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「それにしても、アタシゃ本当は冗談とかいつものお出かけ程度にしか思ってなかったんだけどねぇ」
「もうそれじゃ満たされないんだよ」
王子は荷物から小さな紙片を取り出してアイリスに持たせる。同じものを自分も懐に入れて、床に跪いた。
手にした白墨で精巧な魔法陣を描いていく。流れる筆致で均等に並んだ魔法文字は最早そういう美術品のようだった。
「僕がいつか王冠を受け継ぐ時に、守るべき国の姿を、人々の顔をちゃんと思い浮かべたいんだ。まだ行っていない場所がある。王子の姿じゃ見られない国の姿がある。だからね、行くんだ」
描きあげた魔法陣に最後の一言を語りかけると、淡く輝いたそれからぽかりぽかりと小さな球体が飛び出してきた。
アイリスは渡された紙片を挟んだ指でひらひらさせる。
「ああ……せっかくの高等術使って、またそういう幼稚なことを」
王子は悪戯な笑みを見せてアイリスに手を振ると、光を伴って階段を駆けおりた。
塔の外では、起き出してきた研究員達が彼を見かけて恭しく首を垂れる。
「さぁ、悪戯好きな妖精たち。思いっきり暴れておいで」
光は四方に飛び散り、王子の背後では素っ頓狂な悲鳴が飛び交った。
大きな害にはならないが当面、そう王子が城門を抜けるくらいの間は、妖精の悪戯で城内は大混乱だろう。護符を持っていない者は上も下もなく皆一様に妖精の玩具となった。
それは父王とて同様で、異変に気付いて真っ先にやって来たのはアイリスの元だった。
「よう、ずいぶん涼しげじゃねぇか」
現国王らしからぬ口ぶりで彼は現れた。
口に咥えた煙草がいつもの色と違う。よく見るとそれはシナモンスティックに差し替えられているようだった。
笑いを噛み殺しながらアイリスは護符をちらつかせた。
「アタシゃ日頃から王子の悪戯には慣れてるんでね」
王は困ったように笑ったが、どこか嬉しそうだった。床に残された魔法陣を見て、彼は腕を組む。
「俺はこの国に生まれて、王なんぞやってはいるが、正直魔法のことはさっぱり分からん」
突然何を、とアイリスは訝しんだ。
「どうして俺からあいつみたいな魔法の天才が生まれたのかも分からん。だがやってる事は若い頃の俺とほとんど変わらねぇな。大方、今回はしばらく戻らないつもりなんだろう?」
アイリスは首をすくめて返答を曖昧にした。
王は大口を開けて笑った後、シナモンを咥え直した。
「安心しろ。独り立ちの邪魔するような無粋なマネはするつもりねぇよ。ただな、何かあっちゃ困るんだが」
「そこはまぁ……王サマの根回しと、アタシのお守りが効けばなんとか」
いつになく歯切れ悪いアイリスに王はまた大笑いして、やってきた朝を窓の向こうに見た。
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