27人が本棚に入れています
本棚に追加
/40ページ
襖を開ける。
「龍馬、湯汲み終わったよ」
格子の傍にあぐらをかいて座っている姿があった。日の落ちていく町を眺めていたようだ。
「湯加減は悪うなかったかい?」
「うん。龍馬も湯汲みするでしょ。次いいよ」
話しかけながら龍馬の隣まで行って座る。並んで格子の外を見るが、暗くて特段映えるものはない。
「えいや、わしゃ銭湯で入ってきちゅー。ほんまはおんしも連れていきたいけんど、いかんせん……」
気まずそうに頭を搔く龍馬。言葉を濁すくらいなら最初から口に出さなければいいものを。嘘をつけない性格なのだろう。二夜は代わりに言ってあげることにした。
「私って追われてるらしいね」
「……すまん、気づいちょったか」
「うん。壬生浪士組って名乗る人たちが外にいたから」
「まさか会うたがか!?」
「壁越しに会話を聞いてただけ。紫髪の女って呼ばれて探されてた」
「そうかい。バレちょらんのならえい。やけんど毎度のことながら嗅ぎつけるがが早いのぉ、壬生狼は」
「壬生狼ね……。あ、もしかして龍馬も追われてたりする?」
「いや、わしは追われちゃあせん。今のところはな。どちらか言うたら攘夷派の連中に狙われちゅう」
「攘夷……」
攘夷とは、外からやってきた異国人を敵と見なし払い除ける思想のこと。鎖国が世の常であった江戸時代においてそれは当然の考えだった。
ただそれに外国船の到来やら隣の国の情勢やらが絡み、その上で異国に対して弱腰なままでいる幕府への嫌悪感がその思想に拍車を掛けた。それが幕末の攘夷派と呼ばれる者たちだ。あるいは将軍よりも天皇を敬わんとする尊皇攘夷派とも呼ばれる。彼らはのちに、敵を異国ではなく幕府と定めていくのだが……。
「ほんまめんどくさいがやき! 攘夷攘夷言いゆう場合じゃないに。頭の硬い連中やき。もっとこう、頭を柔らかくしてのぉー?」
そう不満をこぼすものの、倒幕への舵を切るのは実際、いま絶賛追われているこの男である。本人の意思がどうであれ、だけれども。
「わしはのぉー、えい日本を作りたいんじゃ」
「良い日本って?」
「そうやね。平和や。皆が安心して暮らせる、血を流さいでえい、誰もが幸せになれる平和な日本をわしは見てみたい」
(誰もが、か)
「…難しそうだね」
そう答えるしかなかった。現代の暗殺者であった自分にはその言葉が刺さったから。
「難しゅうないき。皆が皆を思うたら出来ることやき」
「そう。出来たら、きっとそれが良い――」
「違うぜよ!! わしがそうしてみせるがよ!」
食い気味に答える龍馬。まるでそうなると信じて疑わないかのように。あたかも自分がそれを成し遂げるかのように。薄暗い京の都を映すその目は眩しいほど輝かしかった。
しかし彼は、坂本龍馬は新しい時代の光を見ず、ある事件で暗殺される。
「わしは絶対日ノ本を立派な国にして、皆が安心して暮らせる平和な世を作るがよ!!」
もしもその事件がなければ、あるいは彼が生存していたなら。未来で流される血の量は減っていたかもしれない。そんな仄暗い希望を思わされてしまうほどに、龍馬は意気込んでいた。
最初のコメントを投稿しよう!