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⑹ また、会いましょう
お父さんとお母さんが言うには、アオイの意識が遠のいていたのは、ほんの一瞬のことのようでした。けれども、アオイからしてみればニューヨークをたっぷり観光したあとで、とてもつかれていました。寝室にもどってねむりましたが、いつも起きる時間には起きられませんでした。
アオイが起きたときには、お母さんはパートにでかけていて、お父さんがダイニングテーブルにノートパソコンを広げて仕事をしていました。
階段から降りてきたアオイに気づいたお父さんは、ふり返って立ち上がり、朝ごはんの準備をしてくれました。
「具合どう?」
食パンを焼き、牛乳をコップにそそぎながらお父さんはアオイに聞きました。
「うん……なんか、つかれた」
アオイは言いながら、ダイニングテーブルにどっかりと腰をおろしました。
「午前中に病院行っとこ」
言いながら、お父さんは朝ごはんをアオイの前に出します。
「ええ~、もうだいじょうぶそうだけどなあ」
言って、アオイは深呼吸をします。ヒューヒューと鳴るいやな音はもうしません。「それでも、発作があったんやから」と、お父さんは言いました。
高橋先生のクリニックは、とても混んでいました。アオイは本を読みながら、お父さんはノートパソコンで仕事をしながら、名前が呼ばれるのを待っていました。待合室のテレビでは、昼のワイドショーがもうはじまっています。
《外国人観光客に人気のおみやげをリポートします!》
テレビから聞こえるそんな一言に、アオイは顔をあげました。画面には、大型観光バスからずらずらとおりてくる外国人観光客やカートにトランクを何個も積みあげて出国ゲートを抜ける外国人観光客の映像が流されています。
《それでは外国人観光客がなにを買っているのか、インタビューをしてみましょう!》
リポーターがマイクを持って、外国人観光客の後をおいかけて、大量に購入したおみやげものの中身を見せてもらっています。ドラッグストアで売っているような市販薬やけしょう品、しっぷとかおでこにはる保冷剤、おかしやインスタントラーメンもあります。デジタルカメラやイヤホン、すいはん器などの電化製品もあります。
《見てください! ウォシュレット付きの便座ですよ!》
荷物をあさるリポーターが、こうふんぎみに報告します。取材を受けているのは、裕福そうな中国人観光客です。
「こういう家電って、中国じゃ買えへんのかなぁ?」
お父さんもテレビを聞いていたのでしょうか。パソコンから顔をあげて言いました。
「日本ののが性能が良いんじゃない?」
アオイがあてずっぽうに答えます。
「いや、だってウォシュレット付き便座なんて、中国の工場で作ってるんやからさ、わざわざ日本に来て買わんでも、中国でちょくせつ買えばええのに」
と言うのでアオイは中国の工場という言葉におどろいて「もしかして、深圳?」と聞きました。ヤン・ルーが働いている工場がある町の名前です。すると、お父さんは「アオちゃん、深圳なんてよく知ってるなぁ」と目を丸くしました。
「深圳は世界の生産工場って呼ばれてた時代もあったんよ。世界中の企業が中国の安い労働力をめあてに工場を建ててん。でも、すごい勢いで経済成長をした今の深圳は、高層ビルが立ち並ぶ大都会で、土地も人件費も高くなっちゃったから、工場は中国国内の別の町や、東南アジアの別の国に移っていっちゃってるけどね。ひところは、買うもの買うものメイド・イン・チャイナだったんやけど、さいきんはメイド・イン・インドネシアとかメイド・イン・バングラデシュなんていうのもよく目にするようになったね」
アオイは、ヤン・ルーが言っていた「世界中のおみやげの大半を、中国で作っている」という言葉を思い出していました。
「おみやげものなんかも、深圳の工場で作ってるの?」
「キーホルダーとか、おきものとか、町の名前が入ったTシャツやらエプロンなんかは、ぜったいその土地とは関係ない外国の工場で作ってるんやろなあ」
そう言って、お父さんは「カカカッ」と笑いました。
「それじゃあ、スノードームも?」
お父さんはアオイの質問にこともなげに「そうだろうなあ」と言います。
「それって、お母さんも知ってるのかな?」
アオイは声を低くして言いました。
「海外旅行の思い出に集めているものが、全部、中国の工場で作っているなんて知ったら、お母さんショックを受けるんじゃない?」
するとお父さんはまたカカカッと笑いました。
「そんなの、お母さんだって知ってるよ」
アオイは「わたしは、知らなかったし」とほっぺたをふくらませました。
「だけど、お母さんはスノードームはウィーンで発明されたって言ってたよ」
「発明されたのがどこでだって、関係ないさ」
お父さんが言いました。
アオイは、おみやげものを買った場所のことは考えても、おみやげものを作っている場所や人のことなんて、考えたこともありませんでした。
《食べ歩きをしたものを平気で路上に捨てるので、外国人観光客が帰ったあとは、とにかくゴミが多いんです》
ワイドショーでは、観光地で働く人の声を紹介し、外国人観光客が団体でおしよせてマナーが悪いので、観光地ではとてもめいわくしている、と伝えています。
《とくにかく声が大きくて、お店中に響きわたるような声で話すのがうるさくて、ほかのお客様のごめいわくになっています》
《団体で来て、道をふさぐのも困ります》
そんな声に、お父さんが「フフンッ」と鼻を鳴らしました。
「外国に旅行しに来て、楽しんでるんやろ? それくらい大目に見てやりぃや」
けれども、アオイはお店の人の声に、胸の奥がズキッと痛みました。それというのは、アオイにも心あたりがあったからです。
ゴールデンウィークに、ほうちゃんとクラスメイトの五人で、ショッピングモールの中にある映画館に、映画を見に行ったときのことです。
子どもだけで映画に行くのははじめてのことでした。上映前に、ジュースとポップコーンを買って五人で横ならびの席に座りました。みんなこうふんしていて、いつもよりも大きな声で話し、いつもよりも大きな声で笑いました。映画の上演中は、もちろんおしゃべりはしませんでしたが、クスクス笑いは止まりませんでした。
映画館から出てきた五人は、横一列にならんで歩きました。両はしの人にも声が届くように大きな声で話します。映画の結末がよかったとか、あの場面のあのキャラクターがかっこう良かったとか。そして一人が話すごとにみんなが「キャー」、「うそぉ!」、「やば~い!」と言って笑いました。
そのときは、それが楽しくて、ほかの人のめいわくになっているなんて思いもしませんでした。それに気がついたのは、映画のあとに行った子ども向けの安いアクセサリーやメイク道具、キャラクター付きの文ぼう具を売っているお店に行ったときです。
アクセサリーやバッグを、かたっぱしから試着をし合い「かわいい!」、「似あう~!」と大さわぎをしたのです。あんなに楽しいショッピングははじめてでした。お父さんとお母さんがいないと、自分がいっぱしのお客さまになったような気分でした。
ほうちゃんがショルダーバッグをかけて、あっちから、こっちから角度を変えて鏡にうつった姿をながめているときでした。アオイは少しはなれたところで、自分もバッグを選びながら「似合うよ」とか、「色が良いね」とか声をかけました。
そのとき、お店のお姉さんに声をかけられたのです。お店に来てくれてうれしいけれど、お店のものはみんな商品だからもっと大切にあつかって欲しいし、ほかのお客さまのごめいわくになるから、大きな声で話したりかたまって通路をふさがないでほしい、と。
みんな注意をされてショックを受けました。注意されるような、ほかのお客さんにめいわくになるようなことをしているとは思っていなかったからです。
友だちどうしでたくさんいっしょにいたことで、気持ちが大きくなってしまったのでしょう。とても楽しい一日だったにもかかわらず、アオイたちはがっくりと落ち込んでショッピングモールを後にしました。
そんな経験から、アオイは外国人観光客の気持ちがわかるような気がしました。
「それにしても、外国人団体客をばかにしたみたいなとりあげ方は、お父さんは好きじゃないなぁ」
お父さんがテレビの画面をにらみつけて言いました。
「インバウンドがどうだの、観光立国をめざすだの言ってるくせに、いざ外国人が来たらこれだもんな」
お父さんは、鼻をフンッフンッ鳴らして言いました。
「あ~、アオちゃんが深圳の話なんてするから~、中華料理が食べたくなってきたよぉ~」
お父さんが言いました。
「よし! お昼ごはんは中華にしよう!」
診察が終わると、もうお昼ごはんの時間を過ぎていました。クリニックは家の近所なのに、わざわざ三十分もかけて、お父さんの会社の近所にある中華料理屋さんまで行くことになりました。『中国四川料理きりん』です。アオイははじめてでしたが、お父さんの行きつけの料理屋さんのようで、小さな店内に入るなり、中国語なまりの日本語で「ひさしぶりだね~」と店長のチェンさんにあいさつをされました。
「こんな時間にめずらしいね」
と、チェンさんが言ったとおり、時間は二時を過ぎています。
会社の昼休みに来ると、カウンターだけの店内はいつもいっぱいで店の外まで行列ができるのです。今はもうお店のピークは過ぎていました。それでも二人が席につくと、もういっぱいでした。
「お父さん、マーボー豆腐定食にするよ。アオちゃんはどうする?」
席に座るなり、お父さんが言います。チャーハンにする、と言うアオイに、定食のごはんをチャーハンに変えてもらえるから定食にしたら、と店のシステムをよく知るお父さんがアドバイスをします。
アオイは手書きのホワイトボードに書かれた『本日の定食』の中から「若鶏、茄子、しめじ、ブロッコリー、キャベツの炒め物」定食を頼みました。炒め物はこっくりとこくがあり、とてもおいしく、アオイは大満足でした。
「マーボー豆腐定食と、若鶏の炒め物で……」
チェンさんがお父さんとアオイが食べたメニューを声に出して言いながら、レジを打ちます。
「二千二百円です」
お父さんがおさいふから百円玉を出すのを待っている間に、チェンさんが「おいしかったですか?」とアオイに話しかけてきました。
「はい、とってもおいしかったです」
アオイが言うと、チェンさんはとても満足そうに笑いました。
「それは良かったです。また来てくださいね。サイツェン!」
チェンさんはお父さんから受け取ったお金をレジに入れながら言いました。店を出たアオイは、お父さんに聞きました。
「ねえ、さっきチェンさんが言ったの、どういう意味? 中国語?」
お父さんは「え、なに、なに? チェンさんはなにを言ったの?」と首をかしげました。
「サイ……なんちゃらって」
「サイなんちゃら? サイツェンって言ったのかな?」
アオイは「たぶん、そう」とうなずきます。
「ああ、じゃあ、さよならって意味だよ。再び見るって書いてサイツェン。また会いましょうって意味もあるんよ」
「へえ……。サイツェン、か」
アオイは、はじめて知った中国語の単語をつぶやきました。
週があけて学校に行くと、クラスメイトが高原学校のおみやげに、キャンプ場の創作体験で作った木でできたブローチをくれました。うすく切った木のコースターの上にいろいろな木の実をはりつけてもようを作ったものです。クラスメイトはそれぞれ自分の分のブローチを作っていて、ランドセルのわきにつけています。
高原学校をいっしょになしとげたことで、クラスは結束が高まったように見えました。あいにくの悪天候で登山もテント泊もさんざんだったと、クラスメイトたちは顔いっぱいに笑顔をうかべて教えてくれます。アオイは一人、クラスメイトたちのあいだにへだたりを感じました。
その日の放課後、アオイはほうちゃんといっしょに帰りました。
ほうちゃんが、アオイのランドセルにつけたブローチをちらりと見て、言いました。
「そんなおみやげ……くやしいだけだよね」
ほうちゃんのランドセルを見ると、ブローチはついていませんでした。
「高原学校、アオちゃんといっしょに行きたかったな」
ほうちゃんは、まゆ毛をハの字にして「修学旅行はいっしょに行こうね」と言ってくれました。
(……修学旅行か)
ズンッと、気持ちが落ち込みます。
(修学旅行には、行けるのかなあ)
小児ぜん息と診断されて以来、お父さんとお母さんはアオイを治すために、家の壁をしっくいに塗り直したり、ふとん用のそうじ機を毎日かけたりしてくれました。アオイも体をきたえるためにスイミングスクールに通い、薬もきちんと処方された通りに飲んできました。高橋先生は「良くなってる、強くなってるよ」、「小児ぜん息のほとんどが大人になるまでには治るから」、「アオちゃんは治療、がんばってるよ!」と言ってくれますが、アオイはだったらどうして? という気持ちになります。クラスメイトたちのほとんどはなにもがんばらなくても健康で、どうして自分はこんなにがんばっているのに息が苦しいのはどうしてだろう、不公平だ、と思います。
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