⑴ お母さんのコレクション

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⑴ お母さんのコレクション

 一カ月ぶりにフランス出張から帰ってきたお父さんが、お母さんへのおみやげにスノードームを買ってきました。  スノードームというのは、ガラス玉の中に小さな人形やミニチュアが入っていて、ふるとグリセリン水の中のキラキラがまいあがって雪がふっているみたいに見える、あれのことです。  アオイのお母さんは、スノードームをたくさん集めています。 家族でよく行くショッピングモールのざっか屋さんにも、クリスマスが近づくとスノードームが売りだされます。雪だるまやサンタクロースのフィギュアが入っていて、ラメやセロファンがほんものの雪のようにキラキラとかがやきます。けれども、アオイのお母さんが集めているのはそういうものではなくて、観光地で売っているおみやげ用のスノードームです。ガラスドームの中に、町のランドマークとなる建物のミニチュアが入っていて、台座に町の名前が書かれています。  外国の観光地では、どこでもおみやげ用のスノードームが売られているそうです。はじめての海外旅行でおみやげとして買ったのが、お母さんがスノードームを集めはじめるきっかけでした。  お父さんが買ってきたスノードームは、野球のボールくらいの大きさのガラス玉の中に、パリにある有名な建物が閉じ込められています。  お父さんは、そのスノードームをパリの町を見わたすことができるモンマルトルの丘で買ったそうです。モンマルトルは、むかしは芸術家がたくさん住んでいた地域で、今は世界中からやって来た観光客であふれ、おみやげ物屋がたくさんあったそうです。  アオイへのおみやげは、ルーヴル美術館のミュージアムショップで買った青いカバのおきものでした。古代エジプト美術の展示室にある副葬品のカバの像のレプリカです。手のひらに乗るほどの大きさですが、特殊なラバーでできているのでズシリと重く、冷たくひんやりしています。表面は青くぬられていて、植物の絵が白い絵の具で描かれています。  カバのおきものに、アオイはどんな反応をしたら良いのかわからずにとまどいました。カバがとりわけ好きというわけでもないのです。  美術館のおみやげなら、絵本か、ノートやボールペンなど使えるものの方が良かった、とアオイは思います。おきものなんて、どうして良いのかこまるだけです。それに、アオイはもっとフランスのおみやげだとわかるようなものが良かったのです。PARISと大きく書かれた布バッグとか、I ♥ PARISTシャツとか。  アオイは、お母さんのおみやげの方が良いな、と思ってスノードームに手をのばしました。お母さんは一瞬かばうようなしぐさをして「こわさないでよ」と、言ってからアオイにわたしました。 「こわさないよ」  そう言って、アオイはほっぺたをふくらませました。  小さいころ、アオイはお母さんのスノードームを落として、割ってしまったことがあるのです。けれども、そんなことアオイはおぼえていません。それほど小さかったときのことなのです。アオイはもう五年生なのに、お母さんはいまだにアオイがよちよち歩きの赤ちゃんのように、スノードームを割るのではないかと心配しています。  アオイは、お母さんからわたされたスノードームを太陽の光にかざしました。  ドームをふると、中に入ったプラスチックやセロファンの雪がふわぁっとまいあがります。雪はゆっくりドームの中をまわりながらおりてきます。グリセリン水の中には、小さなラメも入っていて、光があたってキラキラとかがやいています。ラメはいつまでも水の中をただよっていました。  お母さんのスノードームのコレクションは、ぜんぶを出してかざる場所がないので、ほとんどはしまわれています。ひさしぶりにコレクションが増えて、お母さんはとてもうれしそうです。しまってあるスノードームを整理することにしました。「手伝うよ!」と言うアオイに、お母さんは「ほこりが立つから」とまゆをしかめました。お父さんが「それくらいだいじょうぶやろ」と言ってくれたので、お母さんはしぶしぶアオイに整理を手伝わせてくれました。  お母さんは、スノードームをひとつひとつ取り出して、テーブルの上にならべました。四人がけのダイニングテーブルはすぐにいっぱいになりました。アオイとお母さんは、手分けをしてガラス玉をやわらかい布でふき、台座のほこりを筆を使って落とします。お母さんが「マスクをしなさい」と言います。 「これは、さいしょに買ったスノードームよ」  お母さんが言いました。 「もう水がにごっちゃってるわね」  大学二年生のときにはじめていった海外旅行で買ったものです。ニューヨークに行きたくて、アルバイトでお金をためたの、とお母さんは言います。 「これは、どこで買ったの?」  アオイは手に持ったスノードームをお母さんに見せました。  ガラス玉に入っているのは、大きな教会らしい建物と、観らん車です。台座にはお城らしい建物と、二頭ひきの馬車が型抜きされています。VIENNAと書かれていますが、アオイはそんな名前の町は聞いたことがありません。 「それはヴィエナと読むの。英語でウィーンのこと」  大きな教会らしい建物、とアオイが思ったのは、ウィーンの大聖堂でした。  お母さんは、スノードームがならんだテーブルを見まわして、数種類のウィーンのスノードームを指さしました。ウィーンでお母さんは、五個もスノードームを買ったそうです。スノードームは、一九〇〇年ごろにウィーンで発明され、今もウィーンのおみやげものとして人気があるそうです。  ウィーンのスノードームの中には、観らん車や大聖堂、王宮、テレビ塔、エリザベート妃やモーツァルトの人形が入っていたりしました。フィギュアが色とりどりに塗られているものもあれば、全体がセピア色に塗られているものや、まるで大理石のように塗られているものもあります。台座が木製だったり、ガラス玉が球ではなく半円形のプラスチック製だったりしました。 ガラス玉が大きくて台座も木製でできているものはおみやげのスノードームの中でも高級品っぽく見えます。ピンポン玉ほどの大きさのプラスチック製のスノードームは、いかにも安っぽい印象です。  同じ町のスノードームなのに、いろいろな種類があるんだなあ、とアオイは感心しました。  アオイが小さいときに割ってしまったスノードームも見つかりました。割れたガラスは、台座にせっちゃくされていてとりきれずにギザギザと残っています。こわれてしまっても、「旅の思い出だから捨てられないよ」とお母さんは言います。   アオイは、ならべられたスノードームをのぞきこみました。リビングにさしこむ光が、ガラス玉の中をゆらゆらとうかぶラメをキラキラとかがやかせます。  国会議事堂の時計塔ビッグベンと観らん車ロンドン・アイを組み合わせたロンドンの町なみ。台座にもアントニオ・ガウディの意匠がほどこされた、スペインのサグラダ・ファミリア教会。台座のグランプラスの上に乗ったベルギーのしょんべん小僧。二つの高い塔を持つドイツのケルン大聖堂。雪をいただくフランスのモンブラン。 「いろんなとこに行ったんだねえ」  ガラス玉をのぞきながら、アオイが言いました。 「良いなあ。わたしも、行きたいなあ」  そう言うアオイにお母さんは「お母さんも、行きた~い」とあまえたように語尾をのばして言いました。  若いころには、たくさん旅行をしたお母さんも、さいきんではすっかりごぶさたです。仕事で海外へ行く機会が多いお父さんは、いつかお母さんとアオイも連れて行ってあげる、と言っていますが、その「いつか」はまだきていません。  お母さんはスノードームを手にとって「このときはこんなことがあってね……」と旅行の思い出を話してくれます。お母さんの思い出は、このガラス玉の中につまっているようでした。 (行きたいところに行けて。良いなあ……) と、アオイは思います。  お母さんが飾りだなにならべた三つのスノードームを改めて見て、アオイは「あれ?」と思いました。  リビングの飾りだなにならんだスノードームは、ガラス玉の大きさもそれぞれちがっていて、もちろん中に入っているフィギュアもちがいます。それなのに、どうしてでしょう? どれも、そっくりなのです。お母さんがいろいろな国、いろいろな町を旅行して、まったくちがう場所で買ったものなのに、どうしてそっくりだなんて思うのでしょう。  三つのスノードームを前にして、アオイは首をひねりました。  放課後、遊びに来たほうちゃんは、リビングに入って来るなり飾りだなにならんだスノードームに気がつきました。 「わ~、すてき~!」  ほうちゃんはそう言いながら、飾りだなに近づきました。 「お父さんのおみやげなの。お母さんに、だけど。」 「ああ、アオちゃんのお父さん、帰ってきたんだね。それじゃあ、これはおフランス製ざますね」  ほうちゃんはおどけて言って、お茶道具をはいけんするみたいなうやうやしさでスノードームを両手で持ちました。  ほうちゃんもスノードームをふって、エッフェル塔に雪がふるのをながめました。太陽の光がガラスを通して、ほうちゃんの顔の上でちらちらとおどります。 「これがお母さんへのおみやげなら、アオちゃんへのおみやげは?」  アオイは無言でスノードームのとなりにおいてあるカバを指さしました。お母さんがスノードームをならべたのを見たお父さんが「カバのおきものもかざろうや」と言ってならべたのです。 「これ?」  ほうちゃんは、目を丸くしてカバのおきものに手をのばしました。「あ、重い」ほうちゃんはスノードームにしたのと同じように、カバをていねいに両手で持ちました。 「あんまりフランスって感じじゃないみたい」 「そうでしょ! わたしもそう思う」  アオイもほうちゃんのとなりに立って、手の中のカバをのぞきこみました。 「エジプトのカバなんだって」 「フランスに行ったのに、どうしてエジプトのカバなの?」 ほうちゃんはみけんに深いしわを寄せて、カバをじっくり見ました。 「この花とか葉っぱはなにかな?」  そう言って、ほうちゃんは首をひねりました。 「ルーヴル美術館で買ったらしいよ」  アオイが言うと「ルーヴル美術館!」とほうちゃんが食いついてきました。 「良いなあ~。アオちゃんのお父さん、ルーヴル美術館に行ったの?」  絵を描くのが好きなほうちゃんは、フランスのルーヴル美術館で《モナ・リザ》を見るのが夢なのだ、といつか言っていました。  今日は、外は雨です。つゆに入ってから、毎日のようにぐずぐずとした天気が続いています。アオイの、一番、きらいな季節です。外では遊べないので、二人は絵を描こう、ということになりました。ほうちゃんは青いカバの絵を描いてくれました。その絵がとてもかわいかったので、アオイは不満だったお父さんのおみやげがちょっと好きになりました。そして、自分でもカバの絵を描いてみると、青いカバのおみやげもあんがい悪くない、と思えました。  ほうちゃんが帰ったあとにパートから帰ってきたお母さんは、二人が描いた絵を見てほめてくれました。 アオイが描いた絵を見ていたお母さんは、カバのおきもの、それにスノードームをかわるがわる見比べて言いました。 「あら……。ここに飾ったスノードームを買った町、パリでも、トリノでも、ニューヨークでもウィリアムを見たわ」 「ウィリアムってなによ?」 「カバの像に名前がついているのよ。でも、なんでウィリアムなのかしらね? エジプトっぽい名前じゃないし」  どんな名前だったらエジプトっぽいのかも、わからずアオイは首をかしげました。 「こんなふうに描いてもらえてウィリアムもしあわせね。飾っておこうよ」  お母さんはそう言って、スノードームと青いカバの後ろに、アオイが描いた絵をさしこみました。自分の絵がかざられて、カバのおきものが「ふふんっ」と笑ったようにアオイには見えました。    その夜のことです。  胸の奥からひびくヒューヒューという音で目がさめました。のどの奥がきゅうっとしめつけられて、息ができません。  ぜん息の発作です。  アオイは暗やみの中、手さぐりで吸入器をさがしました。夜中に発作を起こしたときのために、まくらもとのたなに吸入器をおいているのです。暗やみの中で吸入器を見つけ、アオイはむさぼるように薬を吸い上げました。 アオイはひどい小児ぜん息で、とくに雨の多い季節にはよく発作がおきます。つゆ入りしてから、もう二回も発作がありました。 (高原学校に、行けなくなっちゃう……)  吸入器から薬を吸い上げながら、アオイの頭の中はそのことでいっぱいでした。  来月のあたまに、高原学校があります。氷ノ山(ひょうのせん)に登り、ハチ高原でキャンプをする、五年生の一大イベントです。アオイは高原学校をとても楽しみにしていますが、参加できると決まっているわけではありません。担任の先生、保健の先生と話し合い、前の日に病院で診てもらってぜん息が出ていないことを確認してから参加するかどうか、決めることになっていました。  呼吸が落ちついてから、アオイはゆっくりと立ち上がりました。薬を吸ったあとは、うがいをしなくてはなりません。リビングを通って台所に行きました。うがいをしながら、アオイは今日の発作は大したことがなかった、と思いました。 (お母さんには、発作が起きたこと、だまっていても良いかな)  ゴロゴロ、ペッ。ゴロゴロ、ペツ。  そのあと、コップに水を満たして、一口飲みました。流しの前に立って水を飲んでいると、リビングに外から月の光がさしこんでいるのが見えました。朝からふりつづけていた雨がやんだのです。  電気を点けていないのに、リビングはほのあかるく照らされています。  月の光は、飾りだなのスノードームを照らしているように見えました。  アオイは、コップを流しにおいて、スノードームに近づきました。スノードームがアオイを呼んでいるような気がしたのです。  スノードームは、ニューヨーク、パリ、トリノの順番にならんでいました。ガラス玉が一番大きいパリが真ん中です。お母さんがバランスを考えておいたのですが、今はパリとニューヨークの間に、カバがいました。お父さんがそこにおき直したのです。  アオイは月あかりに照らされる一番大きなガラス玉をのぞきこみました。 (良いなあ、お父さんは。それにお母さんも)  アオイは、まるでほうちゃんが言ったのと同じように思いました。 (わたしも、外国に旅行したいなあ)  そう思ったときでした。どこからか、声がしました。 ――つれて行ってあげるよ。 「え?」  アオイはおどろいてふり返りました。けれどもリビングにはだれもいません。 ――パリに行きたいんでしょ? 「え? だれ? お父さん?」  言って、アオイは入り口のドアを見ました。アオイはベッドで目をさましてから、時計を見ていないので今が何時なのかわかりません。もしかしたら、お父さんやお母さんはまだ起きている時間なのかもしれません。 ――ええ~、ちがうよ。こっち、こっち!  飾りだなから声がします。  アオイは息をのみました。 ――ぼく、カバのフィリッポ!  青いカバが前足をちょいっとあげて、あいさつをしました。 「え、え、え、ええ~~~??」
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