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「佐古です! 右も左も分からないので先輩方ご教授のほうをよろしくおねがいします!」
ある日、バイト先に新人が入ってきた。高校生風のしかも女の子がキッチンとは珍しい。店長もよく雇ったものだ。
「狩野、しばらく仕事を教えてやれ。……、女の相手は、得意だろ?」
「わかりました」
店長の目に嫌味と怨恨が見えた。ホールの女連中へのクレームや叱責をたびたび仲裁していたら、いつの間にか店長より俺の言うことを聞くようになっていた。ただ面倒が嫌いだから動いていただけなのに、かえって面倒くさくなった。
「狩野さん、お疲れさまでした」
意外とよく働くな、が印象だった。実のところ、調理自体はあまり難しいものではない。業務用の冷食を、レンチンしたり揚げ直したりして皿に盛り付けていくだけの仕事。
難しさは、混雑する時間帯のタスクの量の多さと業務用の調理器具や割れ物の皿や熱した油を常に扱ういわゆる3Kである点だ。
ある者は時間に追われる作業のなかで目を回し、またある者は汚れや火傷が嫌になり、またある者はそこで出たミスで叱責されて音を上げてしまいバイトを辞める。
「お疲れさま。意外と続いてるね」
「え? やめて欲しかったですか?」
佐古はきょとんとした顔をしていた。
「そうじゃないけど、女の子がキッチンの仕事に入っても続いたことは無かったからさ」
「あたし……、学校に内緒でバイトしてるから、あまり人目につかないバイトが良かったんですよね。ウチの高校って、一応学区随一の進学校ですから」
それも意外だった。こう言ってはなんだが、あまり勉学に勤しんでは見えない見た目をしていた。
「きみ、この辺の人?」
「はい、高校もホントにすぐそこなんですよね。学校から離れた場所がいいかなとも思いましたけど、それだと時間が厳しくて」
ということは、俺の母校の後輩か。
「俺もそこの高校の出身なんだ。勉強との両立、大変じゃない?」
佐古は表情を引き締めた。
「ラクでは無いですけど、あたし、勉強だけで青春を終わらせるだなんて絶対に嫌ですから。親は、中間の成績で許可出させて期末の成績で納得させました」
確かに仕事っぷりも呑みこみが早く要領がよく根性もある。だからこそ決められた覚悟なのだろう。
「といいますか、狩野さんってウチの高校出身だったんですね」
「そうだよ。『勉強だけで青春を終わらせる』は、ちょっとイヤミに聞こえちゃったかな」
佐古は申し訳無さそうな顔になった。
「すみません……。でも、狩野さんって、確かいま大学生ですよね? 大学ではモテてますよね?」
「童貞だよ。教師目指してて、院に入る条件の教員免許の取得のための勉強で忙殺されてる」
佐古の両眼が輝いた。
「佐古先輩! たまには息抜きも大事ですよ! 近々海とか行きません?」
いよいよ愛車の出番が来たか。正直、買ったはいいが買った意味を正当化させるためにたまにひとりでドライブに行く程度にしか乗ってなかったんだよな。
「今週の日曜でいい? クルマ出すから、場所を指定してくれれば迎えに行くよ。こっちのシフトの時間には帰るけど」
「おっけーです先輩! 行きましょう!」
当日は、愕然としろ。失望しろ。そのために買ったクルマなんだ。
居た。指定した時間の5分まえに公園の駐車場へと行くと、周囲に目配せしながらスマホを見てるビッグシルエットのTシャツからビーサンを履いた生足を出した姿の女がひとり。どうやらこちらに気付いたようだが疑念を持ってこちらを見ている。
「おはよう。待たせちゃったかな?」
「おはよーございます! てかちょっと待ってくださいよ先輩、マジウケるんですけど」
クルマから出て近づくと、佐古は腹を抱えて笑っていた。想定の範囲内のリアクションだが、俺は佐古に聞いてみた。
「どうした? 何か面白いことでもあった?」
「すみません。失礼かもしれないですけど、待ち合わせの時間にクルマが入ってきたから先輩かなと思ったんですけどクルマ見て仕事中の営業マンがひと息つきに来たのかなと思ったらクルマから先輩が降りてきまして、ちょっと待ってください、あまりにもシュールで」
嬉しいな。虫除けとしての効果のほどを確認できた。
「どうする? お開きでもいいけど。乗るなら、助手席に乗ったほうがいい。後部座席はヘッドレストが無いから」
「いやいや海ですよね! 行きましょう先輩。はー、久々に笑いました」
佐古は助手席に乗りこむと、おそらく着替えが入ってるだろうスタッフバッグを膝に置いた。
「ところで、どうして海?」
「夏の風物詩じゃないですか。海の家のかき氷、カンカン照りの砂浜で遊ぶ家族とカップル、水着の形に日焼けした小麦色の肌」
露骨な単語が露骨に並ぶ。恥じらいってものはないのか。
「逆に先輩は、そういうこと考えたことって無いんですか?」
「無いよ。学生ってのは将来のための準備期間だ」
見栄が魂胆だったであろう母の言葉の受け売りなんだが、そこだけは説得力があった。
「だから遊ぶんじゃないですか。学ぶ時期に遊びも学んでおかないと、将来人生をどう楽しんだらいいかわからない無学で無教養な大人になっちゃわないか心配ですよ」
楽しみかたなら知ってるさ、他人の不幸は蜜の味だ。俺は多数の生徒の人生を担い、それを味わい尽くすんだ。そんなことを考えながらクルマを運転していると、目的地が見えてきた。
「無事着きましたね、先輩。これですよこれ! 鼻腔をくすぐるバーベキューの炭火の煙と混ざりあった潮の香りと砂浜に並ぶビーチパラソル! あ〜もうこれだけで海水浴場に来た気がしますよ〜!」
もしかしたら履くかもしれないと念のために持ってきた海パンとタオルの入った袋を手にし、俺はクルマから降り佐古に腕を引っ張られながら海へと向かった。
「じゃ、先輩さっそくビーチ行きましょうか」
「待った、とりあえず更衣室じゃないか?」
佐古はその場でおもむろにTシャツに手を突っ込むと、ショートパンツをその場で下ろした。
「帰りじゃないんですから着替えなんてその場でいいですよ!」
俺だけじゃない、周囲の人もぎょっとしていた。
「ほら、上もちゃんと水着です」
佐古がTシャツをめくり上げると、ビキニタイプの競泳水着が顔を出した。
「いや、俺が困るんだ。……、正直、今日海水浴場に来る可能性をほとんど考えていなかった」
正直に白状すると、佐古はその顔を顰めた。
「狩野さん! 気が変わりました! 海の家に行きましょう! 任意同行を願えますか?」
「わかりました」
あまりの佐古の剣幕に、俺は思わず敬語になった。
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