◆ 仏か魔王か * 弥衣

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◆ 仏か魔王か * 弥衣

 暖かい春の日差しが、レースのカーテン越しに差し込む朝。  なんの予告もなく“彼”は、現れた。  アルバイトに行く準備をしていて、化粧の仕上げにマスカラを塗っていた。  私が住む狭いアパートには、インターホンなんてない。  ノックすれば隅々まで響くからで、その日もコンコンと二回叩かれた音を聞き逃さず、手を止めてドアを振り返った。  心に去来したのは嫌な予感。朝の九時という微妙な時間帯に訪れてくる客になど心当たりがない。  弟は早朝からバイトに出かけて部屋には私ひとり。  今日約束している皆川(みながわ)以外の取り立て屋とは縁が切れている。いったい誰よと思いつつ、用心深く気配を殺して、忍び足で玄関に向かった。  覗き穴からそっと様子をうかがうと、そこには見目麗しい男性が所在なげに佇んでいる。  見るからに仕立てのよさそうな黒いコートを羽織り、襟元から見えるネクタイも黒。ワイシャツ以外は全部真っ黒だ。  これで黒いサングラスでもしていればマフィアかよ、と突っ込んむところだが、滲み出る育ちの良さが邪魔をしているのか、悪の気配がない。  彼は喪服を着ているのだ。  少し悩んだが、チェーンをつけたままドアを開けた。 「なにか」  彼はゆっくりと頭を下げる。 「朝から申し訳ありません。何度か訪れたのですが、お会いできず。このような時間に失礼かと思ったのですが――」  それから微笑んで、名刺を差し出した。 「佐藤智子さんの遠縁にあたるものです。亡くなったと伺ったので、お線香だけでもと思いまして」  名刺によれば、彼の名は、月城(つきしろ)(たける)
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