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「悔しい、とは? 俺は人生をかけて打ち込むモノを見つけたんだ」
佐古は目を閉じひと呼吸いれた。
「ダッサ……。話聞いてて今日イチそれがダサいですよ……。いじめなんかの尾を引かなければ、先輩はもっと幸せに生きられるんです! 先輩は、いじめに関与しなかった人たちの印象まで、いじめに振り回された先輩自身が台無しにしたんですよ!」
佐古は顔を真っ赤に両眼には涙を浮かべて話し続けた。
「あたし、先輩が教育学部って聞いて、『この人が受け持った生徒は幸せだろうな』って思ったんです。だって、バイトでも先輩の指導があって今のあたしがありますから」
佐古は俺の眼前まで食ってかかってきた。
「いじめなんかに負けないでくださいよ、先輩! そんなモノ、気合で振り払いなさいよ!」
この女は、鬼気迫る表情でグサリと刺さる言葉を並べる。俺は初めて気圧されした。
「――わかった。今後を真剣に考え直すことにするよ。だから、今日はこれでお開きにしよう。陽が傾いてきたし、段々と見世物みたいになってきた」
佐古は周囲を見渡すと、今度は羞恥で頬を染めた。
「悪かったな。結局海水浴らしいことは何ひとつできなかった」
俺は助手席にしおらしく座る佐古に声をかけた。
「いいですよ。代わりに先輩のコトをいろいろ知ることができましたから」
「降りる場所は、乗ってもらった公園でいいかな?」
俺はナビを操作し履歴の場所を指定した。
「……、はい」
俺はこいつの羞恥心の基準がいまいちわからない。恥ずかしがったほうがいいとこなんてもっと他にあっただろとは、それはそれで機嫌を損ねかねなかったから言わなかった。
「着いたね、お疲れ」
「先輩、最後にちょっとこっち向いてもらえます?」
俺が佐古のほうを向くと、唐突に唇を奪われた。
「マーキング、ですよ。だって先輩、これでまたひとつカッコよくなっちゃうじゃないですか。これで他の女とデートに行ったらそれは浮気になっちゃいましたね」
脊髄にぞくりとした感覚が広がるなかで、俺はなんとかひと言返した。
「条件がある」
「なんですか?」
佐古ははにかんだ笑顔に疑問符を浮かべた。
「俺は、ぶら下がられるのは大嫌いだ。次からバイト先以外では、タメ語で頼む」
「おっけ。晶、またね」
いまだ唇に残る感触が激しく鼓動させる心臓をなだめ、俺はバイトの準備に急いだ。
◇◆◇
「晶、縁日の日って確かどっちもシフト休みだったよね?」
佐古からラインが入ってきた。
「夏祭りか。悪くないな」
「おっけ、行こ! 次こそちゃんとしたデートしたいし」
俺は誘いを快諾した。あんなコトになろうとは、全く思いもしなかったから。
「駅からは、電車で行こう。混雑するだろうから、クルマだとかえって時間がかかる」
「え〜? このクルマで思い出を作ることに意味があるんじゃないの?」
都市部の駐車場は、駐車代がバカにならない。それに、駐められるかどうかすら怪しいものだ。
「俺がこのクルマを嫌いになりたくないんだよ。俺は役に立った思い出だけが欲しい」
「ちぇっ。クルマの窓から花火撮った写真とか欲しかったのに」
俺は少し心が揺らいだが、ロックバーがもう上がっていたことを口実に浴衣姿の佐古をクルマから降ろした。
「夜店って、海の家に負けず劣らず美味しくないのにぼったくるよね」
「佐古も俺も、逆に普段がコスパのいい従食に慣れ過ぎているんじゃないか?」
俺と佐古は、フランクフルトをほおばりながら毒を並べた。お世辞にも、いい趣味だとは思えないが、否定のなかで相対的に普段の仕事を誇り合うと気分が上がった。
「それはそうと。あたしのことは『かつみ』って呼んでよ、少なくともふたりきりのときは。ね、晶」
「ずいぶんと気が早い話だな」
佐古はしびれを切らした顔をしていた。
「あのね、こっちは下心だけで夏祭りに誘ったのよ。親に旅行に行ってもらったりいろいろお金もかかってんの」
佐古は食べかけのフランクフルトを串の先まで歯で引き寄せると、舐め回しながらしゃぶりだした。
「女の初めてって、一生の思い出なんだからね。クルマ出してくれれば、ホテルなんかよりスモークガラスの張られた後部座席使えて安く済んでよかったのに」
佐古はフランクフルトを唇でしごき口についたケチャップを人差し指で拭い舐め取った。
「ネットで調べて練習だってしたんだから、本物をこうしてみたいな。ね? 晶? 祭なんかどうでもいいよね?」
佐古はフランクフルトを噛み千切りながら飲み込むと、俺のシャツの胸ぐらを掴み喉元に竹串の先を突きつけた。
「わかった。かつみの家に、行っていいかな?」
俺は背筋に悪寒を走らせ股間に期待を滾らせながら祭はまだまだこれからの公園から踵を返した。
「あ! 花火上がってんじゃん!」
駅に向かう道の途中で、かつみが花火に目を輝かせた。
「けど、もう帰るんだろ?」
俺はかつみに手を引かれながら言葉を返した。
「みんなが花火に見とれてるなかで人知れず濃密に愛し合うって、夏祭りっぽくない?」
かつみは電柱の陰に俺の身体を引き込んだ。
「ちょっとは恥じらいを覚えようか」
「晶だって、ここもうこんなじゃん。こっちのほうが恥ずかしいから、ポジション直してあげるね」
かつみは右手で俺の位置を整えながら、潤んだ瞳で唇のなかへ舌をねじ込んできた。俺はそれを受け入れた。
そうやってかつみの愛を受け止めていると、光とともにシャッター音が水を差した。
「あ、安西くん……。安西くんも、来てたんだね……」
「かつみ、知り合い?」
「はい、安西くんはクラスメートです、狩野さん」
かつみの目が泳いでいた。こんなに怯えるかつみの姿を初めて見た。
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