世間知らずだな、と俺は言葉をぶつける。あ、すんません。いいか、あれは遠慮しているのだ。誰も客がいないから、居心地が悪いんだろう。席に浅く座ってそわそわする客人と一緒だ。そんなもんすか、とケンは家族の方を窺う。じゃあ俺が和ませてきますよ。余計な事すんなよ、と俺は釘を刺す。  遠くで家族は、テーブルの上にメニューを広げて覗き込んでいる。まるで宝の地図を見ているように子供たちはテーブルに手をついて身を乗り出している。父親が一番よく見えるような形で置かれているが、その父親は相変わらず難しい顔のまま、あまりメニューには興味なさそうに視線だけを落としていた。その脇で上気した顔をしている息子は10歳ぐらいだろうか。彼には少し大きめのコートの襟から坊主頭を俯かせている。こちらに背を向けている母親はか細い背中を丸めて、脇に座った娘を抱えるようにして遠慮がちにメニューを見ている。  なかなか注文が決まらないようだった。  俺はじっと父親の姿を見つめた。切ないように、気が急くように、父親はメニューをちらりと覗いては違う方を向いたりする。 「店長どうしたんすか。マジな顔して」 「なんでもない」  ケンにそう言いながら俺は見つめていた父親の顔から目を逸らす。  5年前に死んだ親父に似ていた。背格好も似ているが、しかしそれ以上に、家族団欒の中でひとり眉間に皺を寄せ、無骨な顔に不機嫌な色をたたえた姿が、俺がまだ幼かった頃のあの親父にそっくりだった。  親父は料理人だった。自分に厳しく、それと同じくらい家族や世間の料理人にも厳しかった。偏屈で頑固な性格で、昭和の気質漂う父親であった。家族の中ではお父さんが一番だから。母はいつも俺にそう言い聞かせていた。  小さい頃から年に数回だけ家族3人で外へ食事に出かけた。しかしせっかくの楽しい食事も、たいてい父親が不機嫌になってしまう。料理が美味しくない、態度がおかしい、基本がなっていない。その都度母親がなだめて怖がる俺をかばった。  胸が少し痛む。俺はあの頃の父親が恐ろしくて、そして大嫌いだった――。
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