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初仕事
アルトリア王国の王都から街2つ分離れた辺境の地ロベルタ。
そこは比較的人口が少ないながらも、土地代の安さと広さを利用し農作に力を入れていて、数々の特産品を持つ。
そのため、多くの商人が出入りする、場所の割には豊かな街として有名だ。
そんなロベルタには、2つのシンボルとなる建物があった。
一つは、街の要である『ギルド』。
街全体の住民やお金、環境などを管理する重要な場所である。
基本的にロベルタのみに限らず、街で暮らす住民たちは、『何か困ったことがあったらまずギルドへ』という考え方なので、職員たちは毎日てんてこ舞いである。
そしてもう一つのシンボルとなるのが、『黒銀の騎士団の宿舎』。
数百人規模にもなる騎士団員が寝泊まりしているので、3階建ての建物はかなり大きく荘厳な佇まい。
しかし、騎士団と街の人々との距離はかなり近く、日頃の感謝をと、街の人々が余った食糧や日用品を持って訪ねてくる光景は、もはや日常茶飯事。
そんな黒銀の騎士団の宿舎は、役職によって使う階が分かれており、1階を使うのは、騎士団の身の回りの世話をしてくれている『非戦闘班』と入団して間もない下っ端たち。
そしてその下っ端たちの中から1〜10まである隊のどれかに配属された者は、晴れて、3階に立ち並ぶ10人部屋を仲間と使うことになるのだ。
では、残りの2階はどんな役職の者が使っているかと言うと、もちろん『幹部』たちである。
黒銀の騎士団を樹で表すところの『枝』の役割を担っている重要な人物たち。
彼女たちがいるからこそ黒銀の騎士団は、民営の騎士団ながらも、国営の騎士団である金色の騎士団と肩を並べるほどの力を持っているのだ。
そんな幹部たちが寝泊まりしている宿舎2階のある部屋にて、一組の男女がベッドの上で体を寄せ合っていた。
「…………」
「……すぅ……すぅ……」
「…………」
「………ん…」
「……!!」
「……………………すぅ…すぅ…」
「…………………」
隊長たちに与えられているのは二人部屋で、基本的に隊長と副隊長が一緒に生活している。
しかしそんな中、団長から特別目を掛けられているレイラは、機密文書保護の観点から、二人部屋を一人で使用することを許されていた。
…………今までは。
あのギルドでのモネの発言により、男性であるジンと同じ部屋で生活することになってしまったレイラ。
そんな彼女は、いつもは朝6時に起床し、身なりを整えると、朝食を摂る前、頭の冴えている内に、溜まっている事務仕事を片付けるのが日課となっている。
が、その日は、いつも通り6時に目は覚めたものの、40分経った今もベッドの上で寝ていることを余儀なくされていた。
(ああ……いつまでこうしていれば良いのかしら)
寝間着から着替えることも出来ないレイラは、現在、ダブルベッドの上で気をつけをするように仰向けになっている。
寝相が良い彼女は、いつも仰向けの状態で眠りにつき、同じ状態で目を覚ますので、そこは問題ない。
問題なのは、そんなレイラの体をホールドするように抱きしめている新しい同居人の存在。
決してジンの寝相は悪くなかったのだが、抱きつき癖があるのか、朝目が覚めた時にはすでに、彼の両手両足で体を拘束されていた。
もちろん男性であるジンを無理やり起こすなんてことレイラには出来ず、為すがままになっている内に40分が経過中。
(……誰か助けに来てくれないかしら。…………というか、お手洗い…)
可能性はほぼないと分かっていても、助けを求めてしまうレイラは、このまま待っているだけでは己の膀胱が持たないと、目を閉じ打開策を考える。
目を閉じたことで研ぎ澄まされた聴覚が、ジンの呼気を先程より鮮明に拾う中、ジンを起こさないよう彼の手足をどかすシュミレーションを頭の中でし始めた時。
突然、もぞもぞと自らの大きな体を動かしたジンが、レイラのことを抱き寄せ、彼女の耳元に自らの顔を近づけた。
「…………セイ…もっとこっち……」
「…っぁ!!」
唇が耳に触れるか触れないかというところからの低音ボイスに、思わず小さく声を上げてしまうレイラ。
その時ジンの腕の中でレイラの華奢な体が跳ねたせいか。
小さく唸り声を上げたジンの瞼がゆっくりと薄く開かれた。
「…………?」
「あ、じ、ジン様。申し訳ございません。あのっ……」
恥ずかしい声を出してしまったことと、ジンを起こしてしまったことに焦るレイラは、普段の冷静さなど欠片もなく慌てる。
が、ジンは一切気にしていない様子で、眠そうに目を擦るだけ。
そして、ある程度覚醒した段階で、目の前にレイラがいると気づいたようで。
前髪を下ろしているからか、普段より幼く見える顔に笑顔を浮かべた。
「おはようございます、レイラさん。よく眠れましたか?」
「は、はい。ジン様も疲れは取れましたでしょうか?」
「はい。全回復です。………ふわぁ」
まだ眠そうにあくびをするジンの顔を、頭一つ分の至近距離で見つめるレイラは、『この人がAランクの魔獣を倒したなんて、何か信じられないわね』とぼーっとしてしまう。
が、すぐに自分がジンの腕を枕にしていることに気づくと、秒で跳ね起き、営業スマイルでジンに声をかける。
「きちんと休めたということで安心いたしました。私はこれから仕事に参りますので、ジン様はごゆるりと」
「あ、はい。いってらっしゃい」
「失礼いたします」
手早く着替えを手に取ると、綺麗にお辞儀をして部屋を出たレイラ。
最後の最後、カチャッとドアが閉まるまで気を抜かず笑顔を浮かべていた彼女は、すぐに深く溜め息を吐いた。
まだ朝起きたばかりだというのに、すごい疲労感だと、少しげっそりする。
するとその時。
「随分疲れた様子じゃない。お強い男性様との初夜はどうだったの?」
鼻にかかる妖艶な甘い声。
その声を聞いたレイラは、相手の姿を見る前に、小さく息を吐き言葉を返す。
「変な言い方しないで頂戴。特に何もなかったわ」
「ふぅん……。あの規則正しい生活をしているレイラ様が、いつもより遅い時間にパジャマ姿で起きてきたから、喘がされ疲れたのかと思ったわ」
「………イザベラ。ジン様はとても紳士な方よ。不敬な発言は慎みなさい」
「あら、そうなの?ふふっ……」
レイラの鋭い隻眼に睨まれても、余裕な笑みを浮かべている彼女……イザベラは、騎士団唯一の医療班である第4番隊の隊長を務めている女性だ。
淡い紫色の髪を肩辺りで切りそろえている彼女は、既に仕事を始めているようで、騎士団の非戦闘時の制服である黒いシャツに黒いズボンをきちんと身にまとっていた。
が、その胸元は大きく開けられていて、豊かな双丘が織り成す曲線が顔を覗かせている。
『扇情的』という言葉がぴったりな彼女は、煽るような挑発的な笑みをレイラに向けていたが、すぐにポケットから銀色の鍵を出しレイラに渡した。
「普段は可愛げのないあなたのその姿……もう少し見ていてもいいんだけど。生憎仕事があるの。早く着替えてらっしゃい」
「………。……どうも」
「鍵は夜返して。それか、パルダに渡しておいて」
自室の鍵をレイラに渡したイザベラは、用は済んだというようにスタスタと階段を降りて行った。
騎士団では階級が全てで、年功序列という概念はないが、4歳年下の彼女に面倒を見られたレイラは、自分の不甲斐なさに溜め息を吐く。
が、すぐにブルッと体を震わせると、それなりに切羽詰まった尿意を解消しにトイレに小走りで向かったのだった。
そんな二人のやり取りなど露知らず、朝の支度を済ませたジンはギルドに来ていた。
時間的に冒険者が活動を始めるタイミングだったらしく、ギルド内はかなり混雑している。
(ええと、依頼掲示板は………あそこか)
冒険者は危険な職業ということもあり、男で冒険者になるという物好きはなかなかいない。
そのため、今ギルドに居るのは全員が女性。
ジンはその人混みを掻き分け依頼書の貼ってある掲示板の近くまで進む。
すると、どこからか小さく悲鳴のような声が上がった。
「えっ!お、男っ!?」
ジンの姿を見て、思わず発してしまったその声を聞いて、周りにいた女性が一斉にジンへ視線を向ける。
そしてジンの存在に気づくと、ザザァーっと距離を取った。
一瞬にしてジンの前にできた掲示板までの道。
あまり目立つことが好きではないジンは、困った顔で苦笑する。
「あぁ……いや、あの、全然気にしないでください。皆さんもどうぞ」
平身低頭、穏やかに声をかけるジンだが、相手が男だということで恐縮している女性冒険者達は、ジンの言葉遣いに戸惑いは見せるが動かない。
そんな彼女たちを見て、『これ以上声をかけても無駄だな』と判断したジンは、居心地の悪さを感じながら掲示板の前に立つ。
(んー、どれがいいかな。あ、これとか報酬良いな…………ん?)
手早く選んでしまおうと手頃な依頼書を手に取ろうとしたジンの目が、ある依頼書に留まる。
それは、数ある依頼書の中でも一番色褪せていてボロボロの依頼書だった。
(これ、依頼日から1年以上も経ってる。誰も受けない理由は何だ?)
少し気になったジンは、依頼の内容に目を通す。
すると、何故この依頼が1年以上も放置されているか腑に落ちたようだ。
(なるほど……。依頼内容は治療薬のない短期変異型ウイルスの治療と難しいが、その報酬が………リンゴ3個か)
受けた時のデメリットはあるが、メリットなどないに等しいクエスト内容に、少し考え込むジン。
だが、1分もしない内に笑みを浮かべた彼は、まっすぐその依頼書を手に取った。
そしてそのまま、迷いなく受付カウンターへ進むのだった。
あの後、受付嬢に『ほ、本当にこれで大丈夫でしょうか!?』と何度も確認されながらクエストを受けたジンは、依頼者の家に向かっていた。
目的の家がある場所は、ギルドや騎士団の宿舎がある中心街から外れた僻地。
(随分寂しい場所だな………)
中心街には店が立ち並び、活気があったが、ここは良く言えばのどかで、悪く言えば廃れている。
ここに家を構えたら買い物に行くにも一苦労だろう。
そんな生活に苦労しそうな地区を進むジンは、ある家の前で足を止めた。
(受付の人が言っていたのは、ここだな……)
目的の家を見つけたジンは、迷うことなくコンコンとノックをした。
すると、壁が薄いせいか、家の中から幼い子供の声と思われる元気な声が聞こえてきた。
「ユリ姉!だれかきたぁ!でていい?」
「ちょっと待って!お姉ちゃんが出るから!……あ!コラ!」
女の子の叫び声が聞こえたかと思えば、キィーという音とともにドアが開いた。
が、開いたドアの先には誰もいない。
不思議に思ったジンが首を傾げたその時。
「うわぁ、おっきいひとだぁ!!」
ジンが視線を向けていた箇所より低い所から、先程と同じ声が聞こえてきた。
その声を辿るようにジンが視線を下げるとそこには、背の高いジンがほぼ真下を向く形でようやく目が合うくらい小さい、5歳位の女の子がいた。
その子は、男であるジンを見ても物怖じした様子もなく、キラキラした視線を送っている。
幼い子特有の好奇心に満ちた視線にジンが笑顔で応えていると、
「こらルル!勝手に出ちゃダメで……しょ……」
突然、バッと更に大きく開かれたドアの先に、栗色の髪を両サイドでおさげにした女の子が現れた。
後から現れたその女の子は、ルルと呼ばれた子よりは大きいが、それでも10歳を少し過ぎたくらい。
だが、既に男尊女卑の考えは根付いているようで、ジンの姿を視界に入れると、数秒間放心し、そしてすぐにルルの首根っこを掴んでバックステップを踏んだ。
そのまま流れるように床に頭を擦り付け土下座の姿勢を取る。
「も、もも申し訳ございませんっ!!この子はまだ、幼くてっ……」
声も体もガタガタと震わせているその子は、自分の妹の失礼を必死で詫びる。
例え幼い子供がしたこととは言え、相手の男が不快に思えば、何をされるか分からない。
が、もちろんジンは、怒るどころか困ったように笑って、『お邪魔します』と挨拶をしてから女の子の前に膝をついた。
「謝らなくて大丈夫だよ。俺の方こそ急に来ちゃってごめんね」
「…………へ?」
自分が予想していたものと正反対の穏やかな声。
しかも、まさか男に謝罪を返されるなんて思ってもいなかった彼女は、口を半開きにして唖然とした表情。
するとジンは、自分をガン見するその視線に、ようやく目が合ったと嬉しそうにはにかむ。
「俺はジン。名前教えてもらってもいい?」
「……ぁ。あ、あ、えっと……私はユリアです!この子はルルで……この後ろにいる子はララって言います」
「……?後ろ?」
「あ、ほら、ララご挨拶……」
不思議そうにするジンを見て、ユリアが自分の背後を振り向き、声をかけた。
すると、一拍の間を空けて、ぴょこっとルルと同じ金髪の頭が見えた。
怯えた目でジンを見つめるその子…ララの姿を確認したジンは、ニコッと優しく笑いかける。
が、ララはピクッと体を揺らし、再びユリアの背に隠れてしまった。
「こ、こら!ちゃんと挨拶しなさい!……す、すいません!この子人見知りで……」
「ああ、大丈夫だよ。気長に仲良くなれるのを待つよ」
恐縮しっぱなしのユリアを安心させるよう、ゆっくり穏やかな口調を意識して話すジン。
そんな彼は、ようやく本題に入ることにした。
「ここに来たのはギルドでクエストを受けてきたからなんだ」
「え?く、クエストって、まさか……」
「うん。ユリアちゃんが1年くらい前に依頼したやつ。ウイルスの治療って書いてあったんだけど……」
そこまで話したジンは、入った時から気付いていた、ワンルームの家の奥に目をやる。
そこには、床にひかれた布団の上で、静かな呼吸をしながら眠っている1人の女性がいた。
「あの女性はお母さん?」
「はい……。1年前に森で魔物に襲われて、傷自体はたいしたことなかったんですけど、ウイルスに感染してしまったんです。最初は風邪みたいな軽い症状だったのに、最近は数時間しか目を覚まさなくなって……」
「……治療薬はないって書いてあったけど、ヒールも効かないの?」
「……ヒールは効くみたいです。でも……」
途中で言葉を切ったユリアが、表情を曇らせる。
「母は……聖魔法の適性がないんです」
悲しげにポツリと落とされた言葉に、ジンは『なるほど……』と頷いた。
この世界における治療方法は主に2つあり、一般治癒と魔法治癒に分けられている。
一般治癒は薬や人が持つ自然治癒力を使った原始的な方法で、魔法治癒とはその名の通り治癒魔法を使った治療方法だ。
治療時間が短く効果も大きいのが魔法治癒なので、メジャーな方法として知られている。
が、もちろん万能ではなく、聖魔法の適性がある者にしか効かないのだ。
つまり、ユリアの母親は魔法治癒はできず、一般治癒でしか治療できないのに、治療薬がないと言う為す術がない状態。
「騎士団のイザベラさんがたまに見に来てくださるんですが、解熱剤で苦しさを和らげるくらいしかできないそうです……」
「そうか……」
治癒のプロがダメだというなら、素人には何もできない。
言葉を無くして黙り込むジンを前に、『ああ、やっぱりダメか……』と内心落胆していた。
が、それでも、男性であるジンが、わざわざここまで来てくれて、気にかけてくれたことに笑顔でお礼を言おうとした。
その時だった。
「よし!じゃあ俺に任せて!」
「………………へ?」
ユリアの目をまっすぐ見て、堂々と告げられた言葉に思わず間抜けな声が漏れる。
今までの会話で母親を治すことは不可能だと分かったはずなのに。
ジンが何を考えているか分からず、ユリアは呆然とするしかなかった。
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