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だが、十三年も外に出られない生活は心身へ確実に影響を及ぼしていた。
本人は明確に言葉にしないが、渚は家から出られない分、しきりに外との関わりを持ちたがっていた。刑事を門前払いしないのもそのためだ。
十三年も姿を見せないとなると、たとえ筒木に見つかるかもしれないリスクを背負っていても、これまで蓄積した疲労やストレスを発散したくなるのは当然の心理だった。
できることなら、この手で渚を解放したい。
だが今でも筒木の名に対してパニックを起こす渚を思うと、風間の口から「もう大丈夫だよ」とは、口が裂けても言えなかった。
風間の手で渚を部屋着に着替えさせると、体をベッドの中心にしっかり寝かせ、シーツをかけた。
「風間さん」
スーツを持って部屋から出て行こうとすると、渚に呼び止められた。筒型のクッションに座るよう促されたので、言われた通りにした。
渚はシーツから手を出して風間の手のひらを掴み、食い込んだ爪の痕をなでた。父親の名残を残す渚の視線に、風間は絡め取られる。
「元倉さんに何か言われたんですか?」
「何もないよ」
「うそ。私もちょっと、あの人の言葉には思うところがありますもの」
渚がどの言葉を思い出しているのかは、風間にも容易に想像できた。
──成人してもここにガキみたいに引きこもってるつもりか。
「『私』だなんて一人称で背伸びしていますけど、けっきょくは何もしないままです。大人になっても邸宅に閉じこもる生活を続けてもいいのかな」
「いつあの男が現れるかもわからないんだから、ここが一番安全なんだ」
それに風間の試算では、古代家の財産は渚が一生食うに困らないほど有り余っている。この生活を続けて文句を言われる筋合いは、本来ならないはずだ。
「筒木は本当に、まだ生きているんでしょうか。姿を消してもう十三年も経って、世間では死んだことにされているのに」
日本の法律では、行方不明者は七年経つと死亡扱いとされる。つまり筒木は、法的には死亡して六年が経過しているということだった。
「遺体が見つかっていない。それに、渚が今のまま外に出たら、さらに体調が不安定になってしまうよ」
「そうだけど……あの日のことは記憶に靄がかかっているようで、実はうまく思い出せていないんです」
渚は風間の手を離し、額の上でゆるく拳を握った。
「胸を壊してしまいそうな恐怖だけはあるのだけど、記憶そのものは思い出せない。血と……明滅する光のようなもの。誰かの二つの目。真っ暗な闇。私の悲鳴。あとは……風間さんが強く握ってくれた手の感触」
遠くを見つめる目とともにブラックボックスの中身を羅列していき、渚は最後には肩をすくめた。
「……それだけ」
「凄惨な記憶から渚の心を守るためだよ。無理に思い出すと、本当に心が壊れてしまう」
「でも、私が何も思い出せないせいで、風間さんをここに縛りつけているのだと思うと……」
風間は、驚きで内臓がひっくり返りそうになった。
まさか自分のために渚が心を痛めているのだとは。そんなことはあってはならない。自分は空気と同じくらいに希釈された、取るに足らない存在なのに。
「今だって、私の世話は義務じゃないんですよ。過去のことであなたが胸を痛めることは何ひとつないんです。ね?」
風間はとっさに視線をそらした。
「……そうだね」
すると渚は身じろぎをして、上半身を風間へ寄せた。
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