動機

1/1
118人が本棚に入れています
本棚に追加
/78ページ

動機

 待ち合わせ場所は、みずほ町唯一の公民館、『みずほふれあいセンター』の駐車場だった。  時間ちょうどに到着したが、秀一の姿はなかった。 (十分、待つか)  来なかったら一人で東京に帰るだけだ。  正語(しょうご)は車を降りて、建物に向かった。  公民館のエントランスホールには、椅子が収まった丸テーブルが点在していた。  右手に二階へと上がる階段があり、左に受付事務所がある。  正語は受付事務所のドアノブに手をかけたまま、後ろを振り返ってみた。  ドアから一番近い場所に置かれたテーブルと椅子を見つめる。  ——あの日、秀一はこの椅子に座って岩田と話したのか。  ドアに背を向けていた秀一は顔を見ていないが、岩田はコピーを取り終えて出てくる涼音(すずね)を見て、軽く会釈をしている。  事務所の中に入った。  この部屋に入るのは、初めてだった。  後ろ手にドアを閉めながら、正語は部屋を見回した。  窓は大きく、駐車場が見渡せる。奥にドアが開け放たれた小部屋があった。  正語は、まっすぐその小部屋に入る。  窓のない部屋には、コピー機と、雑多なものが入ったスチール棚があるだけだった。  事件の日、コータは『ミルキーウエイ』と書いたメモを涼音のカバンに入れた。  コータにとっては、デートの場所を書いただけの他愛もないメモのつもりが、涼音にとっては脅迫に等しかった。 『ミルキーウエイ』は父親に言えなかったバイト先の名だ。しかもそのせいで、一輝を死なせている。  パニックを起こした涼音は、コータからのものだとも分からず、咄嗟に幼稚な行動に出る。  メモを何枚もコピーして、他の女子生徒のカバンに入れたのだ。 『自分に来た手紙だと、父親に知られたくなかった』と涼音は証言している。  他にも受け取った者がいると見せかけて、自分を守ろうとしたようだ。  涼音がコピーを取るために受付事務所に入った時、そこでは野々花(ののか)がタバコを吸っていた。  野々花に声をかけられても、涼音は無反応だったという。 『フラフラしてて、顔色が真っ青でした』  気になった野々花は、涼音の様子を見に小部屋を覗き、そこで初めて例のパネル写真を見る。  コピーを取り終えた涼音は、また無言で野々花の脇を通り抜けて事務所から出て行った。  入れ代わり小部屋に入った野々花は、写真を手にする。 『あいつが笑っている写真を見た途端、頭に血が上りました——人を小馬鹿にした、あのイヤな目!』  野々花は思わず、近くにあったボールペンで一輝の目を潰してしまうが、すぐ我に返る。  まずい事をしたと、写真を隠す場所を探していたところに岩田が事務所に入って来た。  岩田は頭を下げて部屋に入ると、野々花が持っている写真を見て怒り出し、それをひったくる。  一輝の目が傷つけられているのがわかると、岩田は野々花を非難した。 『しゃがれた声で、なに言ってんだかよくわからないのに、ずっと怒ってるから、頭きちゃって、あんただって、スマホ泥棒だろって、言ってやったんです。今あんたのこと、警察が調べに来てるよって——そしたら、あの人、急に苦しみ出して、窓を指差して、さなえさんって、言ったんです——何の事だろって、窓の方を見たら、外で真理子さんが駐車しようとしてました——バカみたいに何度も切り返してたんです——それから岩田さん、胸押さえて、写真抱いたまま、うずくまって——動かなくなりました』  野々花は全ての窓に鍵をかけて、事務所を出る。ドアノブのボタン錠を押してドアを閉めることも怠らない。 『秀一君が電話をしている後ろを通って、公民館の外に出ました——そしたら、真理子さんがまだいたんです——何度も何度も切り返して、駐車しようとしてて——真理子さん、私に気がついて、車を降りて、手を振ってきたんです——笑ってました——あの人、あの時から私を追い詰めようと計画してたんだと思います』  一旦外に出た野々花は、すぐにまた公民館の玄関扉を開ける。  今やって来たといった風を装って、秀一に声をかけた。  そのまま二人で階段を上がり、集会室に向かう。  正語は窓から駐車場を眺めた。  ——真理子が苦労して駐車しようとした場所は、どのあたりなのか。  駐車場に人影はなかった。  待ち合わせ時間は、十五分を過ぎていた。  岩田が亡くなり、安堵したのも束の間。  野々花の元に愛人関係にある冴島から連絡が入る。  コータのために今から涼音と話し合うが、女性がいた方が彼女も話しやすいだろうから来てくれというものだった。  涼音の口から自分が事務所にいたことがバレないかと危惧した野々花は、すぐに冴島の家に行く。  そこでまたあのパネル写真に出くわした。  自転車の前カゴに入れられた写真を見た野々花は、自分の指紋が残っていることを思い出して、写真を持ち去った。  この後、野々花は『瞑想センター』に行った際、壁に飾られた絵の中に指紋を拭った写真を紛れ込ませる。  野々花が冴島を刺した理由も、事務所に自分がいたことを隠すためだ。  この頃には、岩田が亡くなった時に、誰かがいたらしいとの噂が流れていた。おまけにそれを『西手の坊ちゃん』が探っているという。  発覚したら智和との再婚話も終わりだ。  冴島は呑気に、『君も事務所にいたらしいが、涼音さんのことは誰にも言わないでくれ』と野々花に連絡した。  事務所にいた事を知られた野々花は、冴島を背後から刺す。  直前に涼音を怒鳴りつけたこともあり、冴島はてっきり涼音に刺されたものだと誤解した。野々花が犯人だと告げられても信じられず、しばらくポカンとしていたくらいだ。  野々花にとっては、冴島はそこまでの相手ではなかったようだ。 『あの人が前に、デリのドライバーをやっていたって言うから、私もつい昔の仕事の話をしてしまって、それ以来、誰かに喋らないかヒヤヒヤしていました』  野々花の話によると、昼に笑顔を見せた真理子は、夜には豹変したそうだ。 『瞑想センター』に呼び出しておいて、他にも優先する話があると言って、野々花を追い返す。再び会いに行くと、岩田と共に受付事務所にいた野々花を、厳しく詰問した。前職のことまで持ち出されて逆上した野々花は、真理子を近くにあったシンギングボウルで殴打。  近くに警察がいるからすぐに捕まると、真理子は言ったそうだ。  それに対し野々花は言った。 『おまえのバカな弟が、全部罪を被ってくれる。一輝の時みたいに』  この野々花の証言とクレセント錠についた真理子のスカートの繊維から、密室の謎が解けた。  正語は大きく伸びをして、窓から離れた。 (よし、帰るか)  三十分が過ぎていた。
/78ページ

最初のコメントを投稿しよう!