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拒絶
レイリアを助けた翌日。
幼い頃からの習慣で必ず7時に起きる体になっているジンだが、その日はいつもより遅くに目を覚ました。
既に昼の10時を回っていたのだが、初日に抱き枕にされていたレイラの姿はもうない。
代わりにジンの腕には、胴が長い大きめサイズのクマのぬいぐるみが抱かれていた。
それはジンの寝相を知ったレイラが、打開策を講じねばと、街の雑貨店で店員にからかわれながら購入し、ジンにプレゼントしたものだった。
そして見事レイラの囮作戦は成功し、今ゆっくり目を開いたジンは、きゅるんとしたつぶらなクマと見つめ合っている。
「……ん。あれ……何でこんな時間……?…………ああ、そっか、スキル使ったんだ」
段階を踏んで昨日の記憶を辿っていくジンは、ふぁっ…と一つ欠伸をすると、ベッドから降り体を動かし始める。
腕を回し、屈伸をし、軽くその場でジャンプ。
ある程度体の動きを確認したジンは、満足そうに頷く。
(よし、全快。今日もクエスト受けて大丈夫そうだな)
そうしてジンは、レイラからもらったクマに『行ってくるな』と声を掛け、1階の食堂で朝食を取りに行くのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
朝食後、腹ごなしも兼ねてクエストを受けにギルドへ行ったジンは、すぐに掲示板へ。
相変わらず、ジンに気づいた女性冒険者たちは、そそくさとジンから離れ、彼の周りにぽっかりと空間ができる。
が、ジンもこれはもう仕方がないと諦めたのか、手早く依頼書を選ぼうとする。
その時、ジンの背後から涼やかな声が聞こえてきた。
「ジン様。おはようございます」
声の主はこのギルドの副ギルド長である、ライザだった。
彼女は切れ長の鋭い目を意識して緩め、ジンに微笑みかける。
それに笑顔で返したジンも、朗らかに挨拶をした。
「ライザさん。おはようございます。下にいらっしゃることもあるんですね」
副ギルド長という役職から、2階の個室で書類仕事をしているイメージを抱いていたジン。
だが、実際にライザがロビーに降りてくることは滅多にない。
では何故彼女がここにいるかと言うと……。
「実はジン様がいらっしゃるのをお待ちしておりました」
「僕ですか?」
「はい。ジン様宛に直接依頼が来ておりますので、ご相談させて頂ければと思いまして」
「へぇ、直接依頼なんてものもあるんですね。是非お話聞かせてください」
話を聞くとは言っているものの、既に受ける気満々のジン。
そんな彼を連れて、空いている受付カウンターに入ったライザは、カウンターに依頼書を置き、ジンに事情を説明し始める。
「今回の直接依頼は、第3地区にお住まいのレイリア様からです。確か昨日娘のユリアちゃんが出していた依頼を受けられたと聞いております」
「はい、確かに受けました。でも、そうか……金銭的に厳しそうだったからな……」
4人家族が使っているとは思えないこじんまりした家と、クエスト報酬がリンゴだった事を思い出したジン。
(リンゴを報酬にして依頼を受けてくれる人はなかなかいないんだろうな……)
レイリアが元気になったとは言え、いろいろ大変なんだろうと思ったジンは、『彼女たちの力になれるなら報酬は何でもいいや』と、依頼を受ける気持ちを固める。
「レイリアさんのお願いなら、報酬がリンゴでもやりますよ!」
にこやかにそう言い切ったジン。
すると、ジンが勘違いをしているのだと気づいたライザが苦笑いを浮かべる。
「いえ、今回の報酬はこちらの欄に記載されております。御覧ください」
「えっと…………ん?金貨、3枚…………………え?」
破格の報酬にジンは何度も瞬きを繰り返し、記載されている報酬額を見つめる。
この世界での金貨3枚は日本円にして約300万円。
間違ってもクエスト報酬にリンゴ3個を出すのが精一杯な人が用意できる額ではない。
「え?これって……大丈夫なんでしょうか?れ、レイリアさんのお家にこんなお金……」
失礼とは分かっていても、この依頼を受けてしまったらこの報酬を払うことを強制してしまうのではと不安がるジン。
しかし、ライザは余裕の微笑みで『問題ないかと思います』と言う。
「レイリア様は世界的に有名な薬師様でございまして、これくらいの金額は問題なくお出しできる方でございます」
「え…!そ、そうなんですか?じゃあ何であのクエストはリンゴ3個だったんでしょう?」
もっと報酬を良くすれば、治療できる人が集まったかもしれない。
そう思ったジンの問いに、ライザは少し複雑そうな表情で答えた。
「あのクエストを依頼されたのは娘のユリアちゃんなのですが……。レイリア様は娘さんたちにご自分の立場を伝えていないようでございます。そのため、レイリア様が薬師として有名なことも、裕福と言えるくらいの財を持っている事も知らないのです」
「………それは、ユリアちゃんたちにプレッシャーをかけたくなかったためでしょうか?」
「そうかもしれません。レイリア様クラスになりますと、彼女の子供ももしかして、と邪推する者が必ず現れますから」
そう言って一度言葉を切ったライザは、ふっ…と笑みを見せた。
「……ただ、これは私の勝手な想像なのですが……」
「………?」
「……余計な肩書無く、ユリアちゃんたちの母親でありたいという思いからではないかと、勝手に思っております」
「……!」
ライザの言葉で、昨日、泣き出してしまったユリアを優しく抱きしめた時の、母親としてのレイリアを思い出す。
自分に付いた肩書など存在しないかのように飾らず、ユリアにとってたった一人の母親であると伝えるように身を寄せていた。
子どもたちからしても、母親は出来るだけ自分たちの身近に居て欲しいものだろう。
レイリアさんぽいなと納得したジンだが、すぐに次の疑問が湧いてくる。
「あれ?でもレイリアさん自身が依頼を出さなかったのは何故なんでしょう」
「それは……治療が不可能だと結論付けられたからかと思います」
「え?」
「先程も申し上げました通り、レイリア様は世界的に有名な薬師様です。ご自分の病気が治せるものかそうでないかは容易に判断できたかと思われます。また……」
説明の途中で不自然に一度言葉を切ったライザが目を伏せる。
が、すぐに気を取り直したように顔を上げ、説明を続けた。
「騎士団の医療班である第4番隊の隊長……イザベラ様もレイリア様と親交があり、診察を行われたようでございます。その結果、治療は困難と判断されたのかと」
「………そう…だったんですね」
「はい。そのためジン様がレイリア様を治療下さったことは、奇跡以外の何物でもございません。部外者ではございますが、お礼を申し上げます」
深々とお辞儀をするライザに、『いやいや、頭を上げてください……!』と慌てるジン。
しかしライザは、その感謝の深さを表すように頭を下げ続ける。
その時だった。
「……失礼致します、ジン様。こちらの者が何か不敬を働きましたでしょうか?」
甘美で妖艶な声が、ジンの後ろから聞こえてきた。
名前を呼ばれ振り向くジンの向かいで、聞き覚えのある声が耳に届きバッと顔を上げたライザ。
彼女は、驚きと緊張の入り混じった表情でその声の主を見る。
そこには、黒で統一された騎士団の制服を着た、イザベラの姿があった。
彼女はにこやかな笑みを浮かべてはいるが、その瞳には鋭さが残っていて、ジンを真っ直ぐに見つめている。
そんなイザベラの言葉に慌てるジン。
「あ、いや、違います!今クエストの説明をして頂いていて……!」
「説明中に男性様に失礼なことをしたのでしょうか?」
「違います、違います!あの、一応、お礼を言ってもらっていて……」
「……不敬を、働いたわけではないのですね?」
コクコクと何度も頷くジン。
そんな彼を見て怒っているわけではないと納得したイザベラは、芝居がかった仕草で胸に手を置き、ニコっと笑って小首を傾げた。
「でしたら良かったです。安心いたしましたわ」
「あ、はい………あの、騎士団の方でしょうか?」
どこかで見たことがあると思いつつ、きちんとした面識がないジンは戸惑いを見せる。
するとイザベラは、『ああ、ご挨拶を忘れておりました』と言った後、
「第4番隊の隊長を務めております。イザベラと申します」
「あ!あなたがイザベラさんなんですね!」
「はい。レイリアの件、心から感謝しております。ありがとうございます」
形式的と言わんばかりに、軽く頭を下げるイザベラ。
ジンは気にしていないが、男である彼を軽く見るその行動に、黙って見守っているライザは少し焦りを感じる。
が、イザベラは更に一歩ジンに近寄ると、会話するには近すぎる距離感で、背の高い彼を下から見上げながら、にこやかに言葉を続けた。
「一つお伺いしたいのですが……よろしいですか?」
「な、何でしょう……」
本能的にイザベラを警戒すべき対象と認識したのか、ジンも少々緊張した様子。
そんなジンを見て、小さくニヤリと笑ったイザベラは、今までの声より1オクターブ低い声で尋ねた。
「レイリアを、どのように治療されたのですか?」
ジンを真っ直ぐに射抜いた質問は、言葉だけ見れば妥当なもの。
医療の最前線にいるレイリアとイザベラが治療不可能とした病気を、どう治したのか気になるのは自然な流れだろう。
だが、彼女自身から発される尋常じゃない圧が、その質問を単なる好奇心で尋ねているわけではないことを物語っている。
間近で彼女と対峙しているジンだからこそ感じられる重い圧力に、彼は思わずゴクリと唾を飲み込んだ。
同時に、目の前の彼女にユニークスキルのことを話すのは、止めた方が良いと判断する。
「…そ…れは……言えません…」
「あら、それはどうしてでしょう?私も医療に携わる者ですので、参考にしたいのですが」
「……。………すいません…」
言えない理由すら話せないジンは、謝ることしか出来ない。
が、男でありながらここまでされても怒るどころか謝ってしまったジンに対し、イザベラは完全に彼を軽視し始める。
ちろりと赤い舌で唇を舐めた彼女は、獲物を見つけたとでも言いたげな笑顔でジンの左胸に手を置く。
「つまり、ジン様は………人に言えない方法でレイリアを治療したということですね?」
「……っ!…あ、いや、それは……」
間違ってはいないイザベラの言葉に、ジンは目を泳がせる。
その動揺をジンの胸に触れている右手から読み取るイザベラは、何かを考えるようにしてジンのことを見つめる。
そして、少しの間を置いてから、再度ジンに問い掛ける。
「本当に……"治した"…のですか?」
文の中で故意に強められた言葉。
その意図を察したジンは、自分の呼吸が浅くなっていくのに気づく。
慌てて感情を抑えようとするジンを前に、イザベラはすぐ、更に彼を追い詰めるための言葉を紡ごうとした。
が、その時。
「いい加減にしてください!!」
ギルドのロビーに響き渡る怒声。
イザベラとジンのやり取りに注目していた周りの冒険者や職員が、ビクリと肩を跳ね上げる。
しかしそんな事気にしていない声の主…ライザは、一旦大きく息を吸い、気持ちを落ち着けた。
そして、イザベラを見据えていた視線をジンに移すと、怒りの色はまだ消えない様子ながら普段のトーンを心掛けて声をかける。
「……ジン様、申し訳ございません。そこにいる者の代わりに謝罪いたします」
「あ、いや、大丈夫です……。気にしてないので……」
「……寛大なお心痛み入ります。こちらのクエスト、受けられるということでしたらサインをお願いいたします」
「え、あ、は、はい……」
気まずいこの場の空気を気にしつつも、ジンがサインを書いている間、ライザは威圧するようにイザベラのことを怒りの表情で見つめていた。
そして、その視線を受けるイザベラも、先程まで浮かべていた笑みを消し、ライザの視線を甘んじて受けている状態。
修羅場と化したギルドのロビーで、言われるがままサインを書いたジン。
そんな彼に、今浮かべられる精一杯の微笑みを向けたライザは言った。
「受理いたしました。いってらっしゃいませ」
その言葉を受けたジンは、この二人をこのままにして去ってしまって大丈夫かと固まる。
しかしすぐに、自分がいても何も解決できなさそうだと察すると、申し訳無さそうに頭を下げ、その場を後にした。
ジンがギルドを出るまで微笑みを浮かべていたライザは、すぐにその笑みを消し、イザベラに視線を移した。
「どういうおつもりですか?」
怒りの色が乗った言葉に、イザベラはふっ…と挑発するように笑う。
「何がかしら?治癒師として、聞きたいことを聞いただけだけど?」
「そのことについてではありません。ジン様への態度についてです。不躾に言葉をぶつけ、勝手に体に触れ、知られたくないことを聞き出す。どれも男性様にして良い行為ではありません!」
凛とした態度でイザベラをたしなめるライザ。
だが、イザベラに反省の色は見えず、むしろ堂々とした足取りでライザの前に移動した。
そして、ちらっと周りの野次馬たちを確認すると、軽く手を振って盗聴防止の結界を張る。
これでライザとイザベラの会話は周りに聞こえなくなった。
二人きりの空間で、再度ライザに向かい合ったイザベラは、カウンターに寄りかかり、ライザと顔を突き合わせる。
「楽しい?男性様、男性様って男を崇めるの」
イザベラの艶のある声が軽やかに響く。
注意して尚も男を馬鹿にするイザベラの言葉に、ライザの眉がピクッと跳ねた。
そんなライザの反応を見て楽しそうに笑うイザベラは、すぐに笑みを消し、重く響く声で言った。
「私は御免よ。男なんかに屈するくらいなら……死んだほうがマシ」
「っ……」
「それでもライザちゃんは、私に死ねって言うの?」
ねっとりと、絡みつくようなイザベラの言葉に何も言えないライザは、眉間に皺を寄せ、俯いてしまう。
が、イザベラはそれを許さなかった。
右手でライザの顎をグイッと無理やり上げると、ライザの目を真っ直ぐ射抜くように見つめた。
そして、ニヤッと笑って言い放った。
「言えないわよね?そんな事。大事な大事な………お姉ちゃんに」
挑発的なイザベラの言葉に、何も言えないライザは悔しそうに唇を噛みしめる。
同じ紫色の髪をした二人は、そのまましばらく無言で見つめ合っていた。
が、不意に目を伏せたライザが、ぽつりと言葉を落とす。
それは副ギルド長のライザではありえないくらい、弱々しい声だった。
「お姉ちゃんは、私のことが嫌いなの?」
ずっと気に掛かっていた、ライザの心からの疑問。
今日だけじゃない。
ある日を境に、明らかにイザベラの態度は悪くなっていた。
それを悲しく感じていたライザは、副ギルド長としての姿を捨て、イザベラの妹の顔になる。
「小さい頃は優しかったじゃない!だから私も、お姉ちゃんの役に立ちたくてギルドにっ…」
「黙りなさい」
今日一番の低音にライザの肩が強張る。
怯えた表情でイザベラと目を合わせたライザは、相手の顔に嫌悪の感情が浮かんでいるのに気づいた。
それにライザがショックを受けて固まっている間に、イザベラは突き合わせていた顔を離し、怒りにも似た嫌悪をライザにぶつける。
「自惚れないで。大した戦闘力もない、治癒師としても働けない。そんなあなたが役に立つわけ無いでしょう」
「っ……」
「それとさっきの質問。私があなたのことを嫌っているかって?……答えはノーよ」
「……え」
思わぬ答えが来て、ライザの瞳に期待の光が宿る。
が、続くイザベラの言葉で、その瞳は絶望に染まった。
「嫌いとかじゃないの。"不要"なの」
冷酷にライザの心を貫く言葉。
ライザはあまりのショックで膝から崩れ落ちそうになった。
が、僅かに残ったプライドで、イザベラの正面に立ち続け、真っ直ぐに姉を見つめる。
そんなライザの態度が気に入らなかったのか、眉間に皺を寄せたイザベラは、吐き捨てるように言った。
「もう私とあなたは生きている世界が違うの。あなたは分相応に、この建物の中でただ書類と向き合っていなさい。二度と!私の世界に入れるなんて思わないで!!」
声を荒げるイザベラは、今日初めて感情的な姿を見せた。
不必要に強い言葉を使って、完全にライザを拒絶した。
それでもライザは、光を失わぬ瞳で、真っ直ぐイザベラを見つめ続けた。
その目は、ライザの心を折ろうとしたイザベラの試みが、失敗に終わったことを示していて。
それを察したイザベラは、憎らしそうに舌打ちをして、踵を返しギルドを後にした。
同時にイザベラがかけた防音結界が消え、ライザの耳に周りの雑音が流れ込んでくる。
ようやく日常に戻れた安心感から、張り詰めていた糸が切れたのか。
ライザはその場に崩れ落ちた。
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