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「なにぶん上からの命令なものですから。それに、現場に出ていないからこそニュートラルにものを推理できるんじゃないですかね」
安田がとりなすと、渚は視線を声のほうへ向けた。
「私があなたを観察してわかるのは、そのロレックスが2022年モデルだということくらいですよ」
「え、わかります?」
安田は浮かれて手首の腕時計をいじった。風間もつられて視線をロレックスに向ける。今は2023年6月なので、ほとんど最新モデルらしい。
元倉は部下をねめつけて、その肩をはたいた。
「おまえ、それ着けてくるなって言っただろうがっ」
「だ、だってお気に入りなんです」
「安田さんは新人ですか? 元倉さんもそうですけど、今までいらした警察のかたの中では見ないお顔ですね」
「はいっ、現部署に着任から半年──」
元倉がテーブルの陰で安田の足を蹴りつける『ゴッ』という音が聞こえた。
「さっさと捜査資料出せ」
「あ、はい」
安田はスーツからくたびれた手帳を取り出したあと腰を屈ませて、床に置いていた鞄から資料のバインダーを取り出す。そのわきから風間がすかさず、バインダーを取り上げた。
「渚は捜査すると一言も申し上げていませんが」
「あんたとしてはどうなんだ、風間さん」
元倉が風間に矛先を変えて追撃をかけた。
「あんたも元は古代善の助手だ。経験値はありすぎるほどあるんだから、彼のサポートは十分にできるはずだろう」
風間は眉根一つ動かさない。
「古代先生が探偵だったからといって、渚にも同じ肩書を押し付ける権利は、ぼくにはありません」
「だけどほら、父親の代わりに迷宮入りした事件も解けるかもしれないじゃないですか。筒木肇のゆく──」
行方とか、と最後まで言う前に、風間は安田の胸ぐらを掴み上げていた。
その単語だけは聞き逃せない。
筒木肇。その名前だけは──。
「その名前だけは、渚の前で口に出すな」
椅子から腰が浮き上がるほどの強い力で、安田を絞め上げる。
ティーカップがソーサーに落ちる耳障りな音がした。
「風間さん」
驚きと懇願を含んだ渚の声が、背中に聞こえた。離せと言いたいことは風間にも伝わっている。
「おい、やめろ」
元倉が風間の手を引き剥がそうとした。だが風間の手は緩まない。
「悪かった」元倉は即座に下手に出た。「手を離してくれ」
そう言われてやっと手の力が抜けた。解放された安田が、咳き込みながら椅子にどんと腰を落とす。だが相手のことなどかまっていられず、風間は早歩きに戸口へ向かい、扉を開け放った。
「お引き取りください」
自分ですら氷点下を感じさせる声音に、元倉は引き際を察したようだった。
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