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薬品が焦げる刺激臭と白煙で、目と鼻の奥が痛み涙と鼻水が溢れ出る。
咳き込みながら壁に手を当てて手探りで窓を探し、探り当てた窓を拳で殴る勢いで開いた。
「ゲホッゲホゲホッ! 何が、ちょっとエメル! 今度は何をしたの!?」
「ゲホゲホッ」
白煙が開いた窓から外へ流れて出ていき、室内の奥から口に手を当て灰色のローブを頭からかぶった人影が姿を現した。
顔を覆うぼさぼさの黒髪を手で払いのけ、煤けて灰色になったローブを女性が叩けば室内に漂う白煙は消えていく。
「おっかしいわねーこの呪文の組み合わせで異界への扉が開くはずなのに、失敗するなんてー?」
首を傾げた女性は振り返り、紺色の目を丸くしてアシュリンを見た。
「あら、アシュリンじゃない。そうか、アシュリンが入って来たから呪文が崩れたのねー」
爆発の原因が判明して、納得したらしい女性は腕組みをして何度も頷いた。
「あのねぇ。朝から変な実験しないでよ。はいこれ。どうせ、徹夜で実験をしていてご飯も食べていないんでしょう?」
「うわぁ! ありがとうー!」
アシュリンが差し出したランチバックを見た途端、女性は眠たそうだった目を開いた。
魔導書と薬草が詰まった袋を除けて、一部木目が見えるようになったテーブルの上に受け取ったランチバックを置き、年季の入った椅子に座った女性は頬を紅潮させる。
「うわぁ美味しそう―! いただきまーす!」
ランチバックから取り出した弁当箱の蓋を開き、歓喜の声を上げた女性は勢いよく肉団子にかぶりついた。
シンクに置いてあった縁の欠けたカップを水で洗い、アシュリンはトートバックから持参した水筒を取り出した。
洗ったカップに紅茶を注ぎ、魔女エメルの前に置く。
「ねぇ、エメル。今日は注文していた軟膏を貰いに来たんだけど、もう出来ている?」
「うんん、軟膏はそっちの上に……あらまぁー」
「あー!」
エメルが指差した先を見て、アシュリンは目を丸くする。
割れた硝子の器と陶器の器と、色とりどりの薬品と液体が床に落ちて散乱していたのだ。
「さっきの爆風で全部吹き飛んじゃったみたい」
苦笑いしたエメルはペロリと舌を出し、アシュリンはがっくりと肩を落とした。
注文していた軟膏が吹き飛んだ原因、エメルが徹夜で何の実験をしていたか訊いているうちに頭が痛くなってきて、アシュリンはこめかみを指先で揉む。
「へー、異界への扉を開く魔法が完成出来たら凄いわね。王宮お抱え魔女に成れるんじゃないの?」
異界の扉を開く魔法とは、人の魔力程度では時空を歪ませるのは無理だと一蹴したいところだが、気になったことはとことん研究するエメルなら仕方ないかと納得する。
「そんな役職はいらないけど、費用と材料を気にしないで研究に没頭できるのは魅力的ね。ただ、今の王様は平和主義だから国を乱すような魔法は受け入れてくれないわね。あ、そうだお詫びにこれをあげるわー」
弁当の中身を全て食べ終わったエメルは、テーブルの上に置かれていた小物入れの引き出しを開けた。
エメルが引き出しの中から取り出した物を目にして、アシュリンは眉を寄せる。
「これはなに? 禍々しい魔力を帯びているじゃないの」
「ああ、これ? この魔力のヤバさに気が付くなんてさすがねー。この前、流れの商人からおまけでもらったのよ。薬を納品できなかったお詫びにあげるわ」
テーブルの上に置かれた天色の宝石がはまった耳飾り。
金細工が施され高価そうな耳飾りは、片方だけの上に黒茶色の汚れが付着していた。
「……この汚れは血でしょう? 高価なものでも、血が付いた物は恐いしいらないわ」
「いわくつきなものって、処理が面倒くさいから私もいらないのよねー」
あはははーと、声を出してエメルは笑った。
薬局の開店時間直前まで、アシュリンは爆風で荒れたエメルの家の中を片付けた。
いつも通り、医院からの処方箋を持って来た客に薬を用意して、常連客の老婦人達と話をしているうちに一日はあっという間に終わる。
学校から帰宅したシュレッドと一緒に夕食を食べて、翌日の店の準備と弁当の下拵えをしてからアシュリンはベッドに入った。
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