⑽ 修学旅行のおみやげ

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⑽ 修学旅行のおみやげ

 夕方の日に照らされた朱色の大鳥居が、うすい水色の空につきさすようにそびえています。空と海とは、色をぬすまれたみたいに色をなくしているのに、大鳥居ばかりはきみょうにくっきりとして見えます。宮島へ向かうフェリーは、修学旅行生と外国から来た観光客とで、とても混み合っていました。 「アオちゃんといっしょに修学旅行に来れたなんて夢みたいだ」  風にあおられた髪をおさえながら、ほうちゃんが言います。 「夢みたいだなんてそれはわたしのセリフだよ」  アオイは答えました。 「ほうちゃんって、いつも人のことを自分のことのように感じてくれるよね」 「え? そうかな?」  ほうちゃんは頭をかきました。  昼すぎに広島市を出発したアオイたち修学旅行の一団は、宮島に移動をして宿泊先の旅館に入所をしました。厳島神社に参拝をし、ホテルにもどって夕ごはんです。夕ごはんを食べおわり、大浴場で体を洗い、とうとう寝るしたくをはじめます。十人部屋におふとんをひきます。  アオイのふとんはいちばん出入口に近い場所にひきました。発作がおこったときに出入りがしやすいためです。けれども、それは万が一にそなえているのであって、アオイも担任の先生も、それほど心配はしていません。この春、アオイのぜん息はとても安定していました。胸がヒューヒュー鳴ることはときどきありましたが、去年の秋以降、発作と言えるような発作は起こっていません。高橋先生にも「修学旅行、楽しんで来てね」と言って送り出されてきました。それでも、予防薬と吸入器を持って来ています。  アオイは、まくらもとに吸入器をおきました。今日は、フィリッポは家でおるす番です。旅先で発作をおこしたときに吸入器かと思っていたらフィリッポだったらしゃれになりません。今朝、アオイは出発前にフィリッポがお母さんのスノードームとならんでいるのを確かめてきました。  ふとんは五枚ずつ二列にならんでいます。列のまん中に、足が来るように、それぞれかべ側にまくらをならべます。アオイはシーツとかけぶとんのしわをのばして整えると、にぎやかにおしゃべりをしながらそれぞれのしたくをするクラスメイトたちをながめました。  今日行った原爆資料館や厳島神社の感想を話したり、明日行く遊園地でなにに乗るか、なんていう話をしています。 『新しい工場、見つかった?』  ふいに、耳元で見知らぬ人の子が言ったような気がしました。 「え?」 『残業代も入れて、九〇〇元くらいはかせげるかも』  また別の方向から声が聞こえます。アオイはバッとふり返ります。  気がつくとアオイは、宮島の修学旅行生用の旅館の部屋ではなく、従業員用の寮の部屋にいました。部屋には二段ベッドがぎしぎしと四台押し込められています。ベッドとベッドのあいだには、ひもがかけられ、そこにせんたくものが下げられています。ドアのすぐそばの二段ベッドの下の段に、アオイは腰かけていました。 『ここの工場に比べて、すごく良いじゃない』 『でも、工場では六カ月以上働かないと、さいしょの一月分の給料は支払わないって言われたの』  まだ高校生くらいの女の子が、下の段のベッドの上にあぐらをかき、髪をとかしながら言いました。部屋には五人の女の子がいて、みんなそれぞれベッドの上で身じたくをしています。それ以外に場所がないのです。 『ヤン・ルーは、もう戻ってこないのかしら?』  だれかが言いました。  アオイは、声がする方を見ました。 『旧正月のたびに、帰ってくる工員が減ってるわね』  上の段の女の子が、足をぶらぶらさせながら答えました。下の段の女の子は、上の段の少女の足をわずらわしそうに見やります。アオイはベッドに腰かけたまま女子工員たちの話をだまって聞いていました。がちゃっとドアが開き、アオイの足にぶつかります。ぶつけられたのはアオイなのに、入ってきた女の子がいやな顔をしました。 (ヤン・ルーは工場をやめたのかしら?) 「ねえ、アオちゃん!」  ほうちゃんに声をかけられて、アオイはもといた部屋にひき戻されました。旅館の窓の外には、庭の木々のむこう側に瀬戸内海の水平線がちらりと見えます。  ホテルの部屋では、まくらなげなんてことはしませんでしたが、みんなはしゃいでいたことにはちがいがありません。だれかが口を開く言うたびに、笑いが波のように部屋の中にわき起こります。部屋に来た先生が「電気を消しなさい」と行ったときには、部屋を暗くしてもこうふんしちゃって眠れないよ、と思ったアオイでしたが、ふとんをかぶったとたんコロンッとねむりにおちてしまいました。  朝が来ました。  目を開けると、部屋はまだうす暗く、カーテンのすきまから朝の光がもれていました。スースーとしずかな寝息が、部屋の底の方にただよっています。クラスメイトはまだだれも目を覚ましていないようでした。 (夢みたいだ……)  アオイは思いました。  家族とはなれてはじめて夜を過ごしたのです。  アオイは、胸いっぱいに息を吸い込みました。 「広島のおみやげって、もみじまんじゅうくらいしかないのかと思ったら、いろいろあるんだねえ」  参道に軒をつらねるおみやげ屋さんを冷やかして歩きながら、ほうちゃんが言いました。あちこちからおいしそうな香りがただよっています。 「もみじまんじゅうを買ってくるって言ったんだけど、もみじまんじゅうもいろんな味があるんだねえ」  ほうちゃんはそう言って、腕を組みます。 「家族へのおみやげって選ぶの、むずかしいよねえ」  アオイもうなずきました。  宮島のおみやげもの屋さんで売っているおみやげは、しゃもじとか、木工細工とか、土鈴とか少ししぶいな、と思いました。かわいいものもあるけれども、ほんとうに欲しいな、と思うものはアオイたちのおこづかいで手がでるようなものではありませんでした。 「やっぱりこういう伝統工芸品というのは、職人が一個、一個ていねいに作っているから高いんだろうねえ」  ほうちゃんが言います。 (それじゃあ、あっちのキーホルダーは?)   アオイは思います。  Tシャツは? 宮島って印刷されたえんぴつは?  もちろん伝統工芸の職人の技術とは比べものにならないのでしょう。けれどもそういう商品も、一つ、一つ作っている人はいるのに。  今日の宮島には、アオイたちの小学校だけではなく、複数の小中学校、高校が修学旅行で訪れているようでした。ゴールデンウィークの後の平日なので、日本人の家族連れというような人たちはあまり見かけませんでしたが、外国人観光客は、修学旅行客と同じくらいよく見かけました。外国人の団体客は、バッグや洋服のえりもとにツアーメンバーであることをしめす旅行代理店のそろいのバッジを付けています。  おみやげもの屋さんはどこもとても混んでいました。 「外人の団体旅行がうじゃうじゃいるなあ、最悪~」  班の男子が言いました。アオイはその言葉にまゆをひそめました。 「なに言ってんのよ!」  そう言ったのは、ほうちゃんです。 「せっかく日本に旅行に来て、うるさい小学生の修学旅行なんかにぶちあたって最悪だって思ってんのはむこうだよ!」  アオイは、ほうちゃんがそう言ってくれてうれしくなりました。 「そうだよ、日本旅行を楽しんでるの、良いじゃん」  アオイも言いました。男子は「なんだよ~っ」と下くちびるをつき出しました。  アオイが宮島らしさとは無関係のぬいぐるみのキーホルダーを見ていたときでした。ふっと顔をあげると、となりにいると思っていたほうちゃんの姿が消えています。 「あれ?」  店内を見まわすと、ほうちゃんだけではなく同じ班の人たちもいません。 「あれ? あれ?」  アオイは、あわてて店を出ました。  おみやげもの屋が軒を連ねる通りは、観光客と修学旅行生でいっぱいでした。  ほうちゃんたちが、アオイをおいて遠くに行くはずがありません。となりのお店に移動をしたのでしょうか。声をかけられたのに気がつかなかったのかもしれません。アオイはとなりのお店をのぞいてみました。同じ学校の別のクラスの子たちがいましたが、同じ班の人の姿はありません。むかいのお店かな? アオイはむかいのお店をのぞきます。 「いない……」  お店の中の時計を見ると、自由時間が終わるまでまだいくらか時間によゆうがあります。商品たなの列を一列ずつのぞいてみます。あれは、と思った背中に声をかけようとして、人ちがいだったりしました。このお店にも、たくさんのお客さんがいました。知らない言葉であふれています。友だちをさがして、きょろきょろとあたりを見回すアオイの目にスノードームが飛び込んできました。 「あっ!」  思わず声を出して、アオイは商品たなに吸い込まれるようにして近づいていきました。  海の上につき出た朱色の大鳥居のスノードームです。台座には、MIYAJIMAという文字と厳島神社の本殿が描かれています。 「ここにもあったのね」  アオイは言って、スノードームに手を伸ばしました。  同じスノードームがたないっぱいにならんでいます。アオイは、一つを手にとりました。ドームをひっくり返して、照明にかざします。雪がキラキラとかがやきながら朱色の大鳥居にふりつもります。アオイは両手で台座を持って、そうっとたなにもどしました。  そのとき、入れちがいにアオイのとなりからにゅっと手がのびました。顔をあげてとなりを見たアオイは、思わず「あ……」と声をあげました。  えり元につけたきんと雲に乗った孫悟空のマークのバッグを付けています。その人は、アオイのお母さんよりも少し背が高く、真っ直ぐな長い髪。黒くて大きなサングラスをしていました。そして、その人のほっぺたにほくろがあります。 「ヤン・ルー?」  アオイはひとりごとのように、ヤン・ルーの名前を呼びました。  女の人は、スノードームにのばしかけた腕をひっこめて、サングラスを外してアオイを見ました。 「アオイ?」  女の人は言いました。  ヤン・ルーでした。  はじめて会ったとき、ヤン・ルーは深圳に出てきたばかりの十七歳で、さいごに会ったときには深圳に来て二年が経っている、と言っていました。少し年上のお姉さんだったヤン・ルーは、今、お母さんと同じ年ごろの女の人です。  それでも、はっきりとヤン・ルーとわかるおもかげがあります。 「ほんとうに、いたんだね。ヤン・ルー!」  アオイはもう一度よびかけました。 「アオイ!」  アオイに答えて、ヤン・ルーも言いました。  そして、アオイをひきよせてぎゅっと抱きしめました。あいま、あいまに「アオイ!」「アオイ!」と名前を呼びながら、けれども中国語で話しかけてきます。ヤン・ルーはアオイが自分の言葉を理解していないなんて思ってもいない様子です。けれども、アオイが自分の問いかけに答えられずに、とまどった表情をしているのを見てとったヤン・ルーは口をつぐみました。 「言葉が通じないんだ……」  アオイがぽつりと言うと、ヤン・ルーも自分の言葉がアオイに通じていなかったことに気がついたようです。けれども、あいかわらず中国語で話しかけながら、あらためてアオイの肩をだきました。アオイもぎゅっと抱き返しました。  アオイとヤン・ルーは肩を抱き合いながら、商品たなにならぶスノードームをながめました。  光がきらきらと反射するガラス玉のむこうに、アオイは見ました。  作業台にならぶ、まだガラス玉がかけられていないスノードームを。  生の色のフィギュアに色をぬるヤン・ルーの背中を。  シンナーの香りがどこからかただよってきます。ヤン・ルーがさいしょにぬったのはなんだっただろう? ニューヨークのかな? 次はどこ? たしかイタリアのどこか。ローマ時代の遺跡や、海に浮かぶ島、三角形の大聖堂に、オレンジ色の丸屋根……。  ヤン・ルーの記憶が、アオイの頭の中にあふれてくるようでした。  塗料が入ったつぼに、筆を入れてとり出すと、筆の先に粘度の高い塗料がたっぷりとつく。つぼのふちに筆をそわせて、よぶんな色がゆっくりとたれていくのを待つ。息を止めて、模型の細部の仕上げをする。そんな作業の感触の一つ、一つがアオイの手に生々しく伝わってきました。  二人はうなずきあい、それぞれにスノードームを手にしました。  アオイとヤン・ルーが会計をすませたとき、お店にほうちゃんたちが入ってきました。 「もう~っ! アオちゃん、どこ行ってたのよ~」  アオイが買い物をしているのを見て、ほうちゃんがまゆをつりあげました。 「ごめん、ごめん。でも、わたしもさがしたんだよ~」  アオイはたちまち班のメンバーにかこまれてしまいました。ヤン・ルーは、輪の外側にいてなにか声をかけようかタイミングをはかっているようでしたが、やがてあきらめてほほえむと、アオイに手をふって行ってしまいました。アオイは友だちの顔のすきまから、お店を出ていくヤン・ルーの姿を追いました。 (ヤン・ルーが行ってしまう! もう二度と会えない……)  そう思ったら、アオイはむしょうにヤン・ルーにもう一度、ふり向かせたいという気持ちがわいてきました。けれども、あたりはとてもさわがしく、自分の言葉はヤン・ルーの知らない言葉です。  アオイが知っている中国の言葉と言えば…… 「マーボー豆腐!」  アオイがさけびました。ヤン・ルーの故郷の食べ物の名前です。 「は?」  ほうちゃんがびっくりして言いました。けれども、ほうちゃんに説明しているひまなどありません。アオイはもう一度、ヤン・ルーの背中にむかってさけびました。 「マーボー豆腐!」  お店から出ていきかけたヤン・ルーが足を止めました。 「マーボー豆腐!」  ヤン・ルーが言いました。ヤン・ルーの口が大きく広がります。大人になったヤン・ルーの顔を見つめたまま、アオイは考えました。マーボー豆腐は伝わったけれども、これでは意味がありません。 (なにか、なにか意味のある言葉は……)  あせるアオイは、きりんのチャンさんが言った言葉を思い出しました。 「……サイツェン」  再び見ると書いて、再見(サイツェン)。さようなら、また会いましょうという意味だとお父さんが教えてくれました。 「サイツェン」  アオイはもう一度言いました。  ヤン・ルーも、アオイの言葉にうなずいて言いました。 「サイツェン」  店の外には、ヤン・ルーを待っている男の人がいました。ヤン・ルーの家族でしょうか。ヤン・ルーは買ったものを男の人に見せています。ふくろの中身を見た男の人は「ハハハハッ!」と笑っています。声は聞こえてきません。けれども、二人の表情からなにを言っているかはわかるような気がしました。 『なんだよ、スノードームなんか買ったのかい?』 『そうよ、ずっと一つ欲しいと思っていたのよ』  はずむような足取りでヤン・ルーは、観光客で混み合う通りに消えていきました。
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