旅と春風と辞書

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 クゥエスの窓際の席には今日もきらきらと光が降り注いでいた。  春にしては少し寒い朝。けれどもこのカフェはそれなりに賑わっている。モーニングセットはどれも1000円を超えるのに、その中身が絶品だからだ。ちょっとした贅沢をしたい時と、テスト前なんかで気合をいれるときに来ることにしている。  目の前にはエッグベネディクト。バンズに上のフレッシュサーモンとディルの香り、それからちょうど良くとろけたポーチドエッグと濃厚だけれど主張しすぎないオンディーヌソースが絶妙なハーモニーを醸し出している。それに芳しき珈琲と素晴らしい配合のヴィネガードレッシングのサラダ。  贅沢な朝。  一通り食べ終えてスマホを開く。そして辞書アプリを開いて、編集履歴を覗く。そして【告白】の項目を開く。ふぅ、とひとつ、ほろ苦い珈琲と同じ温度のため息をついた。  やはり同じ。格言が一つ追加されていた。 『一度も愛したことがないよりは、愛して失った方が、どれほどましなことか。(Alfred, Lord Tennyson)』  テニスンを検索すると、ヴィクトリア朝時代のイギリスの詩人、らしい。そしてこの格言自体も、実在する本物だ。だから削除するべきじゃない。  最近の懸案はこれだ。  このDicsという辞書アプリは大学の文芸サークルの先輩方が作ったアプリ。普通の辞書とはちょっと違い、小説を書く時に使えそうな言い回しを代々のメンバーが登録してきた。そして3年生になる私がこの1月から管理している。  だからこんな例文や格言が増えることは、本来とても歓迎すべきこと。
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