深海の泥

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 灰原は信じる宗教を持っていなかった、それは両親も同じであった。しかし、クリスマスを祝うし、祖父の葬式ではお経を唱えた。  そして、当たり前のように輪廻転生を信じていた。輪廻転生の詳細は分からない。ただ何となく魂だけの存在となり今とは違う時代・世界で今とは違う存在になるんだろうなという認識。  その認識にご都合を含めて、彼の中での輪廻転生は「全部なかったことにしてもう一回」という解釈であった。  故に彼は、簡単に死に縋ってしまったのだ。  「やり直し」それは、とても魅力的な概念だ。  だが、人は死んだあとどうなるのか。という問題については答えを出すことなんてできない。死の先のことなんて誰もわからない。だからこそ、人はその深淵的な恐怖に対し、様々な解釈を信じることで問題を隅に追いやる。  繰り返すが死んだ後のことなんて誰もわからないのだ。  突如、死んだ灰原が目を覚ました。  死者蘇生などではない。彼は死んでいる。死んでいることの証明は難しい状況ではあるが、暗い海のそこで人は生きられない。故に死んでいるといえるのではないだろうか。  しかし、彼は動いている。さらに意識もあるのだから死んでいないとも思える。  だがやはり、死んだ後のことは誰にもわからないのだ。故に、意識をもって動いていることを「死んではない」と決めることはできない。  動き回る死後の可能性もある。  幽霊みたいな解釈もある。  そう、まさしく今の灰原は幽霊であった。深海の幽霊だ。  意識がはっきりし始めるのと同じくして、異常なほど灰原は冷静になっていく。自分が夜の海に沈み死んだこと。また、死ぬ前の生活・人生をちゃんと覚えていること。自分が灰原であること。  深海の定義ははっきりとはしていないが、水深200m以上になると太陽光が届かないため、その先が一応深海と呼ばれている領域になる。  灰原がいるその空間はまさしく光のない闇の世界であった。  灰原はその深海の底に立っており、水を感じるが濡れている感覚は一切なく、水中での動作に不便さもなかった。また、地上と同じように上に浮かぶことができなかった。  灰原はここが死後の世界だと仮定した。しかし、同時にここはまだ生きていた時の変わらない世界であり、真っ暗な海の底にいるだけだという考えもあった。  灰原はこの場所についてもっと知るべきだとして、足を進めた。砂煙が上がることもなく、水の抵抗も感じず。本当に前に進んでいるのかも怪しい。  彼はひどく混乱していた。  一体これは何なのか。死後このような状態になることの意味について図りかねていた。死ねばみんなこのように幽霊みたいな状態で動き回れるのか。みんな暗闇の中を彷徨うのか、それとも地上で死ねば地上を彷徨えるのだろうか。じゃあ、それが生死のシステムとしたらそのシステムにどういう意図があるのか。終わりがあるのか、次があるのか。  死んだ後ではそんなことを考える意味もない。  ただ、そんな風に自分を俯瞰してみて、思うのだ。  死んでも自分は孤独なんだな。死んでも自分は普通ではないのだな。そう思って、悲しくなる。その悲しみにすらもう意味はない。  突如、一匹の魚が脇を通り過ぎていった。
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