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1 沢裕介&川野辺聡太
「えっ、マジで?!」
「ちょっと、静かに!声落として!」
「ごっ、ごめんごめん、で、本当なの、それ」
「・・・・・・ほんと」
友人の告白に、沢裕介は大きな声を出してしまった。テーブルを挟んでアイスコーヒーのストローを噛む男は、耳まで真っ赤にしている。
「やったじゃん、ずっと、狙ってたんだろ?」
「狙ってたって、言い方」
「ごめん、だって他に思いつかなくて」
「まあ・・・・・・間違いではないけどさ。俺だってびっくりしてるんだから」
「えっと、ルームシェアしてるんだっけ?」
「そう。・・・・・・槇っていうんだけど」
「槇さん」
「名字じゃないよ、名前ね」
「うんうん」
沢裕介と川野辺聡太は幼なじみ。小学校六年間、中学三年間、クラスは離れても誰よりも仲良く過ごした二人。明るく社交的な裕介が、いじめられていた聡太を助けたのがきっかけだった。いまや二人とも社会人だが、一ヶ月に数回、どちらからともなく連絡を取り合い、食事をする間柄だった。
「槇はノン・・・・・・ストレートだからさ、諦めてたんだ」
聡太がゲイであることを裕介がはっきりと聞いたのは、中学三年の時だった。友人関係を解消しようと言った聡太に、裕介は「なんで?」とあっけらかんと聞いた。結局今まで、裕介は聡太の性的指向になんの不思議も持たずに付き合ってきた。
「つまりその槇さんも、聡太のことが好きだったんだ?」
「・・・・・・それは、そうだと思いたい」
「そうだろ?そうじゃなきゃ付き合わないっしょ」
「そうなんだけどさ」
「じゃあいいじゃん!聡太は昔から深く考えすぎなんだって」
「裕介はあっけらかんすぎるんだよ」
「飯島と同じこと言うなよ~」
「飯島?」
「あ、同僚ね。最近よくつるんでる奴」
そうなんだ、と聡太は言った。アイスコーヒーを音もなくすすり、にこっと笑う。裕介の目から見ても聡太は「今時」の顔をしており、可愛い系である。ちゃんと女性からモテるだろうな、と考えた裕介は、頭の中で聡太の相手である「槇」という男の顔を勝手に思い浮かべていた。
「にしてもさ、マジで良かったね。聡太、ずっと誰のことも好きになれないって言ってたじゃん、あの先生以来」
「・・・・・・・」
「あ、ごめん、また俺地雷踏んだ?」
「いや、大丈夫。本当のことだしね」
聡太の初恋は高校生の頃。男が恋愛対象と気が付いて、はっきりと好意を持った相手は、高校の担任教師だったという。
「やっと吹っ切れたし・・・・・・これで健全な恋愛が出来るかな」
「そうだよ!両思いなんだしさ!」
「両思いって、中学生じゃないんだから」
「えっ、じゃあ他になんて言うの」
「え~・・・なんだろ」
「両思いだろ?」
「・・・・・・そうだね」
ほらみろ!と裕介は嬉しそうに手を叩いた。こんなにまっすぐに、ゲイの友達に恋人が出来たことを喜べる人間を、聡太は他に知らない。
「裕介は本当に、素直って言うか優しいって言うか・・・」
「そう?」
「なんで彼女出来ないの?」
「ぐっ・・・・・・」
裕介は女子にモテる要素をたくさん持ち合わせている。誰にでも分け隔てなく優しく、しかしちゃんと芯はある。学生時代はバレンタインデーともなれば、紙袋一杯のチョコレートを抱えてよろよろしながら帰宅していた。
聡太は、裕介が自分と同じくゲイなのではないか、と疑ったことはなかった。いつでもわかりやすく女の子が好き!というオーラがだだ漏れだったからだ。
しかし久しぶりに会った今日は、少しだけ雰囲気が違った。
「なに、好きな人でも出来た?」
聡太が聞くと、裕介は「えっ」、と素っ頓狂な声を上げた。
「あ、図星だな?」
「いや、違うって、全然そんなんじゃないんだって」
「焦るところが怪しいな」
「違うの!そうじゃなくて、今、友達がさ」
「友達?」
「会社の同僚がさ・・・・・・」
「同僚?」
うん、とうなづいた裕介の表情は微妙だった。何とも言えない顔で、天井を見上げた。これは恋煩いとはまた違うようだ、と聡太は思った。裕介はそれから、頼りない口調で会社の同僚の話を始めた。
先ほども名前の出てきた「飯島」という同僚に、ある女性社員とのよからぬ噂があるという。同僚はどちらかというとクールな性格でちゃらちゃらしたところはないのに、相手の女性が男癖が悪いせいで、一緒くたにされて迷惑を被っているとかなんとか。
「俺さ、その飯島とめっちゃ仲良くてさ・・・・・・本人は気にしてないって言ってるんだけど、完全に巻き込まれ事故なんだよ」
「うん」
「助けてやりたいけど、どうしたらいいか」
そこまで言って、ほう、と裕介はため息をついた。
「でも、その女の人は飯島さんのことを好きなんじゃないの?飯島さんは?」
「なんとも思ってないって。頼みこまれて一回だけ食事に行ったらしいけど、それだけ。なのに、あることないこと・・・・・・」
告白されて押し切られて付き合うことになっただの、そのあとホテルに行っただの、話を大きく膨らませているらしい。そんな事実はないが、なんとかして付き合う方向に持って行きたいようだ。
「飯島は女の子に優しいからさ、否定しないんだよ。そのうちにもっとひどい噂流されたりしたらどうすんだよ、って言っても。平気平気って笑っててさ」
それにしても。「好きな人出来た?」と聞かれて彼の顔を思い浮かべて焦るほど、その同僚のことを気にしている。その事実に裕介は気づいていないようだ。
「彼が大丈夫なら大丈夫なんじゃない?」
「・・・・・・・」
「なにが嫌なの?」
「嫌っていうか、相手が性格良くなくてさ、口も軽いから、周りで飯島を悪く言う奴らが増えてきてて」
「なんて?」
「・・・・・・」
裕介は黙った。そこで聡太はなんとなく察して、声を潜めた。
「もしかして、プライベートなことを言いふらされたりとか?」
「!!!」
裕介は目を見開いた。なんでわかるの、と目が物語っている。やっぱりか、と聡太は心の中で呟いた。こういうことはゲイ界隈でも少なくない。しかし事実無根ならば、完全にその飯島という同僚は被害者だ。
「本当に飯島さんは食事をしただけなんだろ?」
「そう!そうなの!本当にそれだけなのに・・・・・・」
裕介は言いよどんだ。聡太が顔を近づけ、もう一度「どんなこと?」と尋ねると、「しつこい、とか」と呟いた。聡太は裕介の表情を見て悟った。そして聞いた。
「・・・・・・夜が、ってこと?」
「・・・・・・うん」
「それはひどいね」
「だろ?ほかにも、一晩に何回したとか、体位がどした、とか」
「・・・・・・」
「ヤってないのに、おかしいだろ?」
「既成事実を作りたいんだろうね」
「作れないじゃん、ヤってないんだから」
「そうだけど、他人は信じるから。ヤってなくても周りをそう思わせたら、彼女の思うつぼってこと」
「そういうこと?!」
「多分そこを狙ってるんだと思うよ」
「ひでえ!」
裕介はぷりぷり怒りながら、テーブルをどん、と拳で叩いた。拍子に揺れたコーヒーカップをわたわたと支える。自分で叩いたのに、と聡太は笑った。
「裕介、その飯島さんと本当に仲がいいんだね」
「え?うん」
「ここまで心配してくれるなんて、彼も嬉しいんじゃない?」
「うーん、どうだろ。お前暑苦しいんだよ、って言われるけど」
あはは、と裕介は嬉しそうに笑った。聡太は親友である裕介に恋心を抱いたことはなかったが、飯島という男にほんの少しだけ嫉妬のような、もしくは羨望のような感情を抱いた。
恋愛でなくとも、ここまで大切に思われて嫌な人間はいにだろう。そこで聡太は、恋人になりたての愛しい人の顔を思い浮かべた。
そして今日帰ったら、槇の好きなカレーを作ろうと考えた。
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