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19.川野辺聡太&沢裕介
「元気なくない?」
「えっ」
瞬とのやりとりを思い出していた裕介は、聡太の声で我に返った。
「もしかして、彼氏さんとうまくいってないの?」
「え、いや、別に」
「・・・・・・裕介は顔に出るんだよ、知ってる?」
「ま、ま、マジで?」
頭をがりがりかいて、しょんぼりうつむいた裕介に、聡太は優しく微笑んで言った。
「裕介は真面目だからなあ。なんかあったんなら全然聞くよ」
「・・・・・・聡太はすごいなあ」
「ん?なんで?」
「着々と進んでるじゃん」
「うーん、今はそう見えるかもしれないけど、ここまで来るのに時間はかかってるよ。だから裕介も大丈夫だよ」
「そうかな」
「喧嘩したの?」
「喧嘩っていうより・・・・・・俺が勝手にひねくれてるだけ」
「彼氏さん、大人っぽいって言ってたっけ」
「同い年だけど」
「裕介はなんでひねくれてんの?」
「・・・・・・それがさ」
裕介は瞬が会社でカムアウトしたことを話した。見たこともないほど真剣な顔つきで聡太は聞き、おもむろに腕を組んで何回もうなずいた。
「なるほど、それは確かに微妙な問題だ」
「だろ?」
「相当本気なんだな、向こうは」
わかってる、と裕介はつぶやいて、冷め切ったコーヒーをすすった。本気で裕介との将来を考えているからこその決断。瞬は、そう簡単に自分の性的指向をオープンにするような性格ではないことを、裕介が一番よく知っている。
「裕介としてはカムする前に相談してほしかったのかもしれないけど、気を遣わせると思ったんだろうね」
「全く同じこと言ってたわ」
「俺がその立場でも、相談しないかもしれない」
「なんで?!」
「裕介、「俺も言う!」って言うだろ」
「・・・・・・・言う・・・・・・かも」
「だからだよ。言えば必ず影響が出ることだから、自分だけでいい、と思ったんだろうね」
「その影響を、俺は一緒に受けたいと思ったんだけど」
裕介の言葉に、珍しく聡太の表情が険しくなった。そして少しだけ間を開けて、こう続けた。
「簡単じゃないよ」
聡太の真剣な様子に、裕介は思わず背中を伸ばした。
「同じ会社だろ?部署が違ったとしても、相手が裕介だと分かれば好奇の目は集まってくる」
「でも、」
「彼氏さんは生粋のゲイだから、もともと覚悟があるだろうけど、裕介は違う。同性はもちろん、女性たちからの反応も明らかに変わる。裕介が考えているよりきついと思う」
裕介が黙ると、聡太は声のトーンを和らげて言った。
「槇さ、俺には何ともないって言ったけど、会社でかなり嫌な目にあったらしくて。それが転職のきっかけになったみたいなんだよね」
裕介が瞬きを繰り返し、言葉を探していると聡太は続けた。
「もちろん、他にやりたいこともあるからとは言ってたけど、それは俺への気遣いだと思ってる」
「そうなんだ・・・・・・」
「ちょうど絵が認められてよかったけど、最初は会社やめるの不安だったと思う。何の保証もないわけだし。でもそれをおくびにも出さないのは、強いなあって俺は思うんだ」
裕介は大きくうなずき、言った。
「あいつも・・・・・・瞬も強いよ。特につき合うようになってから、雰囲気変わったと思う」
聡太は数回うなずいてから、優しく微笑みながら言った。
「俺と裕介の彼氏さんが同じとは言わないけど、きっと近いことは考えていると思うから伝えるね」
「うん」
「俺たちって言わせてもらうけど・・・・・・・裕介や槇みたいなもともと異性愛者だった人たちと俺たちとでは、決定的に違うことが一つあるんだよ」
「決定・・・・・・的?」
「そう」
「そ、それは何?」
「最終的な選択肢の数」
「選択肢・・・・・・」
「今は彼氏さんしか見えてないだろうけど、たとえば時間がたって状況が変わったとしたら、裕介には「女性」という選択肢がまだ残ってる」
優しい表情とは裏腹な聡太の指摘に、裕介は体を固くした。そして低くつぶやいた。
「状況なんて変わらないよ・・・・・・俺だって覚悟して瞬を選んだんだから」
「裕介が軽い気持ちで彼氏さんを選んだ訳じゃないことはわかってるよ。でも、たとえば未来に、子供が欲しくなることだってあるかもしれないでしょ」
「それは・・・・・・・そう、だけど」
「他にも、ご両親のこととか」
「・・・・・・・その話はいつか、しないといけないとは思ってた」
「だよね。俺たちの中でも、それは避けて通れない問題なんだ」
「聡太と槇さんは、もう?」
「俺はほとんど勘当状態だから。槇のご両親にはまだ、言えてない」
「そうか・・・・・・・」
「もし裕介のご両親が孫を切望して、彼氏さんと別れて女性と結婚してくれないか、って言ったら、裕介はどうする?」
裕介は言葉を失った。両親の顔が浮かんでくる。特別口うるさいわけでもない、ごく普通の夫婦。しかし、だからこそこのイレギュラーな状況を受け入れてくれるかどうかは、全く予想がつかない。黙っている裕介の肩に、聡太の手が伸びてきた。ぽん、と優しく押さえると聡太は言った。
「つらいかもだけど・・・・・・多分彼氏さんは、裕介が別れるって言ったら黙って身を引くと思う」
「そんな、なんだよ、そんなの、」
「それだけの覚悟ってこと。俺だって・・・・・・槇が、やっぱり子供欲しいから別れてくれって言ったら、多分諦めると思う」
「聡太も?!」
「だって、仕方ないじゃん。・・・・・・産めないんだから」
とどめの言葉が裕介の胸をえぐった。瞬のカムアウトの裏の悲壮な覚悟も知らず、蚊帳の外に放り出された気分になってむくれていた自分。そして目の前にいる親友も、同じく大きな覚悟を持って同性の恋人と共にいる。
「彼氏さんがひとりでカムしたのも、長い目で見て影響を受けるのは自分だけでいいと判断したんだろうね」
聡太の言葉に、裕介の目からぼたりと大粒の涙があふれた。
「ねえ、裕介」
ぼたり、ぼたりと涙はテーブルを濡らした。
「今、裕介が出来ることは、男泣きするほど彼氏さんを大切に思っているって、伝えてあげることとじゃない?」
裕介は手の甲で涙と鼻水を一緒くたに拭いながら、大きくうなづいた。
「俺、ちゃんと伝える!もうガキみたいにすねない!」
うんうん、と聡太はうなづき、ポケットティッシュの袋を差し出した。ちーん、と鼻をかむと、裕介は二千円をテーブルに置いて立ち上がった。
「聡太、ここ俺の奢り!で、帰ってきたら今度こそ、瞬を紹介するよ。槇さんにも会いたいし」
「だね。四人でご飯行こう」
「絶対な!」
「うん、絶対」
「じゃあ、俺行くわ!ごめん、こんな形で!」
「大丈夫。頑張って」
ありがとう、と元気よく言って、裕介は店を出た。横断歩道を渡り、地下鉄駅の入口に消えてゆく直前、裕介は立ち止まり、まだ喫茶店の中にいる聡太に向かって大きく手を振った。
「裕介は本当に幸せ者だね」
聡太は裕介が残していった千円札二枚を持って立ち上がった。
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