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20.それぞれのこれから
「うん、そう、うん。え? そうだよ。この間話しただろ? そう。・・・・・・わかってるよ、そのつもり」
出発の日、槇は聡太から少し離れて電話をしていた。聡太は新しい仕事先の人か、友達かと思っていた。自分も裕介にメッセージを送り、携帯を鞄に仕舞ったとき。
「え? ああ、うん、聞いてみるから、ちょっと待って。・・・・・・・聡太、ちょっといい?」
槇は今日、麻のジャケットに黒いTシャツ、チノパンという出で立ちだった。サラリーマン時代のスーツ姿とはずいぶん雰囲気が違って見えた。
「え?」
「電話」
「電話? 誰?」
「俺の母親。ちょっと替わってくれる?」
「・・・・・・・はっ?」
「話したいって、聡太と」
「ちょっ、ちょっと、ちょっと待って、どういうこと?」
「つき合ってるって言ったら、挨拶させてほしいって言ってるんだけど」
「えっ・・・・・・言った・・・・・・の?」
「うん」
「聞いてないよ?!」
「えーと・・・・・・ごめん、母親にだけは話した」
聡太は思わず両手で顔を覆った。裕介と話したことがまさか自分に降りかかってくるとは。それよりなにより、槇の母親と話すなんて、心の準備ゼロパーセントだ。
「槇・・・・・・・お母さん、怒ってないの?」
「怒ってないよ!純粋に挨拶したいだけだって」
「ほんとに・・・・・・?」
「本当だって。ほら」
聡太はおそるおそる、槇の携帯を受け取った。そして小さく息を吐き出してから、「川野辺と申します」と言った。
「・・・・・・・なんで黙ってたの?」
電話を終えた聡太は、横目で槇を睨んだ。槇は悪びれず答えた。
「聡太、事前に言ったら構えるだろ。それに、伝えるのはまだ早いって言いそうだし」
「・・・・・・・言ったかも」
「でも大丈夫だったろ?」
「それは・・・・・・びっくりしたけど」
槇の母親は天真爛漫に、「海外でいろいろ大変かもしれないけど、槇をよろしくお願いしますね」と言った。
「お母さん、理解あるんだね」
「理解っていうか、あの人バツイチでかつ、俺の前にひとり女の子産んでるんだよね」
「え・・・・・・」
「それも、元旦那が外国人で、産んでから音信不通になっちゃってそれっきりなんだって」
「ええっ」
「俺にはハーフの義理姉がいるらしい。母親がなんで別れたのかもいまだ知らないし、姉にも会ったことがない」
「槇・・・・・・ごめん」
「ああ大丈夫、これを小学生の頃にあっけらかんと話されてるから、悲しくもなんともないんだ。あの人にとっては武勇伝らしいから」
「武勇伝って」
「ウケるよな。そんな母だからさ、聡太のこと話した時、第一声、なんて言ったと思う?」
「な・・・・・・なんて?」
「あら、そうなの。その子かっこいい? だって」
槇はくすくす笑いながら、面白いだろ?と言った。聡太はあんぐり口を開けて固まってしまった。
「男同士とか、あんまり関係ないみたいで。それより俺が今まで、つき合ってる人を母親に紹介したことなかったから、そっちのほうが嬉しかったみたい」
「そうなの?」
「うん。今までの相手は、そこまでの必要性を感じたことがなかった。でも聡太は、どうしても紹介しておきたかったから。でもごめんな、いきなりで」
「・・・・・・驚いたけど、お母さんと話せてよかった」
「安心して行けるだろ」
「うん。・・・・・・すごく幸せ」
聡太はそっと目を押さえた。友人の恋の行方を応援していたら、自分の身の上に想像よりずっと幸せな出来事が降ってきた。槇にしても裕介にしても、性的指向の違う恋人との未来を真剣に考えている。嬉し涙を拭って笑顔を作り、聡太は槇を見た。
「そうだ、槇、聞いてくれる?前に話した友達のことなんだけど」
「ああ、幼なじみだろ?その後どうなったか、聞きたかったんだ」
「この間会ってね、ちょっとぎすぎすしてたみたいで、それで・・・・・・」
槇はさらりと聡太の背中に腕を回し、うんうん、と相づちを打ちながら、搭乗口に向かって歩き出した。聡太は少しだけ高いところにある槇の目を見つめながら、恋人とうまくいかなくて悩んでいた親友の話を始めた。
☆
「瞬!ただいま!」
ドアを勢いよく開け、靴を放り出して裕介はリビングに走った。が、家の中は静まりかえっていて、瞬の声は聞こえない。
「あれ?瞬?」
出掛けるとは聞いてなかった。リビングもキッチンも風呂場にも、瞬の姿はない。
「・・・・・・体調でも悪いのかな」
お互いの部屋には、無断で入らないと決めている。つき合い始めてもプライベートは大事にしよう、と言ったのは裕介なのだが、その実いつでもリビングにいて、部屋に入るのは寝るときだけだった。瞬は時々自分の部屋で読書をしたり、疲れていると昼寝するといって一時間くらい出てこない時もある。
「しゅー・・・・・・ん?」
おそるおそる部屋のドアをノックする。反応はない。しつれいしまあす、と言いながら裕介はそっとドアを押し開けた。
瞬の部屋はきれいに片づいていた。読みかけの本がデスクの上に伏せて置いてあり、奥のベッドに壁側を向いて体を小さく丸めて眠っている瞬がいた。手に携帯電話を持ったままで、何かの動画を見ながら寝落ちしてしまったのか、音声だけが小さく流れている。裕介はベッドサイドに忍び足で近づき、すぐそばの床に正座した。静かな寝息を立てている瞬の後頭部をじっと見つめると、裕介は小さな声でぼそぼそと話し始めた。
「聞こえてないかもしれないけど、勝手に話すから、聞いてくれな」
支離滅裂な宣言をして、裕介は自分の思いの丈を説明し始める。
「俺、自分のことばっかり考えてたよ。ただ嬉しい楽しいだけで、その裏で瞬が考えていたことなんて、想いもよらなかった」
瞬は起きる気配なく、すう、すう、と寝息だけが聞こえる。
「幼なじみがさ、教えてくれたんだ。きっと瞬は大きな覚悟を持ってカムアウトしたはずだって。将来のこととか・・・・・・子供やお互いの両親のこととか」
裕介はそこで言葉を切った。じっと後頭部を見つめるが、瞬に動きはない。かなり深く眠っているようだった。
「瞬がどう考えているかわからないけど、確かに俺はもともと異性愛者だから、瞬からしたら絶対的な信用をおける存在ではないのかもしれない。でも、」
瞬の肩が少しだけ動いた。びくついて裕介は言葉を切った。が、瞬は壁の方を向いたまま動かない。裕介は少しだけ間を空けて続けた。
「俺はこれから、瞬が心配しなくてもいいように、ちょっとずつ信用を培っていくつもりだから」
「へえ」
「・・・・・・えっ」
ごろん、と瞬の丸い背中が裕介の方に転がった。さっきまで聞こえていた寝息はどこへやら、ぱっちりと開いた瞬の黒目がちの瞳が裕介を捕らえた。
「お、お、起きてたのかよ!いつから?!」
「自分のことばっかり考えてた~、あたり」
「そんな言い方してねえ!つかほぼ最初じゃんかよ!」
「勝手に話すから聞けって言ったのお前だろ」
「うぐぐぐ・・・・・・」
「寝てる人間に語り聞かせるには声量ありすぎなんよ」
「・・・・・・すみません」
「で、俺が心配しなくていいようにって? なにをどうしてくれるの?」
「あ、あの、それは・・・・・・」
裕介は頭をがりがり掻いた。いざ面と向かうと急に恥ずかしくなってきた。しかし怯むわけにはいかない。裕介は腹に力を込めて、瞬の目をまっすぐに見据えて言った。
「近い将来、両親に紹介する」
ところが、瞬はあっさりと返してきた。
「いや、もう会ったことありますが」
「そうだけど!友達としてじゃんか!彼氏としてだよ」
「おばさん、びっくりしてひっくり返るぞ」
「それでも!」
「・・・・・・それから?」
「そっ、それから・・・・・・」
大きく息を吸い込むと、裕介は大きな声で言った。
「俺はお前とずっと一緒にいる。やっぱり女性の方がいいとか、絶対に言わない」
「何事も絶対にとか言わない方がいいぞ?」
「なんでそんなこと言うんだよぅ・・・・・・」
「いや、あとで自分が辛くなるから」
「俺の決死の告白をクールにやり過ごすんじゃねえ!」
「やり過ごしてるわけじゃない」
瞬は身を起こし、ベッドのへりに座った。そして床に正座したままの裕介を見下ろして、言った。
「裕介。確かに俺は、お前よりはちょっとだけ未来のことを考えてたかもしれない。でも、さほど悲壮な考えはよぎらなかった」
「・・・・・・へ?」
「お前の親友と立場は一緒だけどな、俺の方が楽観的なんだよ、多分」
瞬の手に引っ張り上げられて、裕介は瞬に並んでベッドに腰掛けた。
「お前がもし、好きな女が出来たと告白してきたとする」
「う・・・・・・うん」
「俺はありとあらゆる手を使って、その女の存在を特定し」
「うん・・・・・・?」
「そして「沢裕介とつき合うのはやめておいたほうがいい」という情報を、女の周りの人間からじわじわと浸透させ、固め、諦めさせ」
「・・・・・・・」
「最終的には女の方から「ごめんなさい」と言わせるように仕向ける」
「瞬!こわい!こわすぎるぞ!」
「冗談だ」
「いやマジだろ!」
「半分な」
「半分て!」
「それから」
「ま、まだあるの?」
「もしお前が子供が欲しくなったから、女と結婚すると言ったら・・・・・・」
「ままま待て待て、まさかどこかから子供さらってくるとか言うなよ?」
「正式な手続きを踏んで、養子を迎える」
「そこはまじめか!」
「子供が将来困らないように、結構前からいろいろ調べてる」
「まじで・・・・・・?」
「だいたいお前の考えてることは予想がつくからな」
「・・・・・・・」
「どうだ、楽観的だろ」
「いや、これは用意周到と言うのでは」
「まあ、そういう意味では覚悟してると言ってもいいのかもな」
「瞬・・・・・・」
瞬は急に、にか、と笑った。そして裕介の頭を自分の腹の中に抱え込んだ。
「だからなあ、裕介くん。お前はなんにも心配せずににこにこ笑って変わらず馬鹿なこと言っててくれよ」
ばかとはなんだ、ばかとは、と言いながら裕介は暴れた。が、羽交い締めされた腕で半分しか見えない瞬の顔が、見たことないくらい赤く染まっているのがわかって、この上なく嬉しくなった。
冷静で滅多なことではうろたえない瞬の本心。「黙って俺のそばで幸せそうに笑ってろ」と裕介には聞こえた。
「あのさ、瞬、幼なじみがイギリスから帰ってきたら、みんなで飯食おうよ」
「・・・・・・いいけど」
「絶対楽しいよ!いろいろ相談できるしさ」
「なにを?」
「えっと・・・・・・」
「俺の彼氏が冷たいですとか?」
「いや、その、」
「まあ、お前が楽しいならいいよ」
「なんそれ!また子供扱いかよ!」
「ふふふ」
笑った瞬は、裕介の顔を挟み込むと濃厚なキスをした。唇が離れて、驚いた裕介は目をぱちくりした。
「しゅ、瞬?」
「お前が帰ってくる前に風呂入って、少しだけ横になろうと思ったらうとうとしちゃったんだよな。その間にお前が帰ってきたってわけ」
「・・・・・・風呂?」
「そ」
「えーと・・・・・・」
「鈍い!」
どすん、とベッドに押し倒されて、裕介はやっと気付いた。不敵な笑みを浮かべた瞬は裕介の胴体を跨ぎ、こう言った。
「なかなおりセックスしようとして準備してたんだっつの」
「瞬、ちょっ・・・・・」
「抱けよ」
「は、はいっ!」
裕介は瞬の首もとに腕を回した。瞬も裕介に手を伸ばす。二人の左手には、ささいな喧嘩の元となった指輪が光っていた。
了
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