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この部屋に入ると、ハーブ類の香りがすっと鼻を抜ける。その後で蔵書の乾いた匂いが身を包む。窓際のテーブルの上に山積みになった本と紙束が、ランプの灯りにその影に揺らしていた。
その奥でもぞもぞと人影が動き、くるりと椅子を回してひょこっと顔を覗かせたのは若い女だった。
「ずいぶんお早いお目覚めで」
椅子の上で胡座をかいたまま、大あくびをして女は伸びをする。そしてまた背中を丸めた姿勢に戻り、長い金の髪を掻くようにして一つに結い上げた。
「アイリス。君こそ早いね。それともまた部屋に戻ってない?」
「さてね。自分の部屋がどこかも忘れた」
「もうみんな君が居座ってるのには慣れたみたいだけどね。たまにはちゃんとベッドで休みなよ」
はいはい、と気のない返事をしてアイリスは椅子の背にもたれた。
幼くして魔法の才を見出され、城にやってきたのがこの女と王子の出会いだ。歳も近く、同じ魔法使いに師事を受けて育ったため互いに気安い。
城にいる以上、礼儀作法も教え込まれたはずだが、野良猫のような気性と奔放さは消えることはなかった。ここに居座るようになったのも、蔵書を運ぶのが面倒くさいという単純な理由だった。
アイリスは紫の瞳を細めて、王子の全身を眺めた。そして全てを悟った上で確かめるように尋ねた。
「考え直さないの?」
その一言に王子は強く頷いた。
アイリスは微苦笑とともに小さく息を吐き、机の引き出しを探った。
渡すのを少し躊躇うように掌に何か握りしめ、拳を握ったまま王子の前に差し出した。
「なに?」
「……お守りだよ。危険が近付けば知らせてくれる」
躊躇いがちに開いた手には、紫水晶をくりぬいたような指輪が載っていた。手に取ろうとして彼ははっとする。指輪から微かに魔力を感じた。いつにない鋭い眼差しをアイリスへと向ける。
アイリスは心底面倒そうに項垂れながら答えた。
「この城に残されたあの人の名残から作った。同じ魔力に反応して光るようになってる。……あんたにとって危険な存在にね」
つまみ上げた指輪は射し込む朝陽と灯りに透けて、哀しいくらいに美しかった。
だが王子はそれを苦々しい顔で握りしめてから、右手の薬指にはめた。緩みのある指輪は己でその形を変え、彼の指にぴったりとはまった。
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