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「人生は長い。おまえたちは、現在笑うために未来をドブに捨てている。俺は未来笑うために現在を我慢し投資している」
話題の歌の歌詞を知らなかった罰ゲーム、そう称されて俺は大便器のなかへと顔をぶち込まれた。後頭部を上履きを履いた足で押さえつけられながら水を流されると、鼻や口が酸素を求めて汚水と汚物を吸いこんだ。
そんななか、俺の脳は顔面に笑顔を貼りつけ『友人たち』の機嫌を取るため言葉を並べる一方で、俺自身にそう言い聞かせていた。
中学に入るまでは、俺は周囲と交友していた。だが中学からは、母の態度が豹変した。
「晶、中学からは勉強が遊びではなくなるんだからね! いい成績取らないと、お父さんみたいに残念な人生を送ることになるんだから!」
親父は大手自動車ディーラー勤務の整備士。クロスバイクで通勤し、スポーツカーや高級車を整備する。親父は自分の仕事と技術を恥ずかしいとは思ってなかった。
だが、母親はそうではなかった。
「世の中にはね、他人の機嫌を取りながら餌をねだる人種と、財力で他人に尻尾を振らせる人種が居るの! お父さんはバカだから前者のみじめな人種になっちゃったのよ!」
アパートの1階の窓から高層マンションを見上げ、軽商用車で移動する、それが俺たち家族の生活。
スーパーの駐車場で何度かお客さんと顔を合わせた。どのお客さんも、満足気な表情で親父と会話を弾ませたのちに高級車に乗り込んでいた。
「この車だって、いい車なんだぞ。頑丈だしガソリンも部品も税金も安いし駐める場所に困らないんだ。なのに、不便な思いをしたことなんてないだろう?」
後に俺は、プロの車の選びかたを知ることとなる。プロの整備士は徹底してどちらかだ。趣味に凝った車を選ぶか、実用性で軽商用車を選ぶかで半端は居ない。
そして親父は後者だった。俺が生まれて家族が増えるとそれまで乗ってたスポーツカーを売り払い、軽商用車に乗りかえた。
「いちいち貧乏くさいのよ! そんなケチな考え普通は持たない!」
「いい歳して燃費が悪くロクに荷物を積めもしない車なんかに乗るよりも、助手席にブランド物で身を包んだ女房を乗せれる生活を俺は選んだんだ」
「体裁ってモノを考えなさいよ! みっともないったらありゃしない」
そう親父が母に罵倒されるサマを回想しているそのうちに、こいつらも気が済んだようだった。
「もうこいつも満足しただろ。だよな? スカトロマン1号」
「なんだよそれ」
初めて聞いた単語だが、およその意味に見当はついた。
「俺たち、こいつの趣味に合わせて遊んであげてたんだろ? そうだよな?」
「そうだった。テキトーなコト遺書に書いて首吊ってても、俺たちは知らぬ存ぜぬだよな」
「じゃーな! 警察とかに聞かれたら、『大人しくて真面目ないい子でした、こんなことになるなんて考えもしませんでした』って本当のことを証言してやるから安心しろよな!」
俺は好き放題に言葉を並べる『級友』たちが去るのを待って、便器のなかに胃のなかのモノを全て残さずぶちまけたのち、洗面所で念入りにうがいをしてから帰宅した。
「ただいま」
「お帰り、遅かったじゃない」
よかった、今日はそんな気分ではなかったらしい。以前リンチにされたときは、学校に帰宅が遅い旨のクレームを入れられてそちらのほうが面倒だった。
「晩ごはん、もう冷めちゃってるだろうけど、レンジなんか使ったら追い出すからね。ウチはただでさえお父さんの稼ぎが悪いんだからムダ金使わないの」
俺は冷めたご飯と固くなりだしていたシチューに匙を通した。おそらく衝動買いしたであろう香水の匂いが鼻につくなか、その空間から自分の部屋へ一刻も早く戻らんと5分もかけず平らげた。
「バカとなんか関わることなく生きるためには、バカでは行けない高校に行け」
俺は絶対に公立に受かるからと母にせがんで学習塾に通わせてもらって勉強し、学区随一の進学校に合格した。
俺は首を吊りなんかしない、嫌がらせなど意にも介さず乗り越える。それが俺なりの復讐だった。
俺に対しての嫌がらせは小学校では仲の良かったあいつなりの訣別だったと知ったのは、後の同窓会でのことだった。
◇◆◇
高校では、望む仲間が手に入った。大学進学のみを考え、学業のみに切磋琢磨するガリ勉仲間。交換し合った勉学のための情報は今もはっきり覚えているが、顔も名前も環境が変わると同時にすっぱり忘れる。そんなドライな関係が、俺にとっては心地よかった。
将来のことを考えると、生徒に余計な感情なんて持ちたくなかった。
「あいつらは、たった3年たったひとりを好き放題にしただけだった。俺は教師になってその権力で一生かけて好き放題に弄ぶ」
教師という権力者が生徒に対して何をできるか考えた。興奮が止まらなかった。
そうだ、内申を好き放題に書いてやろう。功績の隠蔽、態度の歪曲、人間性の捏造と、そして成績の改竄。
どう過ごしたかで人生を大きく決める3年間に積み上げられた空色の日々。それを漆黒の闇で塗り潰す。
俺はそんな思い描いた自分自身の未来の姿にときめいた。
「俺は未来を明るくするんだ。そのためであれば、現在必要な投資を惜しむな」
俺は赤本で志望大を徹底的に対策した。友人が通う予備校のテキストを買い、教えを乞うて学校での勉学の不足分を補った。
そうして俺は、国立大の教育学部の入学試験を突破した。
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