エピローグ

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エピローグ

『百合の間』で、正語に会った賢人は、秀一の元に走った。  秀一は、庭の奥に造られたロックガーデンにいた。  足を水に浸しながら、心ここに在らずといった風情だ。 「チュウタ!」  賢人が近づくと、秀一の周りにいた死者の群れがサーッと散っていった。 「人気者ですね。俺がくると、みんな逃げちゃいますよ」  秀一が顔を上げた。  思わず賢人は目を逸らす。どうも照れ臭い。 (……この人、雰囲気、変わったよな)  どう表現したらいいのかと、首を傾げながら賢人は、秀一の隣に胡座をかいた。 「今日、帰るんですよね?」 「帰る」 「待ち合わせまで、まだ時間ありますか?」 「ある」  それなら言わなくてもいいかと、賢人は思った。  今、屋敷内にいる九我さんに、秀一を引き合わせたら、すぐに行ってしまうのだから。  賢人は周囲を見回した。  死者の群れが、わらわらと漂っている。 「どうして、この家にみんな集まるんですか? 風呂とかトイレにもいて、落ち着かないですよ」 「居心地がいいからかな?」  自分にもわからないという様に、秀一は首を傾げる。  ——呆れるほど可愛い。クラスにいるどの女子よりも。 「……また来てくださいよ」 「来週、来るよ。コータの事が心配だし」 「コータさん、朝からずっと掃除機かけてますね」 「夢に真理子さんが現れて、掃除しろって言われたんだって」  亡くなった姉が夢枕に現れ、最初の言葉が『掃除しろ』とは、なんともビミョーだ。 「お祖父ちゃんも、へこんでるんでしょうね、犯人と結婚しようとしてたんでしょ?」 「お父さんは大丈夫。すぐ忘れる。何もなかったことに出来る人だよ」 「そうですか」 「だからって、良いとか悪いとかじゃなくって、そういう人だって、だけだよ」  秀一はキラキラ光る水面を見つめながら、足を静かにばたつかせた。 「オレ、いろんな事がわかった」 「お祖父ちゃんのことですか?」 「自分のこと——オレが、なんのために生まれたのか」 「哲学ですか」 「オレは昔、魔女狩りにあって、火炙りにされかけたことがある」 「へっ?」 「その時、助けてくれた人に、恋をしたんだ」 「……あの、それって……前世とか、そういうやつですか?」  秀一はコクリとうなずいた。 (苦手分野きたーっ!)  以前付き合っていた女子が、自分はマリーアントワネットの生まれ変わりだと言い出して、賢人はドン引きしたことがあった。 「その人は、オレの事を一番好きでいてくれたんだけど、奥さんも愛人もいたんだ——オレはその人たちを——葬った」 「ほおむるって?」 「次々みんな消した——その人を自分だけのものにしたかったんだ」 「ああ、葬ったんですか」 「オレは処刑されたことにされて、地下牢に入れられた。たまにその人が来てくれたけど、オレは一歩も外に出られなかったんだ。その人がまた結婚したり、夜毎、違う相手と遊んでいるのを、牢屋の中でじっと耐えた。耐えながら呪った——そしたら全員、葬れた」 「人を憎むだけで消せるのって、すごいですね。ノートに名前書くより簡単じゃないですか」  秀一は自分の手のヒラをじっと見つめる。 「オレは、本物の魔女だ」 (えっ! 現在形なの⁈) 「その人の妃だったこともある。子供も産んだ。その時も一番、好きでいてもらったのに、後宮にいる女の人たちを次々酷い目に合わせた。夜その人に呼ばれると、朝にはオレから処刑されるから、みんなから恐れられた——その人は、止めなかったんだ。オレが嫉妬するのを楽しんでた」 「古代中国ですか? グロいこと平気でやってそうですよね」  秀一は、深いため息をついた。 「さっき、久仁子さんが来た。遊びに誘われたから身体を貸してって」 「チュウタの身体って、自転車みたいですね」 「オレが断ったら嫌味、言ってきた——オレが真理子さんを憎むから、どんどんあの身体が窮屈になったって。だから久仁子さんは、真理子さんから出たらしいんだけど、久仁子さんがもうちょっと、真理子さんの中にいたら、野々花さんともうまくやっていけて、真理子さんはまだ生きていたらしい」 「(ちょっと何言ってんだか、わからないな)久仁子さんって、俺の身体にも入れるんですよね?」 「来たらすぐ教えて、オレが話して、出て行ってもらう」 「チュウタがすぐ来てくれるんなら、俺、久仁子さんに会いたいです」  秀一に胸ぐらを掴まれた。  好意を伝えただけなのに。 「久仁子さんを中に入れたら怒るよ! 殴るよ! 絶交だからね!」  秀一は本気で怒っているようだが、目を吊り上げる姿が可憐な上、非力だ。  はいはいと、賢人は余裕の笑みを浮かべる。 (魔女じゃ、しょうがないよな。パーティには不可欠だけど、通常攻撃は役立たずだもんな)  手を放した秀一は、寂しそうにうつむいた。 「オレは何度も何度も、その人を自分だけのものにするために転生している。毎度その人に気に入られる身体を選んでるんだ。今回もだ」 「その人に、もう会えたんですか?」 「会えた。でも終わりにする。その人との因縁を切って、次に進む」 「具体的には、どういった計画を立てているんですか?」 「勉強して、成績を上げる」 (急に現実的になったな) 「いい大学に入って、いい会社に就職する。自活する」 「ここで霊媒師やればいいじゃないですか。チュウタの天職ですよ。人手不足だし」  秀一はまた水面に顔を向けた。小さく足をばたつかせる。 「オレは、ずっと一人で生きていく——もう人を憎みたくないし、穏やかに過ごしたい」  物思いに耽り出した秀一に、ドギマギした。 (……そうか、こういうのを色っぽいというのか)  と感心する。 「チュウタ、またテニスしましょう! 今度は黒目になるコンタクト外します! 裸眼で勝負したら、負けませんよ!」  体の奥からモヤモヤしたものが浮かんでくるが、こういうのは体を動かせば解消できると、賢人は信じていた。  賢人とダラダラしていたら遅くなった。  秀一は夏穂の家に向かい、自転車を走らせる。  夏穂の家の呼び鈴を鳴らすと、夏穂はすぐに出てきた。 「自転車、ありがとう。助かった」 「公民館行くんだよね? 郵便局行くから、途中まで一緒に行こ」  自転車を返したら、走って公民館に行くつもりだったが、元気のない夏穂の姿を見たら言い出せなかった。 「——私、ガンちゃんから写真を見せられた時に、ちゃんと話しを聞けばよかったって、まだ思ってる——私が何も言わないから、ガンちゃんがっかりしたんだよ——なんでみんな端っこに寄ってるのとか、ガンちゃんは、きいて欲しかったんだろうね——賢ちゃんには死んだ人が見えたからなんだね、そこにいる人、みんなを撮ろうとしたんだね」  時間が気になった。  十分は待ってくれるだろうが、それ以上はどうだろう。 「秀ちゃんは、真理子さんの遺体見たんだよね?」 「見た」 「ひどい状態だったんでしょ?」 「ひどかった」 「それなのに、コータのために中から鍵をかけたんだね」 「……床に、這った跡があった」  それからは二人とも、郵便局まで無言で歩いた。  夏穂と別れた秀一は、猛ダッシュで公民館に向かった。  メッセージを送りたくても、相変わらずの圏外だ。  テニスコートを抜けて、公民館の中を走れば、駐車場までは十分遅れで済むだろう。  だがそううまくはいかないものだ。  テニスコートからボールの音が聞こえてきた時から、嫌な予感はあった。  案の定、武尊と凛がいた。  見つかったら、足止めを喰らう。  秀一は、ショートカットを諦めて、大回りで公民館に向かった。  結局、三十分以上の遅刻だった。  駐車場には誰もいない。 (そりゃ、そうだよな)  電車で帰ろうと、バス停に向かって歩き出したとき、見覚えのある車に気がついた。 (まだ、いるのかな?)  運転席を覗いていたら、公民館から正語が出てきた。 (いた! あれ? 痩せた?)  正語がゆっくり近づいてくる。  遅れてごめんと言おうとしたら、頭が肩に乗ってきた。 (どうしたの⁈ 具合悪いの⁈)  重みで倒れそうになりながら、頭に手を置いたら、掠れた声が「ありがとう」と言ってきた。  正語の頭を撫でながら、秀一は理解した。  口元が緩んで仕方ない。  幸福感で、笑い出したくなる。  ——オレ、わかったぞ!  今度こそ、この人の全部を独り占めできる!
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