1st Sign:憤怒のニルヴァーナ

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「狩野さん! 気が変わりました! 海の家に行きましょう! 任意同行を願えますか?」 「わかりました」  あまりの佐古の剣幕に、俺は思わず敬語になった。 「すみません。アイスコーヒーをひとつと、カツ丼をひとつ」 「カツ丼?」  俺は疑問を投げかけた。 「取り調べといえばカツ丼でしょ? 費用はあたし持ちで構いませんよ」 「取り調べね……」  常日頃から勝気が強い印象を持たされはしていたが、想像の斜め上にめんどくさいな。 「早速ですがまずはじめに! 『海水浴場に来ることをほとんど考えていなかった』って、どういうことですか?」 「あのクルマ見ただろ? キャンパスライフを楽しむためのクルマに見えるか? 断られる前提だった」  俺は正直に答えた。 「では、なぜいちど誘いに乗ったんですか? あたし、ぬか喜んじゃったじゃないですか!」 「俺の親父の人生最大の失敗が、どう考えても母親と結婚したことだったんだ。サーキットの走行会で派手にドリフトキメて遊んでたら逆ナンされて出会ったんだと」  俺と怒髪天をつきかねない形相の佐古のまえに、カツ丼とアイスコーヒーが運ばれて来た。 「あ! すみません、カツ丼もうひとつ追加で」 「きみも食べるのか」 「まだお腹空いてないですけど、長丁場になりそうですから時間が経っても食べれるものを。続きですが、それってどういうことですか?」  俺は佐古に断りも入れず割り箸を割りカツ丼に箸を入れた。ファミレスよりも割高なのだがファミレスよりも粗末だった。 「俺の母親は見栄っ張りで浪費癖がひどくてね。そんな女に引っかかった親父の失敗を聞いて俺は学んだ。あまり見栄えが良すぎると、見栄っ張りな女の的になるんだと」 「つまり、先輩は断られたくて誘いに乗ったと。なら、バ先でもあんなカッコいい振る舞いしないでもらえますか? ホールの連中はみんな絶対に彼女が居るに決まってるから声をかけきれなかったって言ってましたよ?」  佐古は畳の上にあぐらをかいてアイスコーヒーをブラックのまま直に飲むと、氷をガリガリ噛み砕いていた。 「カッコつけてるつもりは無いがな。どこをそう見られているんだ?」 「手際がいいからお客さんに嫌な顔をされにくい、面倒なクレーマーは直接相手してくれる、ミスを店長に叱責されてもフォローを入れてくれるから頼もしいって。あたしも先輩が教えてくれてたから仕事覚えやすかったし」  どの手間をかけたらいちばんラクできるか考えた末の行動だ。それこそホールの女が入れ代わり立ち代わりで常に不慣れな新人だった頃は、クレームの数が倍を超えてた。 「勉学の片手間のアルバイトとはいえ、仕事は仕事だ。お金を稼ぐにあたって当たり前のことしかやってないよ」 「――ったく。どの口が見栄っ張りな女に引っかかりたくないだなんて言うんですか。そんなたかが移動手段にしか過ぎないクルマなんて、一緒に乗れればいいに決まってんじゃないですか」  佐古は届いたカツ丼を口に運んだ。食べているというよりは、カツと米粒を噛み砕いていた。 「そういえば、先輩のお父さんって仕事は何されてるんですか?」 「整備士だよ。一応大手ディーラーで長く働いてるのもあって、平均年収以上は稼いでもらえてる」  中学のころ、母がこっそり親父の給与明細を俺に見せた。罵詈雑言が並んだが、俺はこっそりスマホで平均年収を調べた。 「そうなんですね。サーキットでドリフトキメてたってことは、クルマはスポーツカーとかですか?」 「いや、俺のクルマのひとつまえのモデルの軽商用車。俺が生まれてからずっと軽を乗り換えてる」  佐古はようやく落ち着いたようで、飯の食いかたに品が出てきた。 「お母さんは?」 「ほぼ専業主婦。たまにパートで働いては人間関係にいざこざを起こしてすぐに辞めてる」  佐古はもうカツ丼を平らげていた。お腹減ってないんじゃなかったのか。 「……。よく、大学に行けましたね」 「俺が中学に入ってからは親父が家計を管理して、ボーナスとかは全部親父名義の定期預金に預けてた。それまで大型連休に家族旅行の模様をブログに上げるのが母親にとって恒例だったが、それが出来なくなって終始機嫌が悪かった」  佐古は納得をした顔をしていた。 「そりゃ、女に躊躇しちゃいますわね。ところで、なんで旧帝大のエリートコースを? いっそのことダメ人間になっちゃったほうが女に見向きもされなくてよくありませんでした?」 「エリート志向の考えだけは、母の考えと一致した。中学で、小学校では友人だった奴にいじめられててね。バカになったらバカと関わり続けなければならなくなるから必死になって勉強した」  佐古は空き容器を引き取りに来た店員を引き止めた。 「すみません、ラムネをひとつ。先輩は?」 「同じのを」  佐古はこちらに視線を戻した。 「話を戻しますね。いじめ……、ですか。中学って、プライドと欲求だけ大人でそれ以外は子供で、自分がまるでお姫さまであるかのように扱われないといじめだのなんのと騒いでた奴は居ましたね。先輩は、そんなタイプに見えませんけど」  たまにというか、ところどころ容赦無いコトを言うよな。 「具体的に話したくは無いような、結構露骨なモノだったよ。同窓会でも、本人が悪意を認めてた」 「やり返したりとかは、考えなかったんですか?」  俺はコンビニの倍以上の値を張った市販のラムネの封を開けた。カンカン照りの日差しのなかで畳の上で飲むラムネは、法外な値段相応に美味かった。 「報復は考えなかったけどね、だから教師を目指しているんだ。『他人の不幸は蜜の味』、そうあいつから教わったからな」 「ち、ちょっと、それってどういうことですか?」  いい顔だ。焦りと怯えが入り混じってる。 「学生なんて、たったの3年間だけだ。だが、教師になれば定年まで遊べるさ」 「それ、他の人にも言いました?」  佐古はラムネの飲み口を齧っていた。こいつには、ストレスを感じると何かを噛む癖があるようだ。 「ああ。同窓会で、当の本人の目のまえでな。周りの反応を見た感じ、もう同窓会には呼ばれないだろうな」 「先輩! 悔しくないんですか? 普通にしてる先輩は、とってもカッコいいんですよ!」  佐古はラムネの容器をテーブルへと叩きつけた。
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