服を着ろ

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服を着ろ

「ふと自分が服を着てるか不安になることあるよね」 「着てないからな」 「いや今の話じゃなくて」  真っ白なカバーのかけられた布団を肩まで引き寄せながら初音(はつね)は「普段の話だよ」と訂正した。引っ張られた布団の分だけ俺の足がはみ出て寒い。 「そんなことあるかな?」 「たまによ、たまに。じゃあ乗った電車のドアが閉まった瞬間に、玄関に鍵かけたか不安になったりは?」 「あーそれはある。電気消し忘れたかも、とか」 「それそれ、そういうこと。正人(まさと)にもあるじゃん」 「たまにな。たまに」  我が意を得たり、とばかりに初音は満足げに頷いた。揺れた髪の毛の先端が俺の左腕に触れて少しくすぐったい。 「高校生のときとか結構あったなあ。うちの学校制服だったからさ。毎日毎日普通に同じ服着すぎて、ふと改めて考えたらちゃんと着てるのか不安になったりするのよ」 「もう着ないだろ」 「だから今の話じゃないんだって」 「そうだった」  制服懐かしいな、と彼女の話とは別のことを思い出していた。  七年前、初音と付き合い始めたのは高校卒業間際だ。  お互い高校生だったあの頃は制服を着ているのが当たり前で私服姿を見ただけで緊張していたけれど、今ではすっかり見慣れてしまった。 「つまりそういうことだよ」 「どういうことだ」  急に飛躍した初音の話を掴み損ねた俺は、顔だけで隣に寝転ぶ彼女を向く。すると彼女もこちらを見ていたらしく不意に目が合った。 「当たり前にぼんやり生きてると、大事なこと見落としてるかもしれないってこと」  初音はじっとこちらを見つめている。俺が何かを見落としてるって言いたいんだろうか。  俺は彼女をじっくりと見てみた。特にいつもと変わった様子はない。  初音とはこの部屋で同棲を始めてもう二年になる。毎日顔を合わせてきたので、何か変化があればすぐ気付けるはずだが。 「あ」  そう言うのとほとんど同時に、俺は初音の頭に手をやっていた。  気付いていた。気付いていたはずなのに、何も言わなかった。  なぜならそれは二人の間で何度も繰り返された当たり前の出来事で、わざわざ口に出すような話題ではなかったからだ。
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