双子の過去

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双子の過去

イザベラとのあの一件以来、自らの振る舞いを見直したジンは、今まで通り騎士団の団員たちと気軽に接しながらも、敬語で話すことを止めた。 性別で上下関係ができてしまうのにはもちろん納得がいっていないジンだが、その価値観を覆せる日が来るまでは、この世界での男という立場を少しは受け入れようと思ったが故の変化だ。 また、今までは平等ということに強いこだわりを持っていたため断っていた女性からの奉仕も、己の良心が許す範囲で受け入れることにしたようで。 「ジン様、朝食の方お持ちしました」 「ありがとう。おっ、目玉焼きが2個ある」 「えへへ、ジン様の分だとフォルマさんにお伝えしたら、おまけしてくれました!」 ジンの前にトレーで持ってきた朝食を置いたモネが、向かいの席に座りながら嬉しそうに話す。 さらに、少し離れたところでは、ギリギリまで水の入ったコップを持ったイーナが、何とかこぼさないようにと慎重にジンの元へ向かっており、それを両脇からニーナとサーナが真剣な表情で見守っている。 そして最後の最後まで気を抜かず、一滴も零すことなくジンに水を届けたイーナは、満面の笑みを浮かべた。 「ジン様!お水、お持ちしましたです!」 「あはは、いっぱい入れてくれたんだね。ありがとう」 「……汲んだのはサーナ……です」 「あ、そうなの?サーナもありがとう」 「うぅ……。ニーナもお役に立ちたかったです。でもジャンケンに負けたのです……」 「ありがとう。その気持ちだけでも嬉しいよ」 ニーナを助けたあの出来事からジンに懐いた三つ子たちは、手が空けばジンの姿を探し手伝えることはないかと尋ねるようになった。 その一環で、毎朝ジンの朝食時に水を汲むのを、自分たちの使命としたようだ。 そんな3人に感謝の言葉を伝えるジンは、順番に彼女たちの頭を撫でていく。 撫でられた三つ子たちは、まるで最上級のご褒美だと言わんばかりに、目を細めて嬉しそうな顔。 それを傍から見ていたモネは、羨ましさを感じる一方で、『3匹の忠犬とその主みたいだな……』なんてことを考えていた。 そうして、三つ子たちがジンの隣に座る人ジャンケンをするのを見守り、サーナが敗北するのを見届けてから、ジンは朝食にありついた。 自らも料理をするためか、栄養バランスが完璧に考えられている朝食の一品一品をしっかり味わって食べるジンは、どんな調理をしているのか分析しながら食べ進めていく。 するとしばらくして、疲れた様子のレモナがトレーを持ってジンの元へ挨拶に来た。 「ジン様。……おはようございます」 「おはよう。……眠そうだね。大丈夫?」 「……大丈夫です。ありがとうございます」 「モネの隣空いてるよ」 「あ、では失礼致します」 ジンに一礼してから、モネの隣に座ったレモナは、手を合わせてから朝食をとろうと箸を持つのだが、一向にその手が動かない。 代わりに、彼女の瞼が自然に閉じて行き、コクリ…コクリ…と船を漕ぎ始める。 それに気づいたモネが慌ててレモナの体を揺さぶり声をかけた。 「ちょ、レモナ。起きて!」 「…………ふぇ?あ、嘘。……ね、寝てた?」 「……うん。本当に大丈夫?」 「…………私は4時間寝れたからいい方なの。隊長なんかは本当に休めてなくて……」 本当に眠そうに目を擦るレモナの目の下には、くっきりと隈ができている。 その理由は、ここ最近魔の森に異変が出ていることに関係していて……。 「騎士団から人員を割いて警備しているのに、街の人の被害って減らないの?」 「……うん。襲われた人たちが言うには、何もない空間から突然攻撃されたって言ってて……。多分ジン様が戦った透明化のスキルを持つ魔物が関係しているんだろうって噂だけど」 「でも、ただの魔物が他の魔物にも透明化を与えられるなんておかしくない?」 「そうなんだよね……。だからイザベラ隊長は、もしかしたら魔獣化してるんじゃないかっておっしゃってた」 「え"っ……。魔獣が街の近くにいるってまずいじゃん……」 「そうなんだよねぇ……。団長がもうすぐ帰ってくるから、そのタイミングで調査兼討伐隊が組まれるかもって」 そう言って、ようやくレモナはスープを一口、口に運ぶ。 二人が話していたように、ニーナが襲われたあの一件以来、本来魔の森の入口付近にはいるはずのない、高ランクの魔物が出現するようになってしまっていた。 その魔物らは、駆け出しの冒険者やよその街からやってきた商人を襲い始め、最近では街の中にいる人まで被害を受けるようになったのだ。 幸いまだ死者は出ていないが、いつ出てもおかしくないくらい重症者の数が多く、騎士団の医療班である第4番隊は、総出で住民たちの救護活動をする毎日。 しかし、朝も昼も夜も厭わず被害が出続けるので、4番隊の隊員たちはまともに睡眠もとれず疲弊しきっている状態だ。 その現状を知っているジンも、どうにか手伝えないかと頭を悩ませるが、聖魔法の適正率が低いため、重傷者の治療など行えないと思い至り、悶々とした思いを抱えるだけ。 現時点では魔物に対抗できる策も無く、ただ守りに徹するしかない。 そんな現実を思い出し、食事をしていた面々の顔が曇る。 すると、少し暗い雰囲気になってしまった場で唯一、まったくその空気を感じていないニーナが、普段通りの口調でジンに問いかけた。 「ジン様は本日どうされるのですか?魔の森へ行くのはギルドが禁止令を出しましたし、クエストも受けられないかと思いますです」 「うーん……そうなんだよな。特にやることないし、部屋で筋トレでもやってようかな」 ギルドに出ているクエストのほぼ全部が、魔の森での討伐や護衛依頼なので、森へ入れなくなってしまえば、受けられるクエストはない。 だったら街の警備を手伝おうと一度声をかけたのだが、透明化を見破る策もないのに、男性を危険な目に合わせられないと断られたばかりだ。 何の役にもたてないことをジンが歯痒く思っていると、レモナが何かを思い出したように声を上げた。 「あ、そう言えば。ライザさんがジン様に用があって、近々騎士団に来るみたいなことを言っていました」 「……?ライザさんが?……なんだろう」 「詳しくは個人情報の観点から話せないようでしたが、何やら『自分の不手際で』とおっしゃっていましたが……」 「不手際……?」 ジンがライザと会ったことは数えるほどしかないし、あのしっかり者のライザがミスをしたことなんてあるだろうかと、記憶を辿るジン。 すると、思い当たる記憶がひとつあった。 「あ。レイリアさんの依頼の報酬受け取ってないや。それのことかな……」 本来なら依頼の受注と同時に受け取れるはずだったレイリアからの追加報酬が、ライザの手違いでまだ未受け取りだったのを思い出す。 今のジンの貯金は潤沢と言えるほどあるので、特に急ぎで欲しいというわけではないのだが、『この忙しい時にわざわざ届けてもらうのもな』と考えたジンは、自ら取りに行こうとこの後の予定を決めた。 そうして、朝食を食べた後、モネ達と一度別れたジンは、数日ぶりにギルドを訪れていた。 受付カウンターに行き、『報酬の受け取りをしたいんだ』と受付嬢に告げると、何やら慌てた受付嬢はペラペラと書類を確認し出す。 何事かと首を傾げるジンに『お手数おかけしますが……』と前置きした受付嬢は、そのまま彼を個室へ案内した。 ジンとしては、受付で報酬を受け取って終了だと思っていたのだが、どうもそうは行かないらしい。 (金額がまあまあ大きいからかな?) 用意された紅茶を啜りながら個室で大人しく待っていたジン。 すると、3分もしない内に部屋にノックの音が響いた。 ジンが返事をすると、そこから入ってきたのは副ギルド長であるライザ。 彼女は相当慌ててジンの元へ来たようで、息が乱れている。 「ジン様。お久しぶりでございます。この度はお手間を取らせてしまい大変申し訳ございません」 部屋に入るや否や謝罪の言葉とともに頭を下げだすライザに面食らったジンは、慌ててティーカップを置いて立ち上がる。 「いや、あの……全然暇を持て余していたので。それにこの間は助けて頂いたようなものですし」 思わず敬語で返してしまったジンの言葉で、先日のイザベラの不敬も思い出したライザは、更に深く頭を下げた。 「この間の件に関しましても、姉が不敬な行いをしましたこと深くお詫びさせていただきます」 「いや、本当に大丈夫…なん…で…………ん?姉?」 ライザの言葉にぽかーんと固まるジン。 そんな彼の反応を見てライザは、まだイザベラとの関係を話していなかったことを思い出した。 「ご説明が遅れまして申し訳ございません。私、黒銀の騎士団第4番隊隊長のイザベラとは血縁関係にございます。一応私の方が妹ですが、双子でして年齢は同じです」 「…………イザベラさんと……ライザさんが……双子…」 「は、はい……。二卵性ですので見た目は全く違いますが……」 「……ほぇ…。あ、でも確かに髪の色が同じだ。綺麗な紫色が」 「き、きれっ……あ、ありがとうございます」 異性から褒められた経験など皆無なライザが、可愛らしく頬を染める。 が、続くジンの言葉でその顔が真っ青に変わった。 「イザベラさんにはすごくお世話になってて。この前なんてお説教されちゃったんだ」 副音声で『てへっ』という言葉が聞こえそうなくらい軽く放ったジンの言葉に、ライザが硬直する。 「……お…説教……です…か?」 「うん。無闇に女性に優しくしてもそれが全て女性のためになるわけではない……って」 「なっ……。そ、そのようなことをっ……」 本日3回目の謝罪をしようとしたライザをジンが慌てて止める。 そのまま、まだ立ったままだったライザをソファへ座らせ、笑みを見せながらジンが言った。 「本当に感謝しているんだ、イザベラさんには。俺は女性をただ助けたかったんだけど、その行動が女性たちを危険にさらしているって分かって無くて。それは俺の本望じゃなかったから……。自分の身を危険にさらしてまで教えてくれたイザベラさんは俺の恩人だよ」 穏やかにそう語るジンを見て、本当に彼が怒っていないということが分かったのか、ライザは胸を撫で下ろすとともに、ジンの寛大さとこの世界の男っぽくない考え方に驚く。 が、『そう言えばこの方は、初対面の時から異次元だったな……』と思い返し、イザベラも相手がジンだったからそんな事を言ったのだろうと納得した。 「寛容なお心に心から感謝申し上げます」 「いやいや、そんな。でも、そっか……姉妹だったんだ。いいね、そう言うの。なんか憧れる」 「ジン様はご兄弟はいらっしゃらないのですか?」 「うん。兄弟どころか血の繋がっている人は1人も……」 「ぇ……あ、も、申し訳ありません」 寂しそうに笑うジンを見て、思いっきり地雷を踏んでしまったことに気づいたライザ。 しかしジンも、ライザに悪気があったとは思っていないので、笑顔で流して逆に質問をする。 「イザベラさんとは連絡取ってるの?お互い忙しいでしょ」 「あ………えっと……」 「………?」 どう答えればいいかと迷うライザだが、ジンに嘘をつくわけにもいかない。 そう思って、出来るだけ場の雰囲気が悪くならないようにと笑みを浮かべたライザの顔には、隠しきれない寂しさが滲んでいて。 「……実は、姉とは仲が良くなくて…。連絡も全く取っていないんです……」 「……え。そ、そうなの?」 「はい、この前ジン様がいらっしゃる場で会ったのが久しぶりでして。………私たちの不仲は、私が姉を裏切ってしまったのが原因なんですが……」 「………」 姉妹仲が悪いというライザの言葉を聞き、何故か意外だと感じてしまったジン。 ライザとイザベラが姉妹であるということは今知ったのに、何故か二人の仲が悪いという言葉に違和感を感じてしまう。 その理由を考えている沈黙を勘違いしたライザは、慌てて場を執り成そうとした。 「す、すいません……!興味ないですよね。忘れて下さい……」 無理に笑みを浮かべて話を流そうとするライザ。 しかしジンは、彼女の目を真剣な表情で真っ直ぐ見つめた。 「……もしよければ聞かせてくれないかな。二人の仲が悪くなった理由……」 「……っ。で、ですが、その……嫌な気分にさせてしまうかもしれなくて……」 「それでも、俺は知りたい。……もちろん、無理にとは言わないけど」 そうライザに訴えかけるジンは、好奇心とか軽い興味とかそんなものではなく、まるで大切な人と向き合おうとしているように真剣な表情をしていて。 まだ数回会っただけの自分にそんな感情を抱くわけもないと思ったライザは、 (……本当にお姉ちゃんのこと恩人だと思ってるんだ、ジン様は……) と、改めてジンが他の男とは一線を画す存在なのだと思った。 今までどれだけ信頼できる人にも話さなかった、この悶々とした自責の念は、一生己の心の内に秘めておくつもりだった。 自分一人で耐え続けることが、裏切ってしまった姉への、唯一の償いだと思ったからだ。 それでもライザは、今自分のその覚悟が揺らいでいることに気づいた。 それは、目の前にいるこの人が、常識という枠を超えているジンという男が、何かを変えてくれるかもとそう期待してしまうから。 大した理由もないそんな漠然とした感情に縋りたいと思ってしまったライザは、『少し長くなってしまうかもしれませんが……』と前置きをしてから、ゆっくりと口を開いた。 「……私と姉は、治癒師をしていた母から生まれました……」 心の奥底に仕舞っていた思い出を久しぶりに思い返すライザは、心苦しくも懐かしい、そんな不思議な感覚とともに、昔を語り出した。 ライザとイザベラの母親であるクロエは、ここロベルタの地で、治癒師として働いていた。 ヒールを使える程度の治癒師はそれなりにいたが、経験・知識・技術どれをとっても優れた治癒師が辺境にいるのは珍しかった。 治癒師だけでなく、腕のあるものは皆、給金の多い王都で働きたがったからだ。 しかし、金という対価のためではなく、ただ一人でも多くの人を救いたいという思いで治癒師の活動をしていたクロエは、自らが生まれ育った故郷を拠点に、誇り高く自分の仕事をし続けた。 そんな母親をライザとイザベラは心から尊敬していた。 そして自然と、母のような治癒師になりたいと願うようになる。 自分の娘二人からその思いを聞かされた時の嬉しそうな母の顔を、ライザは今でも鮮明に覚えていた。 優秀な治癒師である母から、余すところ無くその技術を受け継いだ二人は、数年後にはそれぞれ一人前と言えるほどの技量を持つ治癒師となっていて。 何もかもが順調で、幸せに溢れていた時間。 そんな至福の時間は、突然幕を閉じた……。 その日は、辺境の地ロベルタに腕のいい治癒師がいるという噂を聞きつけた王国騎士団たちから、治癒師として応援要請をされていたクロエが、5日ぶりに家に帰ってくる日だった。 クロエがいない間、ロベルタの街でたくさんの人を治療したのだと、その喜びをいち早く母に伝え、褒めてもらいたかった二人は、仲良く手を繋いで足早に帰路についた。 が、自分たちの家が見える距離まで来ると、家の前に人だかりができているのに気づく。 不思議そうに顔を見合わせたライザとイザベラは、顔馴染みの人々に『何してるんですか?』と気軽に声をかけた。 すると、二人の姿を見た街の人々は一様に焦った顔をし、まるで二人の前から何かを隠すように二人の前に立ちはだかる。 そんな人の中には、何故か悔しそうに涙を流している人もいて。 何か良くないことが起きていると直感した二人は、自分たちを阻もうとする人々を無理やり押しのけて、何とか人だかりの真ん中に出る。 そして目に入ってきたものを、二人は最初、理解できなかった。 が、それが、"家の前に置かれた母親の生首"だと脳が認識した瞬間、一気に二人の全身から血の気が引いた。 何故か今、地面から生えている、毎日見ていたはずの暖かい母親の顔は、まるで別人のようで。 虚空を見つめる見開かれた目は、今も尚、絶望の中にいるような、怯えた顔をしていた。 大好きだった母親の変わり果てた姿を見て、イザベラは涙も流せず呆然と立ち尽くし、ライザは胃から込み上げるものを我慢できず地面を汚した。 そしてその日が、二人にとって地獄の日々の始まりだった。 母親を亡くした二人は、騒ぎを聞きつけたロベルタのギルドに引き取られた。 長年、街の人のために尽力し続けてくれたクロエの悲惨な死に、ギルド長であるレベッカは憤慨し、王国騎士団へ何故彼女が殺されなければいけなかったのか理由を問い質した。 が、返ってきた答えは、『王都にて死罪に値する行為をした』という曖昧なものだけ。 もちろんあの品行方正なクロエが死罪になるような罪を犯したなど納得出来ず、詳細な情報を求めて何度も書を送ったが、まともな返答は返って来ない。 そんな日々が続く中、ギルドに保護されたイザベラとライザは、大事な人を失ったショックで、魂の抜けたような状態になってしまっていた。 何の意欲も湧かず、ただ周りの者にされるがまま、ほんの少しの食事をとり、たまに風呂に入り、あとはベッドで横になっているだけ。 死にたいと思う気力もなく、生き物としての本能で、生き長らえるだけの毎日。 どれくらいそんな日々が続いただろう。 塞ぎ込み、ただ時間を浪費していく中で、先に心を取り戻したのは、姉のイザベラの方だった。 双子とは言え、妹であるライザをこれからは自分が守るんだと、そう言う思いもあったのかもしれない。 母の死のショックを引きずってしまっているライザに優しく声をかけながら、何とか姉としての役目を果たそうとしたイザベラ。 そんな彼女の暖かさに触れたためか、ライザも少しずつだが感情を取り戻していった。 母を失った傷は一生癒えはしない。 だが、自分にはまだ家族がいる。 そう思った二人は抱きしめ合い、母を失ってから数ヶ月経って初めて、母の死を涙で悼んだ。 そして、同時に誓った。 母から受け継いだ治癒師としての誇りを、今度は自分たちが繋ごうと。 涙ながらに誓ったその新しい希望は、空虚な二人の心に生きる目的を与えてくれた。 ようやくまた前を向ける。 二人手を取って、一緒に歩き出せる。 そんな期待が、その時の二人の胸には確かにあった。 が、現実は残酷なもので、二人は僅かな希望すら抱くことを許されなかった。 志も新たに再び治癒師として、街の人々の力になろうとした二人。 絶望の淵から這い上がり、姿を見せてくれた二人をロベルタの住民たちは、涙を拭って出迎えた。 が、母に教えてもらった巡回診療という仕事を再び始めようとしたその現場で、それは起きた。 『無理しないで、ゆっくりでいいからね』と優しく声をかけてくれる顔馴染みのお婆ちゃんは、転んだ拍子に足を捻ってしまったという。 聖魔法の適正がある患者だったので、魔法で治療しようとしたライザが、患部に手をかざしヒールをかけようとした時。 彼女の脳裏に母の生首が浮かんだ。 恐怖の感情を浮かべたまま固まった顔。 地面に広がった黒く変色した血液。 優しく、誇り高く生きていた母の変わり果てた姿。 それらが呪いのようにライザの中に流れ込んできて。 恐怖の感情に飲まれてしまったライザは、患者などそっちのけで、全身をガタガタと振るわせて頭を抱えた。 ライザの異変に気づいたイザベラがすぐに駆け寄り声をかけるが、見開いた目で虚空を見つめ、呼吸すらままならない様子のライザは、そのまま気を失った……。 「……それ以来私は、治癒師としての道を諦め、ギルドで働き始めました。姉も、治癒師として使い物にならない私を見限ったのでしょう。すぐに何も言わず私の前から姿を消し、3年ほど近隣の街で修行していたようです。そして、5年ほど前にロベルタに戻ってきてからは今のように騎士団に所属し、治癒師として活動しています」 「………」 「……私は、一緒に母の意志を受け継ぐという姉との大切な約束を破ってしまったのです。……もう、昔のようには戻れないんだと思います」 静かに自らの過去を語り終えたライザ。 想像以上に壮絶な話を聞いたジンは、呆然とライザの顔を見返すことしかできなかった。 しかし、あることに気づき、慌てて我に返ったジンは席を立つ。 そのまま、突然立ち上がった自分を不思議そうに見るライザの横に座ると、彼女の手に自らの手を重ねた。 「……辛いこと思い出させてごめん」 そんなジンの言動で初めて、自分の手が震えていることに気づいたライザ。 しかし、そんな自分の手を大きな手が支えてくれる。 その安心感からか、それ以上負の感情に飲まれること無く、ライザは副ギルド長の顔に戻った。 そんな彼女に、ジンは真っ直ぐな視線で言葉を重ねる。 「教えてくれてありがとう。……二人のこと、少しでも知れてよかった」 赤の他人のはずなのに、これからも大して話すこともない人のはずなのに。 目の前で自分を見つめてくる強い瞳に、淡い期待をしてしまうのは何故だろうと、ライザはぼんやり思った。 (……もしできることなら、またお姉ちゃんと……昔みたいに……) 決して声にできないその想いは、誰に届くともなくライザの胸の中で儚く消えた。
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