プロローグ

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プロローグ

「ジン。あなたと出会えて良かったわ。私の短い余生に色をくれてありがとう」 そう言ってふわりと笑ったその人は、静かに瞳を閉じ、微笑みを残したまま生を終えた。 俺は握ったままの彼女の手から徐々に暖かさが消えていくのを感じながらも、時間が許す限り彼女の側で、穏やかな彼女の死に顔を目に焼き付けた……。 「…………朝か」 過去の優しい思い出を夢で見ることができたというのに、『7時に起きる』という習慣が根付いた体は、俺の意思に逆らい意識を覚醒させていく。 二度寝はできない体質なので、無駄な足掻きはせず起床。 ぼんやりした頭で『まるで昨日のことのように鮮明だったな……』なんて考えてみるが、よく考えれば本当に昨日あったことだった。 恩人兼育ての親である彼女の死は、20年間生きている俺にとって、人生で一番と言えるほど大きなショックだった。 そのためか、何故か遠い記憶のような気がしてならない。 意識をしっかりさせようと、ベッドから降り、洗面所で顔を洗った俺は、ふと目が合った鏡の中の自分と見つめ合う。 日本で生きていた時と同じ黒髪黒目に、常人より体格の良い筋肉質な体。 異世界で俺を拾って育ててくれた彼女は『精悍なイケメンに育ってくれたわ』なんて喜んでいたが、世間的に見てどうなのかはわからない。 少なくとも俺は、感情のない無表情と見つめ合っていても何も面白くないので、風魔法で濡れた顔を乾かし、すぐに朝食をとりに行った。 それから俺が行ったことは、育ての親と15年あまりを共に過ごしたこの家を、隅から隅まで掃除すること。 部屋の一つ一つ、物の一個一個に思い出があり、それを懐かしく感じながら、半日かけて綺麗にする。 そうして、満足行くまで家に感謝を伝えた俺は、遠出用のリュックを背負い、ある部屋の前に立った。 その部屋は、息を引き取った彼女が眠っている場所。 もう一度顔を見たいと思う欲望と、一度顔を見たらしばらく離れられないだろうという冷静な理性が、俺の中でせめぎ合う。 それでも、元々感情が希薄なためか、理性の方が勝った俺は、そっと扉に触れた。 「……ありがとう。あなたの思い出の一色になれたこと、とても光栄に思う」 伝えたいことはたくさんあった。 それでも、短く挨拶を残した俺は、名残惜しさに抗って、静かに家を出た。 そこからきっちり10歩分離れた俺は、じっとその家を見つめ、記憶の中に刻む。 そしてゆっくりと右手をかざすと、風の精霊の力を借りて家を囲む風の壁を作った。 「ありがとうな」 友に語りかけるように家にも感謝を伝えた俺は、炎の精霊を呼び出し着火する。 木でできたその家は、瞬く間に火だるまとなり、俺の体にひりつく熱さを伝えながら、徐々に炭に変わっていった。 そんな光景を、俺は最後の最後、その火が燃やすものを失い消えるまで、その場で見守り続けた。
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