一杯目、カモミールティー

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一杯目、カモミールティー

 早朝4時、ここまで起きてる人間は相当稀有だと言われている。 残業に残業が重なり、もはや家で寝ているのかもすら怪しい。 友人や同僚は「顔が死神みたいだ。」とか「早く寝ろ。」「いい加減転職したら?」と口々にいう。 だが生きていくためには仕事をやめるわけにはいかない。 年齢的にも転職できる年齢ではもうないのだ。 トボトボと力無く歩いていくといつのまにかモダンな外装の喫茶店に着いてしまった。 家に帰るのもなんだし、電気代や水道代を安く上げるならここで始発まで過ごそう。 カランコロンとドアベルが鳴り、ステンドグラスがはまった綺麗なドアが開く。 「いらっしゃい。 テキトーにかけてくれ。」 黒髪で碧眼の中性的な人がカウンターから呼びかける。 ソファの席に座るとすごくふわふわして体の力が抜けていく。   「よほどお疲れのようですにゃ。」 水を運んできたのはなんと二足歩行をしている猫だった。 「サコン、酷い不眠症ならアレがいい。 カモミールとオレンジブロッサムを調合しろ。」 「ハイですにゃ。」 気のせいか猫が喋っている気がする。 「そのまま気を楽にしていればいい。 ハチミツなどのアレルギーはないか?」 「ありま…せん。」 途切れ途切れに聞こえる声に俺は中途半端に覚醒した意識のまま答える。 ふわりと蜂蜜のいい匂いが漂ってきて少し意識が回復する。 「…これは?」 「ハーブティーだ。 ゆっくりこぼさないように飲むといい。」 店主に言われるがままハーブティーを飲む。 ハーブティー独特の鼻に抜ける薬草臭さは蜂蜜にかき消され優しい甘さにまぶたが余計に落ちる。 「そうだ、そのまま寝て仕舞えばいいさ。 そうしたら君に取り憑いているフミン羊は居なくなっている。」 フミン羊とは?と思いつつ抗えない眠気に意識が落ちた。    眠りに落ちた男の口から黙々と黒煙が上がる。 「さて、仕事だサコン。」 「ハイなのです。ご主人様。」 店主は立てかけてあったワンドを一振りすると煙を捉える光の縄を召喚する。   『メエエエ〜起きロー!!』 雄叫びを上げ、男を起こそうと暴れる羊を縄が拘束し、店主の前に運ぶ。 「静かにしたまえよ。 君らみたいな人間に悪さをする精霊を相手にするのが我々、茶師(ちゃし)の仕事だ。」 『煩い!こいつは不眠不休で働くことを誓った!それを叶えたまでだ!!』 全くもって会話をしようとしない精霊にもう一振りワンドを振りかざすと霧散した。 霧散した精霊にサコンと呼ばれた使い魔の猫が飛びかかって食いつく。 「サコン、私はいいと言ってないはずだが?」 店主は怪訝な顔で精霊に食らいついているサコンに呼びかける。 「でもご主人様、いつもワガハイに食べさせるじゃにゃいですか。」   それはそうなのだがと苦笑いをこぼす。 茶師は人間に取り憑いた精霊を祓う代わりにレポートにまとめて研究材料として一部保管をしなければならないルールがある。 「ティーパーティーにはサンプル提示すればOKか。 まあ、レディが怒るのなら最悪降格も受け入れるほかないか。」 ブツブツと店主は文句を言う。 サコンと呼ばれた猫はそんな店主を横目ににゃーごと鳴いてみせる。 「元ネコとはいえ、君は使い魔として契約している以上、罰を与えなければならない。」 「にゃー、カリカリはいやですにゃ。」 ゴロゴロと喉を鳴らすサコンだが店主はお構いなしに罰を言い渡す。 「おやつ無しカリカリのみ、一週間だ。 なに、使い魔の君なら贅沢しなければ耐えられるだろ?」 「耐える耐えないの問題ではないですにゃ。 一日の楽しみを奪うなんて何たる鬼畜!!」 暴れ回るサコン。 だが店主は涼しい顔をして茶を一杯入れて封蝋で蓋をしていた瓶を取り出してそれの蓋を外して紅茶に数滴垂らした。   「ご主人様、お酒は体に毒ですにゃ。」 「嗚呼、わかってるとも。 知っているかい?ブランデーは上手く付き合えば抗酸化作用があってガンの予防にもなる。 カフェインだって飲み過ぎれば彼のように不眠症を引き起こして体を壊すこともある。 つまり、何にでもいい面と悪い面があるのさ。」 店主はブランデー入りの紅茶を香りを楽しんで微笑む。 「ところで彼はどうしますにゃ?」 サコンは大あくびをしながらソファに寝ている男を気にするそぶりを見せる。 「丁度、人間の手も借りたいくらい今は忙しい。 彼を助手として雇おうと思っているんだ。 あの精霊の言ってた事から察するに環境を変えなければ私の処置の意味がない。 慢性的な不眠は自律神経の乱れや鬱病を引き起こす。 人間とは厄介な生き物なんだよ。 君ら使い魔や精霊も人間の生命力で生きているから全く関係ないって訳でもないんだけどね。」 なんともいえない顔で店主は男に毛布をかけてやる。 「…それ自分が楽をしたいだけにゃんじゃ。」 「そんな事ないよ。 研究発表にはアシスタントが付き物だろ? いつまでも助手や弟子を取らない変わり者扱いされるのは私も本意ではないからね。早く目覚めてくれよ。」 男の頬を一撫でして店主は少し冷めた紅茶を仰ぐのであった。   【To be continued】
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