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壊れかけのライザ
「…………なるほど、とは素直に受け入れがたい内容ですね」
淡い紫の髪をした一人の女性が、困惑した表情でクイッとメガネを指で押し上げた。
黒いスーツに身を包み、見るからに真面目そうな彼女は、何とか相手の言う事を理解しようと努める。
そんな彼女の向かい側には、こちらも同じように困った顔をしたレイラが座っていた。
「……でしょ。でも本当なの」
溜め息とともにそう呟いたレイラは、気持ちを落ち着けるため、テーブルに用意された紅茶に手を伸ばす。
そんな彼女は現在、黒銀の騎士団が拠点にしているロベルタのギルドに来ていた。
と言うのも、あの後、散り散りに逃げてしまっていた馬を何とか探し戻した黒騎士たちとジンは、その日の内にロベルタに戻ることが出来たため、Aランクの魔獣が出現したという情報をすぐにギルドに伝えに来たのだ。
事が事なので、受付カウンターではなく、応接室を用意してもらい、ギルド長不在ということで変わりに副ギルド長のライザという女性に事の次第を伝えたところ、冒頭の反応である。
「……ちなみに、その男性様はどちらに?」
「今、下でロベルタに拠点を移すための戸籍登録をしていらっしゃるわ。あと、ついでに冒険者登録もすると言っていたわね」
話しながらレイラは、『また、ギルドの女性職員に敬語を使って狼狽えさせてるんだろうな…』と他人事のように考えていた。
もちろん、そうなることが予想できたので、ある程度耐性ができたであろうモネを付かせているが、不安は拭えない。
なんて、現実逃避をしていたレイラの前で、眉間に皺を寄せながら髪を掻き上げたライザは、大きめの溜め息を吐いた。
「取り敢えず、討伐済みという魔獣の死体を確認しないことには始まりませんね。すぐに職員を森へ派遣いたしますので、少しお時間頂けますか?」
「あ、いや……それなんだけど……」
「……?なんでしょう?」
「あー、その……魔獣の死体、ジン様がお持ちなの」
「………………………ジンサマガオモチナノ?」
レイラの言葉が理解できずに、謎の呪文を唱えてしまうライザ。
そんな彼女の気持ちが痛いほど分かるレイラは、『そうよね、そうなるわよね』と頷きながら、再度ゆっくりと同じ言葉を伝える。
「魔獣の死体を、今、ジン様が持っているの。……言っておくけど冗談ではないわ」
「……」
「しかも、細かく切り分けてはいたけど、素材だけじゃなくて、魔獣の肉も収納してたわ。美味しいんですって」
「………まじゅう……しゅうのう……おいしい……」
「…………ライザ戻ってきなさい」
話の内容が異次元すぎてキャパオーバーを起こしているライザ。
そんな彼女は、何とか現実世界に戻ってきはしたが、ジャイアントベアが2倍以上に巨大化した魔獣の死体を、どうやって持って帰ってきたのかまでは理解できない。
亜空間収納持ちだとしても、食糧や医療道具など、遠征に必要なものを入れるのが精一杯なはずだ。
そう考えたライザが、怖いもの見たさでレイラに詳細を尋ねようとした、その時だった。
軽やかなノックの音が応接室に響いたと思うと、ドアの向こうから戸惑いと不安を滲ませたギルド職員の声が聞こえてくる。
「ライザさん、ちょっと今いいでしょうか……」
「……?どうぞ」
何があったのかと不審がるライザは、これ以上問題を持ち込まないでくれと願いつつ、女性職員を部屋に入れた。
が、そんなライザの願いは、部下の報告を前に、早々に打ち砕かれることになる。
「あ、あの、今、ジン様と言う男性様の冒険者登録を行いまして……」
「……?何か問題がありましたか?」
「い、いえ!魔力試験も水魔法の適性がない以外は、特に問題なく……も、問題……なく……いや、私に敬語を使われたのは問題……?い、いえ!と、とにかく登録自体は問題なくさせて頂きました。ただ、その後……」
「……その、後……?」
恐る恐ると言うように聞き返すライザ。
レイラも緊張の面持ちで職員の言葉を待つ。
そんな2人に見守られながら、その女性職員は、重々しく口を開いた。
「ジン様が手持ちの素材を換金をしたいと仰られましたので、換金するものをお出し頂いたところ……あの……亜空間収納からSランクの魔物の死体が次々と出てきまして……」
「……あくうかん……Sらんく……つぎつぎ……」
「そ、それで!一応いくらになるか計算したところ……おそらく黒鋼貨5枚ほどになるかと……」
「…………こくこうか……ごまい……」
「ら、ライザさん!お気を確かに……!!」
壊れかけのライザと化してしまった彼女は、宙の一点を見つめ、言われた言葉を復唱することしかできない。
ちなみに女性職員の口から発された『黒鋼貨』とは、この世界で1番価値が高い通貨で、日本円にして1枚約1億円ほどの価値を持つ。
日本よりも物価が安いこの世界での黒鋼貨5枚は、小さめの城くらい買えるんじゃないかと言うほど、相当な大金なのである。
そんな大きなお金を、ギルド長に代わって自分が動かさなければいけないと言うプレッシャーで、ライザは若干の体調不良を感じた。
が、おそらく下で待たせているのだろうジンの怒りを買わないためにも、早く対応する必要がある。
「…………ジン様と直接話すことにします。あなたは経理担当に話して、黒鋼貨5枚を用意しておいて下さい」
「は、はい!かしこまりました」
「……レイラさんすいません。ちょっと席を外しますね」
「……ええ、頑張って」
同情を滲ませたレイラの言葉を受け、深く深く溜め息をついたライザは、重い腰を上げる。
が、あることに気づき、バッと女性職員を見つめる。
そんなライザは、こめかみからツーッとひとつ冷や汗を垂らし、恐る恐る職員に尋ねた。
「あの、さっきSランクの魔物の死体が出てきたと言いましたよね?」
「は、はい!5体分鑑定いたしました!」
「…………その中にAランクの魔獣の死体はありましたか?」
嫌な予感……どころではなく、たぶんそうなんだろうなと言う諦めを抱きつつ質問をするライザ。
それに対する職員の返答はもちろん、
「……?Aランクの魔獣?それはございませんでしたが……」
と言うもの。
それを聞いた瞬間、ライザの瞳から光が消え、思考を放棄しオブジェと化した。
ジンが査定に魔獣の死体を出していないということは、支払金額に黒鋼貨が2枚ほど追加されることになる。
Aランクの魔獣など滅多に現れない代物なので、下手したらもっと跳ね上がるかもしれない。
「ライザ……心中お察しするわ。でもそろそろジン様の元へ行きましょう」
黙って見守っていたレイラが、そっとライザの肩を抱き、優しく言葉をかける。
そんなレイラの行動に、普段は副ギルド長として気を張っているライザも年相応の顔を見せ、『……レイラさんも一緒に来てくれませんか』と少し甘えたことを言う。
『もちろんよ』と苦笑したレイラが了承したところでようやく、ライザは現実に向き合う覚悟が持てたのだった。
そうしてレイラと共に急いで1階の受付に向かうライザ。
時間としては5分ほどだが、男性を待たせたことに変わりはないので、少し緊張した表情をしている。
が、その後ろにいるレイラは、『これくらいじゃあの方は怒らないと思うけど……』と複雑な表情。
もちろんその予想通り、二人がジンの姿を捉えた時、彼はモネと楽しそうに談笑していた。
モネの方もだいぶジンの対応に慣れたようで、緊張はしているが、きちんとジンの目を見て会話ができている。
「ジン様、お待たせして大変申し訳ございません」
ジンが怒っていないことに安堵したライザは、多少気を緩めジンの前に立ち、深く頭を下げた。
そんな彼女を見て慌てたジンは、『全然待っていませんよ。頭を上げてください』なんて物腰柔らか。
事前にレイラから話を聞いていたライザは、男性とは思えないその対応を受けて、若干顔を引き攣らせはしたものの、スムーズに受け入れた。
「寛大なお心ありがとうございます。私、ロベルタ支部の副ギルド長を任されております。ライザと申します」
「ライザさんですね。私はジンと申します。先程試験を受けまして冒険者となりました」
「丁寧なご挨拶痛み入ります。冒険者試験合格、おめでとうございます。今後はギルドが総力を上げサポートさせていただきます」
「どうも、よろしくお願い致します」
先程は現実逃避を繰り返していたライザだが、営業スマイルを浮かべつつ挨拶を済ませ、その流れでジンを応接室に案内すると、するすると本題に向かって会話を進めていく。
流石、弱冠22歳で副ギルド長を任されているだけある。
メンタルはやや弱いが、やればできる子なのだ。
そんなライザは、ジンの機嫌を伺いながら、少し緊張した声で本題に入った。
「先程換金のご依頼を頂いたと聞いております。査定の結果、黒鋼貨で5枚ほどになるとのことでした」
「……それは、結構な額になったんですね…。あのモブたちが……」
「はい、どれも状態が良く高値で取引が可能なものだったと聞いております」
ジンの呟きを笑顔で聞き流したライザは、先程の女性職員に代金と支払完了証明書をテーブルに置くよう命じる。
「内容ご確認の上こちらのサインをお願い致します」
「分かりました。………ではこれで」
「ありがとうございます。どうぞこちらお納めください」
ライザに促され、ジンが報酬を手に取る。
彼がそれを亜空間に収納するのを待ってから、ライザは再度口を開いた。
「そう言えばレイラさんからお聞きしたのですが、Aランクの魔獣を倒されたとか……」
「ああ、そうなんです。騎士団の方々と一緒に。魔獣の死体はどうしましょうか?」
飄々とした表情でレイラに問いかけるジンだが、彼の言葉は少し事実とは異なる。
騎士団が倒したのは変異したジャイアントベアのみで、魔獣討伐はジン一人の手によって行われたものだからだ。
「恐れながら申し上げます。我々騎士団は魔獣討伐には一切関与しておりません。従って、魔獣の死体はジン様のご判断に委ねさせていただきたく存じます」
「あれ、でも……クエストを受けていらっしゃったのは騎士団の方たちなので……。あ、ジャイアントベアの討伐分として報酬が出るんでしょうか?」
「いえ、それに関しては残念ながら討伐完了部位の提出が出来ないため不可能なようです。ですが、予め掲示されていたクエスト内容と実際の内容が異なったということで、違約金を頂けるとのことです」
「そうですか……。私としては、騎士団の皆さんにお世話になったので、魔獣換金分をお渡ししたいのですが……」
自分が獲物を横取りしてしまったことを気にしている様子のジンは、恐る恐るというようにレイラに提案をする。
それを聞いたレイラは、『この人はどこまで謙虚なんだろう』と内心驚きながらも笑みを浮かべた。
「お心遣いありがとうございます。しかしながら、我々騎士団にも誇りがございます。倒すべき敵を前に太刀打ちできなかったばかりか、ジン様に守っていただき、その上報酬まで頂くというのは、我々の矜持に反する行いです」
「……そうですか。分かりました。そう言う事でしたらこちらで受け取らせていただきますね」
「はい。この度は危険な目に遭わせてしまい申し訳ございませんでした。また、命を助けて頂き心から感謝申し上げます」
ソファから立ち上がり、部下のモネとともに頭を下げるレイラ。
それを受けるジンは、少し困った表情をしつつも笑顔で。
一時はどうなることかと思ったが、全て丸く収まったようだ。
「それではこの度は魔物並びに魔獣討伐にご協力頂きありがとうございました」
やることを全てやり切り、気持ち艷やかな肌をしたライザが、その場にいる者に頭を下げる。
ジンが持っている魔獣の死体は、亜空間に収納している限り劣化しないので、少し換金時期をずらしてもらうということで話がついた。
そうして、皆が席を立ち、帰り支度をしている最中、レイラがジンに話しかけた。
「そう言えばジン様はどちらにお泊まりですか?もしまだ決まっていないということでしたら私の方で手配いたしますが」
「あ、本当ですか?それは助かります。値段は気にしなくて大丈夫なので少し広めの部屋がある所がいいのですが」
「かしこまりました。ジン様は我々の恩人となる方ですので、ささやかで申し訳ございませんが、3日程度のお支払いを済ませておきます。……モネ」
ジンの要望を把握したレイラは、街で一番広い高級宿屋の部屋を確保してくるようモネに頼もうとした。
が、慌てた様子のジンがそれを遮る。
「お金はこちらで持ちます。宿さえ案内していただければ大丈夫ですので……」
「お気になさらないでください。我々の感謝の気持として受け取って頂けますと幸いです」
朗らかな笑顔を浮かべそう言ったレイラ。
だが、ジンが放った次の言葉でその笑顔が凍った。
「……ですが。モネさんから伺いましたが、騎士団は運営費を自分たちで賄っているため資金不足だとか……」
「……。…………………モネ?」
凍った笑顔でモネに顔を向けたレイラは、『何余計な話ししてるのよ!!』とでも言いたげ。
一方のモネは、まさかこんな流れになるなんて思ってもおらず、あわあわとすることしかできない。
ジンと二人でいる時に、何とか会話のネタを探さないとと、思いついたことを片っ端から話していたのが仇になったようだ。
と、そんな二人の横で何やら考え事をしていたジンが、突然ポンと手を打った。
「……そうか。私が騎士団の宿舎にお邪魔することは出来ませんか?」
「「………………え?」」
ジンからのまさかの提案に、レイラとモネが仲良く声を揃える。
そんな彼女たちに、良い案を思いついて機嫌良さげなジンは、ニコニコと言葉を紡ぐ。
「宿舎の一室を貸していただければ、宿泊代として、騎士団の皆さんにお金を払えますよね。そうすれば、私は寝床が見つかるし、騎士団の皆さんは資金不足が解消される……どうですか?」
にこやかに伝えられた提案に、モネは顔を輝かせ、レイラは顔を引き攣らせた。
しかし、忘れかけているが、この世界は男尊女卑の世界。
男性からの提案を女性が重大な理由もなく断ることなど出来ない。
だが、ほぼ諦めかけのレイラが、最後の足掻きとして笑顔でジンに言葉を放つ。
「と、とてもいい提案でございますが、大きい部屋をお望みとのことでしたので、残念ながら我が宿舎にジン様が快適に過ごせそうな部屋の空きがなく……」
「あ!!レイラさんのお部屋はどうですか?隊長なので部屋は大きいですし、レイラさん今、二人部屋をお一人で使われてっぐむ……!!」
嬉々として話していたモネの顔面をぐわしと片手で掴んだレイラは、綺麗な笑顔を浮かべたまま『ジン様少々お待ちいただけます?』と軽やかに言うと、モネを引きずって部屋の隅まで持っていく。
そして、至近距離で顔を突き合わせると、ジンに聞こえないように小声で、
「ねえモネ。あなたは天真爛漫でとても可愛らしいと思うけど……もう少し空気を読めるようになった方がいいわ」
「……っっっ!!」
ドスの利いた声で締められたレイラの言葉に、ブンブンと首を縦に振るモネ。
彼女が十分反省していると分かったレイラは、溜め息を吐いて気を落ち着かせ、後ろを振り向く。
と、そこには、
……期待に満ちた表情でレイラを見つめる男性様がいた。
その男性様は、キラキラとした満面の笑みでレイラに言った。
「もしご迷惑でなければ、お部屋ご一緒させて頂いてもいいですか?」
悪気など一切ない、純粋な喜びで溢れたその言葉を受けたレイラは、一拍の間を空け、笑顔で言った。
「もちろんでございます」
そうして、レイラのストレスフルな生活が幕を開けたのだった。
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