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「よし、いいぜ」
枚岡がスマホでの動画撮影を開始し、レンズを向けられた新田はごくりと生唾を飲んだ。
ここは新田一家の住まうアパートのリビングだ。あの日、自宅を見せるのは恥ずかしいと言ったのに、「芸人なら恥ずかしさなんか捨てろ!」という枚岡の暴論と東海林の無言の賛同により、押しに弱い新田は自己紹介動画をこの部屋で撮影することを許可させられてしまった。
枚岡たちは既に撮り終え、残すは新田のみである。隣の部屋には弟がおり、「何かウザい奴らが部屋占拠してる」と電話口の友人にボヤいてたのが聞こえてきた。
二人の自己紹介は、それなりによかった。それぞれのキャラに無理なく合っていた。枚岡は元々この手のことが得意だが、普段は暗い東海林も、やはり本来はまとめ役に適していた逸材であったというか、やる時はやる女なのだということが、画面の中でハキハキと語る姿でしっかりと示されていた。
だが新田は、撮れば撮るほど頭の中が真っ白になっていった。ボソボソしすぎで聞き取りづらい、と撮影を止められ、噛んでもまた止められる。一応カンペはあるのだが、まず内容自体もどう考えたって面白くない。そもそも自己紹介をすることすらほとんど初めてだ。おまけに自分を知ってもらい、好かれるように売り込む方法なんて、ろくに友達も出来ない新田が知る訳がない。
身を包んでいるジャージのオレンジ色の鮮やかさが、今の自分をより一層、恥ずかしくて情けない存在にさせる。先程までは、三人の一張羅に初めて袖を通したことで呑気に喜んでいたが、今思えば本当に馬鹿みたいだ。
「新田さん、あとツーテイク以内に決めましょう。今日は帰りが遅くなると伝えてきましたが、そろそろ時間が……ハイ」
「おっしゃ新田、とりあえず二回はやろう。それでダメならお前あとで自分で撮って、それ俺に送ってきて」
「うん……二人ともごめん。でも僕やっぱりすごく無理な気がして……だって僕、こんなんで人を楽しませるとか」
「いやいや、もう思い悩む期間はとっくに過ぎてるぞ新田。悩むんなら俺に誘われた時点で悩めよ」
「その通りです」
「うっ……」
「腹をキメようぜ。……何かこう、ぶっちゃけトークみたいなのとかしろよ。お前のキャラで重いこととかぶっちゃけるの、何か面白くね?どう?東海林」
「ぶっちゃけ度合いによりますが……新田さんには、何かそういうネタあります?」
「そんなの何も……僕って本当につまらない人生送ってきたから」
「大丈夫!これからこれから!」
そのとき、東海林が何かを察したように、枚岡に耳打ちした。
「枚岡さん、ここから撮りましょう」
「え?」
「このままぶっちゃけさせるんです、色々と。新田さんならいけそうな気がするんです」
その言葉を枚岡は信じ、再び動画ボタンをタップした。
「わかった、じゃあ配信しねえから、何か不満とか言ってみ。日頃の鬱憤晴らすつもりで」
「不満?」
「そうです新田さん。あるでしょう、色々と。まずあなたには、この時間になっても親御さんの作った夕飯が用意されていません。もう夜の七時半ですよ」
「そういやお前の親っていつ帰ってくるんだ?」
「か、帰らないよ……。たぶん義理の父親と外で食べてくるから、僕たちのご飯なんか、最近はお金置いてくかチンして食べるやつ置いとくかで……」
その答えに二人は顔を見合わせて眉根を寄せ、東海林が「それは良くない」と小さな声で言った。
「弟さんだって、まだ中学生なのに」
「アイツは元々、親が作ったってほとんど食べないから。小学生からずっと反抗期で」
「お前の義理の父さんって、何やってる人?」
「バイトだよバイト。いい歳してさ、週に三日くらいしか働いてないんじゃないの?あとは自分の実家に入り浸ってるか、うちで寝てるかだよ」
「新田さん、家族のこと、何とも思わないんですか?」
そう問いかけた途端、俯いてしどろもどろだった新田が、まるで急に何かが憑依したかのようにフッと顔を上げた。東海林よりも生気の感じられない無表情っぷりに、二人は少しヒヤリとした。
「思わないね。思ったって意味ないし。くだらない親の元に生まれた時点で人生決まってるだろ?だから何か思ったって労力の無駄なんだよ」
声色まで変わった。今度は、撮影を続ける枚岡の方がごくりと唾を飲む。
「あー、でも何か、深く考えると腹立ってきたな。さすがに子供のこと馬鹿にしすぎだもんなあ、うちの親。ていうかあのババア。よし、電話しよ」
豹変した新田に二人は何も突っ込まず、撮影をしながら成り行きを静かに見守った。
「あ、母さん?今どこいんの?え?……じゃあ飯は?いや、何がじゃねんだよ。俺たちの飯だよ飯。また今夜もチンしたカレーですか?自分たちは外で美味いもの食って、俺たちには今夜も一パック百円のカレーと来た。羨ましいご身分ですなあ!おい、アイツいんだろ働かない男。出せよ今。俺が働けって叱ってやるからよ」
そう言うと通話中のスマホを床に置き、スピーカーに切り替えた。「もしもし?」という男の少し不安げな声に被せるように、新田は「大人のくせに働かないで女に食わせてもらうメシは美味いですかあ?」と大声で尋ねた。枚岡は堪らず吹き出し、東海林も不安げな顔から段々と可笑しそうな笑みを浮かべ始めている。
隣の部屋から弟が訝しげな顔で覗き込み、三人は新田と男のやり取りに集中した。
「毎日汚いパジャマでうちに居られるのメーワクなんですけど、一体何故大人なのに週の半分も働かないんでしょうか?まさか僕みたいにまだおとーさんかおかーさんの扶養に入ってるんですか?そして金もないのに毎晩どこをほっつき歩いてるんですか?新しい弟とか妹とか、この生活環境ではまったく要りませんので死んでも作らないでくださいねえ!!」
「いいぞ新田、もっと言え」
「母さん聞こえてるだろ?そっちもスピーカーにしてるのわかってるから!あのさあ、僕今日から芸人としてやってくからさあ、もう高校の金も払わなくていいよ!適当にバイトしてこの三人で生活するから」
「え、そうなんですか?」
「いや、そんな話はしていない」
「友達もろくにいない、勉強もできない、居酒屋の口臭い店長には偉そうに人生語られる……もうウンザリなんだよ!自分にも家族にも、明らかにハズレを引いてるのに生きていかなきゃならないこの人生に!だから決めたよ、この顔が良いだけで話の薄っぺらいろくに苦労もしてない奴と、何言っても死んだ目してる門限厳しい女と、この歳でほぼ人生終わりかけてる僕で、絶対に売れるまで頑張ってやるんだって!!」
「おおいいぞ、その急に俺たちまでディスる感じ!ちょっとおもろい!」
「ですね」
「面白くないんだよ!この!」
激昂したように新田は枚岡の頬を平手打ちし、間髪を容れず女の東海林まで容赦なくぶった。
「落ち着け新田!暴力は炎上する!」
「特に女を殴ったら大炎上しますよ」
「お前ら本当は配信する気だな?!」
「まあある程度編集はしてやるから」
「いやいい流せ!このまま全部配信しろ!クラスのオタクが急にキレたって言ってなあ!ついでにこのくだらない親のことも流して、明日には市の福祉とかの人に来てもらうからな!ざまあみろ馬鹿親!馬鹿なお前ら!馬鹿な俺!お前もだ中途半端なヤンキー崩れが!グレたいなら強そうな奴からカツアゲでもしてみろボケ!」
そう叫ぶと、中身の入ったペットボトルを、陰から覗いていた弟に思い切り投げつけた。すると彼は何も言い返さず、静かに部屋に戻っていった。
そして一方的に通話を切ると、興奮を抑えるように肩で息をし、「本気で頑張るから、君も責任持てよな、枚岡」と、ギラついた目で訴えた。
「お、おう……とりあえずこれ、最後にネタでしたってテロップ入れとく?」
「明日考える」
「わかった」
「新田さん、面白かったですよ。最高です」
「東海林さん、ごめんね叩いて。はあ、スッキリしたらお腹減った。……カレー食べよ」
突発的な新田の怒りは、よくわからない収束を迎えた。そうして三人はようやく解散し、枚岡たちも帰路についた。
「枚岡さん、見る目あったんですね」
「いやあ、もっとシュールで知的な感じにさせたかったんだけど、アイツはキレ芸担当だな」
「動画、流したらどうなるんですかね」
「炎上するだろうけど、別に誰にも迷惑かけないし、いんじゃね?アイツもこれでカレー生活から脱却できるだろ、他の大人に助けてもらえれば」
「そうだといいんですが……ハイ」
枚岡はその晩から編集作業に取り掛かり、二日後に三人で確認した後、ほぼ全編をUPすることにした。小さな古い喫茶店から、世界に向けて新田のキレ芸を公開する。するとそれは予想外の速度で拡散されていき、さすがの枚岡も少し恐怖を感じたらしくすぐに通知を切っていた。
そして数時間後には、案の定いろいろな問題について炎上したので、結局動画は消してしまった。
しかしひらおかしんでんとうかいりんは、世間に確かな爪痕を残すことができた。これが、彼らが芸人としての第一歩を踏みしめた、ある青春の日の話である。
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