序章 夢まぼろし

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序章 夢まぼろし

 ――――それは春の夢から始まった。僕の恋は、幾百年の時を駆け抜けてきた。  一人暮らしのアパート。僕はその夢を初めて見た――――  人間五十年 下天のうちを比ぶれば 夢幻のごとくなり ひとたび生を得て 滅せぬもののあるべきか  白装束に扇を持った武人が、朗々と謡いあげながら床を滑るように舞っている。その表情は決死の覚悟を持ったかのように引き締まり、舞も息を呑むほど美しい。  だが、その恐ろしいほどの凛とした姿を見るものはいない。そればかりか、迫りくる炎と白煙で視界は閉ざされ、息苦しさか謡いも途切れ途切れとなっていた。 「探せ! 信永の首を獲れ!」  どこかで重なる叫び声。それは段々と近づいていた。 「瀬那っ! こっちだ。逃げるんだっ」 「真豪殿。しかし、殿が」 「殿はもうお覚悟をされたのだ。私はおまえを逃がせと命じられた。それに違うことはできん」 「真豪殿……」 「急げっ! 早くっ!」  差し出された大きな手を夢中で掴む。手首に扇のような痣がちらりと見えた。  手のひらは熱さからか汗ばんでいたが、決して離さないとの思いが心の中に血脈を通わせて広がっていく。  この人についていけばいい。瀬那は導かれるようにして彼とともに走った。屋根が崩れ、廊下を閉ざしても、ただ、その手を握って走り続けた。
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