理性

1/1
前へ
/1ページ
次へ
 差し出された手。  不安に揺れる瞳。  彼女の求めに応じ抱き寄せる。  小さな身体に宿る確かな温度。  この上ない幸福の笑みを浮かべ、彼女は目を閉じた。  それ以上でも、それ以下でもない、私たちの関係は。  いつまで続くのだろうか。  【 理性 】  (りん)は若い。  まだ未成年だ。  現在の法律では結婚できる年齢なのだが。  彼女には全く『その気』が無い。  まるで幼子のように私にくっついて来る。  そこが可愛いと言えば可愛い。  しかし、私も男。  愛する相手と結ばれたいと思うのは仕方ない。  仕方ない、という気持ちを理性で包み隠す。  強引に事を進めて彼女に嫌われたくなかった。 「及川(おいかわ)さんは私に興味がないみたいなんです」  買い出しから店に戻ると、凛が(やなぎ)に相談していた。  思わず盗み聞きしてしまう。 「んなことねーだろ。あいつバリバリ現役だぜ」  柳、言い方を考えろ。 「何でそう思うんだ?」 「だって。キスもしてくれないし」  ……しても良かったのか? 「え。マジか。付き合ってもう半年経つよな」 「マジです。だからきっと私に興味ないんです」  妙な誤解をされている。  上手くフォローしてくれ柳。 「あいつ凛ちゃんに惚れてるから。大切にし過ぎてんだと思うぜ」 「そうでしょうか」 「相当ガマンしてんだよ」  その通りだ。必死に堪えている。 「きっと浮気してるんです」  ……どうしてそうなる。 「色っぽい大人のお姉さんとイチャイチャしてるんです」 「まあ、あいつ女好きだからな」  ……柳! 「だから子供な私としたくないんです。そうに決まってます」 「凛ちゃん魅力的だけどな」 「どこがですか?」 「小さくて可愛いと思うぜ」  柳。何処を見て言っている。 「……及川さんは環さんみたいに大きいのが好きなんですよね」  そんなことは無い。 「俺は小さいのも好きだけどよ」  お前の話は聞いてない。 「どうしたら色っぽくなれますか?」  色っぽくならなくていい。  今のままでいい。 「そうだなぁ。下着姿でウロウロしてみるか」 「っムリです!」 「環はいつもそうだったけどな」 「……そうなんですか?」  凛に余計な情報を吹き込むな。 「それでも及川さん、環さんと何もなかったんですよね」 「そうだな」 「……及川さん。そもそも女の人に興味ないのかも」  更に誤解された……! 「だけど私が可哀想だから付き合ってくれてるんですよ」 「違うと思うけどな」 「それならそれでハッキリと言って欲しいです。頑張って諦めるから」  諦めなくていい。 「じゃあ俺と付き合う?」  何を言っている柳。 「俺なら安心だろ。凛ちゃんも」 「……そうですね」  待て待て待て。  どうしてそうなる。 「ちゃんと及川と別れてからな」 「……はい」  そこで話は終わった。  私は聞かなかったことにして、今戻ったフリをする。  その日の夜。  凛は私に話があると、思い詰めた表情で言った。  ……来た。別れ話か。 「……私、他に好きな人が出来ました」 「……そうなんですか」 「だから、私と別れてください。っていうか、そもそも私たち恋人だったのか微妙でしたし。別れるって言うのも変ですけど」 「凛さん」 「今まで付き合ってくれてありがとうございました」  そう言って凛は深々と頭を下げた。  丈の長い服の裾を握る手は震えていた。  彼女を、ここまで追い詰めたのは私だ。  大切にするだけが愛ではないと知った。 「分かりました」  私が言うと、凛は糸が切れたように床に座り込んだ。  そして子供のように大きな声で泣き始める。  お互い心にも無いことを言って。  簡単には離れられないと知っているのに。 「……イヤです……イヤです!捨てないでください!」  捨てられそうなのは私の方なのに。  凛は私に捨てられると思っている。 「何でも素直に聞きます……我慢します!だから……」  彼女を苦しめていた自分が許せなかった。  私に彼女を愛し続ける資格はあるのだろうか。  泣き顔で私を見上げて。  凛は絞り出すように言う。 「……傍に居させてください」  そんなにも私を想ってくれているとは思わなかった。  若気の至り。一時の気の迷いだと思っていた。  だから。彼女が本気で誰かを愛した時に後悔しないようにと。  私は何もしなかった。  【初めて】は特別なものだ。特に女性にとっては。  彼女の大切なものを奪う勇気は無かった。  愛しているから。  傷つけたくない。  何もしないことが彼女を傷つけているなら。  私は――。 ◆  今日も彼女は私にハグを求める。  あの後。  彼女にキスをしようとした私は、思い切り頬を叩かれた。  いきなりはダメです!と。  ……分からない。  して欲しいと言っていたのに。  幸せそうに胸に擦り寄る凛を前にすると怒る気も失せる。  これが『惚れた弱み』か。  仕方ない。  彼女との関係は、恋愛感情を超えたものだと思えばいい。  苦笑して彼女を抱き締めた。  自分の理性の強さに感心しながら。 【 完 】
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!

5人が本棚に入れています
本棚に追加