図書館は職場なので迫らないでください

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窓の外は小雨が降っていてきっと想像以上に蒸し暑いんだろう。行き交う人をぼんやり見ながら、抱えた本を棚に戻す。 本に囲まれた職場は静かで快適な空調で独特の匂いとか俺にとっては居心地がいい。年季の入った古い図書館だけど俺はこの職場を気に入ってる。 「藤野(ふじの)くん、交代」 中肉中背で眼鏡で髪を後ろで簡単に一つに束ねてる、飾り気のない地味女子の枝多(えだ)さんが俺に声を掛ける。枝多さんはまさしく図書館のスタッフってかんじの女の人だ。それか本屋。 まあ、俺だって枝多さんのことをどうこう言えない似たような中肉中背でそこら辺にいるような眼鏡男子だ。ちなみに眼鏡はフレームなしのサイズ大きめの丸メガネ。なんかちょっとすかしてるみたいで正直気に入ってない。 俺は前の四角くてフレームのガッチリした頑丈なやつがよかったんだけど、その前の頑丈なメガネを踏んで壊したときに姉ちゃんがどうしてもこっちを勧めてくるから断るのもめんどくなってこっちにした。「あんたもうちょっとやればできる子なんだから‥!」とかなんとか姉ちゃんは言ってたけど、残念ながら勉強は苦手で大学中退して図書館のアルバイターやってます。 まあ、そろそろ切んなきゃ、って思って伸ばし伸ばしにしている長い前髪でちょっとはこのメガネだけ妙に浮いた洒落っけを隠せるといいななんて思ってる。ムダか? 少しよれてきてそろそろ寝巻き行きになりそうなTシャツとちまむらで買ったパンツに図書館のエプロンを掛けている、まあ俺だってうだつの上がんないやつってかんじだと思う。 「藤野くんそろそろ髪切れば?可愛い顔が隠れてもったいない」 はいはい。おちょくられてんね、俺。身だしなみはそれなりにしなきゃダメだよな。社会人として。ってことを暗に枝多さんは教えてくれてるわけだ。次の休みにでも1000円カットに行くか。 本の整理業務からカウンター業務に交代。俺は定位置についてのんびり人を待つ。すぐに人が入り口からやってきて、外の雨でしっとり濡れた傘を畳むとカウンターに返却の本を出す。見れば額にうっすら汗。 6月のじめじめした陽気だ。外で歩けば少し汗ばむんだろう。来館者はポケットからハンカチを出して額を押さえながら中へ入って行く。 目の前の時計をふと見れば、時刻は午後4時。これくらいのまったりとした時間が好きだ。返却された本を片そうと手を伸ばすと人の気配。見上げればそこにはこの場にはふさわしくないかっちりとしたスーツ姿の男がいた。なんつうか、高いスーツって一発でわかんのな。初めて知ったわ。 俺の持ってるスーツなんて一着だけで、成人式の時に買ったきりでクローゼットの中で忘れ去られてる。もちろんお値段は量販店の最安値。あと見慣れてるといえば親父のくたびれたスーツか。 くらべる基準がそこだからどれくらい目の前にいる男のスーツが高いのかなんて俺には到底わからないけど、でも光沢があって重厚感があんだよ。すげえオーラが出ちゃうスーツ。俺もこんなの着たらなれるかなあエグゼクティブ。 「これ、返却に来たんですけど」 極上スーツに目を奪われ、それを着てハイクラスになって女子にきゃあきゃあ言われてる自分を想像し始めた俺は我に帰ると、申し訳無さそうに一冊の本を差し出してきた男を改めて見た。 お、わー!! 顔見て二度びびる。なにこれ?すげえ男前じゃん!なんつうの?イケメンとかじゃなくて美形。これが美丈夫ってやつか?でも線の細い感じではなく、身体もしっかりそれなりに厚みがあって、だけどスタイリッシュ。足、長え。つまり、背も高え。俺が167だから185はあんな。高校の時の同じクラスの(むぎ)ちゃんがコレくらいの目線だった。ただ顔の大きさが尋常じゃなく違うけど。麦ちゃんは身体もでかいけど顔もデカかった。まさにオーク。まあ、麦ちゃんの話は今どうでもいい。 俺があまりの神々しさに見惚れていると男はこちらに視線を向け、にこりと微笑んだ。微笑みが自然で慣れている。俺が向けたであろう「何この半端ない美形」ってかんじの不躾な視線なんて慣れっこなんだろうな。 振る舞いもまさに神。目鼻立ちの整った大いなる美形がしょっぼい図書館に降りたもうてる。まぶしや。 目をしょぼしょぼさせながら、俺は受け取った一冊の本を裏っ返す。バーコードを読み取って返却するためだ。 つうかこんな人図書館に来んのな。バイトとして働いて2年経つけどこんな金に不自由して無さそうな男が図書館に来るのなんか初めて見るぞ。まあ来たっていいけどさ。なんか必要な本があったんだろ。 てか、ない。ないぞ。本の裏表紙にシールがない。図書館の名前の入ったシールと貸出、返却に使うバーコードのシールが‥。というか、よく見るとこれいつの本だよ。ちゃんと『岩島(いわしま)図書館』の刻印はあるよ。まて、刻印って!これいったい何十年前の本?! 「その、返却がかなり遅れてしまったこと‥申し訳ありません」 男は少し姿勢を正し、本当に申し訳なさそうに謝ってきた。 「先日、祖父が倒れまして‥。祖父はずっとこの本をこちらの図書館に返さず持っていたそうで、それが心残りだからと私に返すよう頼んで来まして‥。こちらの図書館には大変ご迷惑をお掛けしてしまい申し訳ありません」 「あー‥、おじいちゃんが」 それはご愁傷様です。この人はおじいちゃんの言葉通りにわざわざ今更おじいちゃんが何十年も前に借りパクした図書館の本を返しに来てくれたわけね。 「‥んー、まあ、いんじゃないっすか」 「え‥?」 俺の間抜け声に美形スーツ男子もちょっと間の抜けた表情になる。ただし崩れた顔も美しいのだよ、みんな。 俺は少し美形男子に近寄ると声をひそめ、にやりとほほえんだ。 「時効っすよ、時効」 時効だよ。こんなん。幸いカウンターには今俺一人しかいないし、このやりとりは誰も見ていない。黙ってこの本は返却ボックスに入れられてたってことにして返却人不明にしたろ。 どうでもいいけど少しアップになるとさらに美形力がすごいな。この蒸し暑いであろう外からスーツで来たのに汗ひとつかいてない。さっらさら。むしろ涼しげよ。 美形男子は一瞬ぽかんとした顔をして、そして快活に笑った。 「ありがとう」 さわやか〜。美形男子の笑顔の威力容赦ない。 「別にいっす」 ちょっと唇とんがらがして照れ隠し。同じ男でもちょっと照れるよ。こんな顔されたら。なんかさ、この人振る舞いも男前なんだよ。こんなさわやかかつかっこいい「ありがとう」映画スターとかぐらいしか言わないんじゃない?って感じなんだよ。 美形男子は胸から薄い名刺入れを取り出すとそれを一枚俺に渡す。 「‥藤野くんの親切はとても嬉しい。でもずっと返却しなかったのはこちらの責任だから。新しい本も探したんだけど絶版になってるものだったし、もちろん新品を用意すればいいって問題でもないしね」 なぜ俺の名前を?あ、ネームプレートか。 「なにか問題があったらすぐにここに連絡ください。藤野くんに迷惑が掛かると私の胸が痛い」 律儀ー!美形男子、ほんと男前な。俺ならやったー!ラッキーって逃げちゃうよ。 ちょっと同じ男としてくやしいから俺もかっこつけとこ。 「いや、名刺とかいいっす。これも何かの縁‥。しまってくだせえ」 なんか慣れてなくて時代劇調になっちゃったよ。俺だせえなあ。まあいいか。 俺は片手をさっと上げると差し出された名刺を拒否するポーズを取る。これで美形男子はさらに喜んで「ありがとう、この御恩は一生忘れません」とか言って帰って行くだろう。 期待に満ちた目で美形男子を見ると少し眉を寄せて不満そうな表情をちらりと見せた。 なんで??え?いまいい流れ来てたでしょ?不満に感じるとこある?? でもそれは一瞬で、美形男子はまたすぐにこりと微笑むと 「ありがとう。お言葉に甘えます」 って言ってぺこりと軽く会釈して図書館を去っていった。
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