初恋の相手

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初恋の相手

「…私、玲次さんに謝らなければならないことがあるんです…」 目の前で俯きながら、そう告げてきた彼女の名前は時田 鏡花<ときた きょうか>。 俺、水田 玲次<みずた れいじ>の恋人である。 今日は鏡花の誕生日で、二人でそれを祝うために俺が彼女を家へと招待し、これから食事を始めようとした矢先の出来事だった。 彼女の元気が無いことには何となく気付いていたが、普段通り接しようとしている彼女の姿に敢えて口にせずにいた。 しかし、テーブルに料理を並べ、彼女に祝いの言葉をかけると俯いてしまったのだ。 その様子には流石にどうしたのか訊ねたが彼女からの返事は無く、「取り敢えず、食べよう」と提案しワインに口をつけた。 瞬間、とても小さな声だったが彼女が口を開いた。 ようやく口をきいてくれた彼女にホッとして、俺は続きを促した。 「謝りたいことって?」 「………」 「…なにか、言いにくいこと?」 あまりに深刻そうな鏡花の様子に、俺は聞いたことを少し後悔した。 しかし、予想もしていなかった彼女からの次の言葉に思わず目を見開いた。 「………その、傷…」 「ん?傷って、これのこと?」 「…玲次さん、その傷はいつ頃ついたものだって言ってましたっけ?」 俺は、そっと顔を上げ訊ねてきた彼女の言葉に、額の右側にある痕の残った傷だったものに手を当てた。 普段から前髪で隠しているが、そこそこ大きいため、少しでも風が吹けば目についてしまうのだ。 俺自身はあまり気にしていないが、周りは傷痕が見えると気になるらしく、チラチラ見られたり「どこで付いたんだ?」とか「何やったんだよ」など聞かれることが多くていちいち答えるのが面倒臭かった。 だから敢えて見えないようにしてはいたが、鏡花と付き合い始めて少したった頃、いつか突っ込まれるだろうことは予想がついたためデートの別れ際、おもむろにこの傷痕について話した。 思ったとおり、彼女は少し驚いてしばらくの間この傷痕を見つめていたが、不意に「…痛くないですか?」と聞かれた。 大丈夫だと言うと少し安堵したような表情を浮かべ、それ以上何も訊かれることはなかった。 その時はそれで終わったため、彼女はこういったものをあまり気にしない人なんだと思っていた。 しかし、今の彼女はチラッと俺が触れている傷痕がある部分を見つめ、辛そうに再び俯いてしまった。 「中学生くらいの頃だよ。前にも話したかな?夜中トイレに起きた時に階段で足を滑らせて、たまたま打ち付けた角でスパッとね」 「っ!…痛かった、ですよね…」 「ん~、額を切ったことより、階段から落ちて身体中打ち付けたことの方が痛かったけどな」 「………それ…」 「ん?」 「…私のせいかも、しれないんです…」 「………え?」 彼女の言葉に俺は思わず固まった。 中学の頃はまだ彼女と知り合ってすらいないし、しかも、怪我をしたのは夜中に自宅でだ。 どうしたら鏡花が俺に怪我を負わすことが出来るんだろう。 「…鏡花、何言ってるんだ?まだあった事もなかった俺に、鏡花がどうやって怪我をさせることが出来るんだよ?」 「それは…」 「それに知り合っていたとしても、俺が怪我をしたのは夜中で、自宅の階段から落ちたからなんだぞ?」 「…私も始めは信じられなかったんです…。でも、玲次さんに傷痕を見せて貰った時、あの時のことを思い出して…」 「『あの時のこと』?」 俺が繰り返した言葉に、鏡花は申し訳なさそうな表情を浮かべながら顔をあげ、その時のことを話し始めた。 「玲次さんが中学生だった頃、私はまだ小学生でしたよね…。その小学校でとある噂が広がっていたんです」 「噂…?」 「はい。夜中の0時ちょうどに水をはった洗面器を用意して口にカミソリを咥えて覗き込むと、未来の結婚相手が見えると言う噂でした」 「………聞いたこと、あるような…」 「その噂を聞いて私、どうしても確かめたくなって…。それで…」 「…確かめたのか?」 コクッ 小さく頷いた彼女に、俺は続きを促した。 ここまでの話では、この傷と噂話との関連性がいまいち分からなかったからだ。 「それで?」 「…ある日の夜中、母たちが眠ったのを確認して洗面器に水をはり、カミソリと一緒に部屋へ持っていって0時を待ったんです…」 「…映ったのか?」 「………はい」 「………」 「私…、相手が映った瞬間、驚きと嬉しさで思わず口を開いてしまって、カミソリを洗面器の中に…」 「………」 「カミソリが落ちた瞬間、水が赤く染まって私…、怖くなって…」 「…その相手って…」 「………ずっと、忘れてたんです。だけど、玲次さんがその傷を見せてくれた時、全て思い出して…」 話しながら申し訳なさそうにチラッと上目遣いで俺を見つめ、再びうつ向いた鏡花。 それでも俺は、それを信じることが出来なかった。 いや、信じたく無かったのかもしれない。 「…洗面器に映った顔って、本当に俺の顔だったのか?」 「………はい…」 「でも、小学生の頃の話だよな?」 「そうなんです、けど…」 「本当に映ったとしたんなら、なんで出会った時に思い出さなかったんだ?」 「それは…」 「………」 鏡花を疑っていた訳では無かった。 ただ、その話が本当なら、鏡花はその相手との結婚をとても楽しみにしていたんじゃないかとか、他に顔に傷がある男が現れて、そいつが洗面器に映った相手だと彼女が思い出したら俺は…。 嫌な考えばかりが頭を過り、口調がキツくなっていることにも気付いていた。 だからこれ以上お互いが嫌な思いをしないようにと思い、この話を終わらせようと口を開こうとした瞬間、先に言葉を発したのは鏡花だった。 「…鏡花」 「本当に、あの時まで忘れていたんです…」 「あの時…、この傷痕を見せた時か?」 「はい。だけど…」 再び言いづらそうに俯きながらも、鏡花はチラチラと俺へ視線を向けて来た。 そんな彼女の姿に少しドキッとしたが言葉の続きが気になり、促すようにじっと彼女を見つめると観念したように口を開いた。 「思い出したのは、傷痕を見たからだけではなくて…。その…、髪を上げた玲次さんの顔が、水に映った彼の顔と全く同じで…」 「髪?ああ、傷痕を隠すのに下ろしてた…か、ら…」 鏡花の言葉に、俺は自分が今まで髪を下ろしていたことを思い出した。 そんな俺を見つめていた彼女は、再び俯いてあからさまに落ち込んでしまった。 「…あの、本当にごめんなさい…」 「いや、そんな気にしなくても大丈夫だぞ」 「でも…」 「ただの偶然かもしれないだろ?」 「…本当は、気を付けなくちゃいけなかったんです…。その噂と一緒に、カミソリは絶対に落とさないようにって、言われてたのに…」 今にも泣きそうな鏡花の声に俺は席を立ち、後ろから彼女を抱き締めた。 ギュウ 「…だけど、この傷のお陰で鏡花がその相手が俺だって気付いたんだろ?」 「………」 「それに、その噂では水に映るのは未来の結婚相手だったよな」 「っ…、はい…」 「なら、俺は鏡花の結婚相手ってことだよな?」 「…はい…」 「鏡花は俺と結婚したくないのか?」 「!」 「俺は鏡花と結婚したい。こんな傷がある俺じゃ、嫌か?」 フルフル 「っ嫌じゃ…ない、です。私はあの時、玲次さんに一目惚れ、して…。でも、その傷を付けたのが私かもしれないと思うと…」 「ふふっ。一目惚れ、か…。だから俺に痕を付けたんじゃないか?出会った時にすぐ、分かるようにさ」 「!そ、そんなつもりは…」 俺への一目惚れの事実と、腕の中で落ち込んだり驚いたりと落ち着かない様子でも逃げようとしない鏡花の姿に、俺の心は何とも言えない高揚感を覚え始めた。 「まあ、鏡花が責任を感じるなら、責任を取るって形で俺の嫁にくればいいしな」 「それは…」 「ま、どちらにせよ、俺と結婚してくれないか?」 「………私で、いいんですか…?」 「鏡花の結婚相手は、俺だったんだろ?」 「っ~………はいっ…」 俺の腕にしがみつくようにして泣きながら、鏡花は俺の言葉に頷いてくれたのだった。 「そうだ!誕生日おめでとう、鏡花」 「ありがとうございます、玲次さん!!」 終わり
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