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初音はキャミソールを被りながら首を傾げた。
伝わらなくていい。どうせすぐわかる。
俺はヘッドボードに置かれた時計を見た。
「もうすぐ日越えるな」
「あ、ほんとだ。けどそれがどうしたの」
彼女の言葉に嘘はなさそうだった。きっと忘れてしまってるんだろう。
けど仕方のないことだ。服を着るまではいかなくとも、何度もやってきたことだから。
それは寂しくもあるけれど、とても幸せなことでもあると思う。
「明日になったら話がしたいんだ」
「え、何の話?」
本気でわからないという顔をする彼女に俺は苦笑する。
本当は明日の朝起きてから話そうと思っていたことだった。彼女はすっかり忘れてるんだろうけど。
互いを想い合ってるカップルが、交際八年目の記念日にする話なんか大体決まってる。
「今と、これからの話だよ」
俺がそう言うと、少しの間が生まれた。
もしかしたら来てくれないかもしれないとも思ったが、ゆっくりと彼女は布団から出て、自分の服を着てくれる。しゅる、と衣擦れの音が大きく聞こえた。
俺も自分の着替えを進める。靴下を履き、ジャケットを羽織った。いつもより少しだけ重みのあるショルダーバッグを肩にかける。
曲がったシャツの襟を直していると、初音がじっとこちらを見ていることに気付いた。
「どうした?」
「ううん」
尋ねると、初音は小さく首を振った。
「やっぱり正人はデニムが似合うなって」
やわらかく微笑む彼女。「なんだよそれ」と返しながら俺も笑う。
この笑顔を見るのもいつか服を着るみたいに当たり前になって、それを幸せだとすら思わなくなるのかもしれない。
鍵を掛け忘れるかもしれないし、電気も消し忘れるかもしれない。髪型の変化にだって気付けなくなる日が来るかもしれない。
このままぼんやり生きていく中で、俺たちはいろんな大事なことを見落としてしまうのかもしれない。
──でも、そこにいるのは君がいい。
これから毎日毎日普通に一緒にいすぎて。
ふと改めて考えたらちゃんとそこにいるのか不安になったりして。
でもそんなとき「ちゃんとここにいるよ」って笑ってくれるのは、やっぱり君がいいんだ。
「行こう」
「うん」
俺は部屋の扉を開けた。初音はマフラーを首に巻く。
乱れたシーツの向こう側で、時計の針はすでに零時を回っていた。
(了)
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