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事件に始業と就業はなく、朝も夜中も関係なくそれらは起こる。
朝方。寝ていた風間はスマートフォンのバイブに叩き起こされた。アラームではなく電話だったので取ってみると、元倉警部補の低い声が『事件だ』と告げた。
『古代渚向きの、痴情の絡んだ謎多き事件らしい』
「なんですかそれ」
『知らん。安田に聞け』
詳しいことは現場で話すと言われた。
風間が起き上がってカーテンを開くと、まだ薄い朝日が目をちかちかと刺激した。
部屋着を脱ぎシャツを羽織る。ふと腹部に手をやって、二度と消えぬ縫合された傷口に指で触れた。最近までずっと痛みを抱えていたこの傷口も、もう時々ひきつる程度にしか感じなくなった。
痕は二度と消えないが、痛みはいつか癒える。
服を着替えて部屋を出ると、広い廊下を歩く。キッチンに降りて湯を沸かす。紅茶の缶をきゅぽんと開けると、渚の好きな香りが広がる。ティーセットのトレイを持って階段で二階に上がり、寝室の扉に呼びかける。
返事がないとわかっているので、そのまま扉をゆっくりと開けた。
頭までかぶったシーツに手を伸ばし、肩に手をかけてゆっくり揺さぶる。
「渚」
ううんという声と共に、もぞもぞとシーツの中が動いた。
「渚、起きて」
「……事件ですか、事故ですか」
「一一〇番じゃないんだから」
少し前までは、もう子供じゃないから何事も自力でやるのだと、鼻息荒く意気込んでいたはずなのだ。
シーツから右腕だけが出てきた。その手にティーカップを持たせてやると、這い出た渚の顔が、寝ぼけながらも微笑みを作る。
「おはようございます」
世界一無防備で、世界一愛しい笑みだった。
「おはよう」
部屋のカーテンを開け、渚が紅茶をちびちびと飲み終えるのを待ち、適当な服を見積もってベッドの上に置く。低血圧な渚の目が覚めるのを待つと、彼はやっと起き上がった。白く細い脚。透き通った肌。柔らかい茶髪がマッシュショートに切りそろえられている。渚はよろよろと着替え始めた。
「『痴情の絡んだ謎多き事件』ですか」
渚の脱いだ部屋着を風間が回収する。
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