8 千隼視点

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8 千隼視点

 三年に上がって二か月が経った頃。  千隼は職員室に赴き、担任に進路変更をしたい旨を伝えた。 「えっ……? 進路変更?」  若干驚いた顔をして、彼が千隼の顔を窺ってきた。 「一年のときから、海外の大学を希望してたよな?」 「考えが変わって。内部進学にします」  とくに問題はないはずだ。成績は常に上位をキープしている。前回の定期試験ではトップだった。 「そうか……」  担任の顔が曇っている。海外の有名大に進学して、この高校の株を上げて欲しかったのかもしれない。  しかし千隼の気持ちは決まっていた。海外留学する気力は失せていた。内部進学しかしたくない。 「理由を聞いても良いか? 一年から海外に行きたいって言ってただろ?」  心配そうな声で問われ、千隼は苦笑した。万一親に連絡が行ったら面倒だ。正直に話そう。 「好きな人が日本にいるんで」  はっきり言う。恥ずかしくもない。 「え、あ、」  担任が目を丸くした。呆気にとられたような顔だ。 「そ、か。うん、そういう理由もアリだと思うぞ。離れるの嫌だよな。好きならな」  あはは、と不自然な笑い声をあげて、担任が「戻っていいぞ」と手を振った。  職員室を出て、自分の教室ではなく、亜生のいる教室に向かう。あらかじめ弁当は持参していた。教室に入ったとたん、視界にパッと亜生の顔が映り込む。本当によく目立つ。  形の良い小さい顔、切れ長の左目に、人形のように見開かれた右目。左耳で光る赤いピアス。  亜生を見るたびに喉が渇く。欲しいのに手が出せない焦燥感にイライラする。でも会わずにいられないのだ。  苛つきに拍車をかけたのは、亜生が一人じゃないということだ。向かい側に座る女の背中に、「俺の席」と呟く。早く退け、と言外に含ませて。彼の頭に馴れ馴れしく載っている手も払った。  胸糞悪い。  亜生が自分以外の誰かと親しく話すのが嫌だ。己の狭量さも嫌になる。でもどうしようもない。二か月彼といて諦めた。  亜生の存在を知ったときから湧き出た高揚感は、静まることがないと悟った。むしろ増幅していく一方なのだ。  亜生のことを初めて認識したのは、三年に上がってから一週間経った頃だ。その日は千隼の誕生日だった。登校したとたん、プレゼントを持った女たちが殺到してきた。教室の前の廊下で、「悪いけどもらえない」と何度も受け取りを拒否しているのに、一向に人の山は消える気配を見せない。イライラしてきて、さっさと教室に避難しようとしたときだった。廊下に屯する女たちに、一喝する男がいた。 「邪魔だから退いて」  苛つきを隠さない冷めた口調。千隼よりトーンが高めで、よく通る声だった。彼は一切、千隼のほうを見なかった。ただ、歩行者を邪魔する女の塊を、ウンザリしたような目で眺めている。  何の他意もない行動だった。邪魔な奴に邪魔だから退けと言い放つ。それだけのことなのに、千隼は彼に目が惹きつけられた。  お前はモテて良いよな、と嫉妬の眼差しを向けてくるウザい男か、千隼と仲良くなっておこぼれに預かりたい下心満載の男しか周りにはいなかったから。  何の思惑もない行動が潔くて気持ち良い。それに彼の顔も印象的だった。切れ長の目に、赤いピアス。形の良い、小さい頭。何物にも屈しない気の強さを感じ取れた。  気になってその日のうちに調査した。すぐに彼が、同じ学年の横内亜生だということが分かった。転入生だと聞いて納得した。だから彼の存在に気が付いたのが今日だったのだと。もっと前からいたなら、もっと前に認識していたはず。  自分から近づいて、自己紹介までした。初めて自分から追いかけた。  亜生と話をするうちに嵌った。口にする言葉すべてに裏がない。なんの思惑もない。マウントを取りたがることもない。シンプルで、一緒にいて楽だった。  そして彼は、外見も魅力的だった。二重の右目は濡れてキラキラと光り、一重の左目は鋭い眼差しを放っていた。彼の顔を見ていると落ち着きがなくなる。彼の姿が視界に入ると、鼓動が乱れ、腰のあたりがざわつく。  気が付けば、喉から手が出るほど欲していた。自分だけのものにしたいと渇望していた。  行動あるのみだった。どんな手を使っても手に入れると、決めた。  翌年の一月末。  卒業試験を受けた千隼と亜生は、周りの友人たちに挨拶しながらも、急いで校門を通り過ぎた。  明日から一緒に、合宿で免許を取りに行くのだ。関東圏だがけっこう遠い。明日の早朝に出発するので、今日のうちに荷造りを済ませるのだ。 「今日は俺の家に泊まるよな?」  千隼が亜生に確認すると、彼が「うん」と頷きつつ、「今日はしないからな」と一言添えた。 「何で」 「明日早く起きなきゃだろっ!」  本気で怒っているようだが、こちらにも言い分があった。卒業試験のために、一週間お預けをくらっていたのだ。今日は絶対にセックスしたい。 「いつも俺が千隼に合わせてるんだから、たまには俺の言うことを聞けよ」   ウンザリしたように亜生が言う。心外だった。 「俺の方が合わせてるだろ。バイトも合宿免許も。亜生がやりたいっていうから」 「俺に付き合えとは言ってないし。むしろ俺の方がさ、千隼の言う通りにしてるじゃん。髪も伸ばしたし」  マッシュショートの前髪を摘まみながら、亜生が笑う。  近くで見なければ分からないアシンメトリーの双眸は、あまりにも蠱惑的すぎて、ゾクリとする。立ち止まって、彼の腕を取った。瞼にかかる黒髪をそっと掴み、額に口づける。 「千隼、ここ道路の真ん中」 「もうバレても良いだろ。次に来るのは卒業式だ」 「まあ、そうだな。話を戻すけど――千隼の望み通り、ここまで伸ばしたんだからな。どうせ髪の毛を梳きたかったからだろ」  彼がいたずらっぽく笑う。口角を上げ、流し見る目つきは、誘っているとしか思えない。 「違うよ、亜生」  亜生は何も分かっていない。自分がどれだけ魅力的で、稀有な個性を放っているのか。外見も内面も。 「亜生は目立たなくて良い」  ――もう俺が見つけたからな。 「千隼?」  不思議そうに見上げてくる彼の唇に、そっと唇を重ねた。了 ※これにて「上から見ても、下から見ても、」完結です。 ここまでお読みくださり、ありがとうございました。 7話後の、千隼が亜生の家に遊びに来たときの話など、今後、後日談や番外編は書いていこうと思います。このカップル気に入っているので。 スター特典でUPできればと思います。
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