1st Sign:憤怒のニルヴァーナ

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 俺は赤本で志望大を徹底的に対策した。友人が通う予備校のテキストを買い、教えを乞うて学校での勉学の不足分を補った。  そうして俺は、国立大の教育学部の入学試験を突破した。  無事大学に入った俺は、大学院を目指しながらバイトした。金銭面の交渉は割とあっさりで、特に母は満面の笑みで院への進学を快諾した。  バイトの理由は、欲しいものがあったから。教員として生徒の青春を支配する、それとは別に憧れたものがひとつあった。大学の講義が終わると適当に仮眠を取ってバイト先のファミレスへと直行する日々。手当がつくが人手の少ない深夜帯にシフトを組んでもらうために必死になって仕事を覚えた。  みみっちいだの貧乏くさいだの散々な言われようだったそれは学生にとってそれでも大きな買い物で、目標額を貯金するまえに俺は成人式を迎えた。 「狩野じゃねーか。元気してたか?」  式場へと向かっていると、突然声をかけられた。誰かと思えば、小学校では友人だったいじめの主犯格ではないか。 「久しぶり。昔は世話になったな」 「――悪かった。中学の同窓会、おまえも行くだろ?」  行くさ。俺はおまえたちにむしろ感謝すらしてるんだ。  会場の部屋の入口で、幹事を務める当時の学級委員が集金してた。俺は会費を幹事に渡し、元友人とともに席についた。  皆が揃うと乾杯の酌を交わし、成人した証の味を噛みしめる茶番に付き合った。 「改めて、昔は悪いことしたな。この場を借りてそれを詫びる」  頭を下げるとなりのそいつに俺は笑みを返してやった。 「いいよ。もう終わったことだ。ところで、いまは何してる?」 「笑えよ。フリーターだ。中学を出てすぐに鳶を始めたがいいが、辛過ぎて長くは続かなかった。おまえはどうせいい大学に行ってんだろ?」  そいつはタバコに火をつけた。吸う奴は金かけて体を壊すバカだ。 「一応、K大。教育学部で教師目指してる」 「国立かよ。さすがだな。今だから言うが、あの頃俺は将来こうなる予感がしてて、そうなる前にやり貯めしてた」  そいつは吸い殻を灰皿に押し付けて火をもみ消すと、一杯煽って言葉を続けた。 「おまえ、小学校から成績良かったしさ、中学入っても真面目に勉強してて。出来の悪い俺はもうお前と同じ人生を歩めないだろうなと思うと、いたたまれない気持ちになった」 「そんな顔するなよ。俺はおまえに感謝すらしているんだ」  そいつの表情が豹変した。俺は胸ぐらを掴まれた。周囲の席がざわついた。 「どういう意味だ? イヤミか? 下々の民の末路を見れて僕はもう幸せいっぱいですってか?」 「座ろう。食事の席だ」  そいつはバツの悪そうな顔で手を離し、お行儀よく席についた。 「実に愉しかっただろ? 『スカトロマン1号』を作ってて。おかげで俺は、人生の楽しみかたに気付くことができたんだ」  怪訝な顔のそいつに向かい、俺は話し続けていった。 「だが結局スカトロマンは1号だけで、その後続くことは無かった。俺は教師になって、『スカトロマン』を量産するんだ」  そいつの顔が引きつっていく。周囲は再びざわついた。 「俺は手に教鞭をとり、教師の立場で多感な時期を漆黒の闇で塗り潰す。この先ずっと、定年するまで」  俺はビールを手酌でグラスに注ぎ、そいつの杯にも注いでやった。 「飲みなよ、せっかくの席だ。そうだ、きみも地に足のついた人生を歩んで幸せな家庭を築いたら? きみの愛する子どもにも、俺は『感謝』されたいからさ」  周囲の空気が凍りつく。そいつの顔は、青ざめていた。パンパンと手を叩いた幹事が、席の移動を促した。広々としたテーブルで、俺はひとりで料理を口に運んだ。  ◇◆◇ 「親父、今度親父の店にクルマ見に行っていい? いろいろ準備が整ったからそろそろかなって」  金が貯まった。免許も取った。ついにこの日がやってきた。 「いいぞ。気に入ったモノがあるかどうかはわからないが、好きなの選べ」  その週末に、俺は親父の勤務する店に買うクルマの下見に行った。 「このクルマ、状態どんな感じ?」 「悪いところはひとつも無い。だが、現行の新古車だから値段もほとんど新車だぞ? これくらいの値段なら、他に状態のいいのなんていくらでもある」 「これがいいんだよ。これにする。正直これが欲しくて、今日はこれがまだ店にあるかこの目で確認しに来たんだ」  親父と営業の不思議がる顔に向かって、俺は素直に意志を示した。 「人生でいちばんカッコいいと思って憧れたクルマの最新モデルだ。これ以外の選択肢無いよ」 「狩野、良い息子を持ったじゃないか。おまえの業績でいいから終わったらおごれよ」  その日に無事成約し、しばらく経って登録整備点検が終わり納車されたクルマに乗って帰宅すると、それを見た母がヒスを起こした。 「なんてクルマ買ったのよ! 親子揃ってみっともないとは思わないの?」 「このクルマのまえのモデルは、学区随一の進学校、国立大の教育学部と俺を望むところにどこへでも連れて行ってくれたよ。それに、無駄が無くて洗練されててカッコいいでしょ」  Bグレードの軽商用車、その魅力を感じたままに俺は伝えた。 「あと、若いうちからこれに乗ってれば浪費癖があって見栄っ張りな女に引っかからなくていいかなって」 「勝手にしなさい! あんな男の子どもなんか産むんじゃなかったといま改めて後悔してるわよ!」  女を見る目は親父を絶対見習わないぞと自分自身に言い聞かせ、俺は外の駐車場までクルマを運んだ。  ◇◆◇ 「佐古です! 右も左も分からないので先輩方ご教授のほうをよろしくおねがいします!」  ある日、バイト先に新人が入ってきた。高校生風のしかも女の子がキッチンとは珍しい。店長もよく雇ったものだ。
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