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 などと言いながらも、そんな生活にも慣れてしまいつつあったある日のことだ。近所に住まう庭の綺麗な(かた)から花の種を譲っていただく機会があった。自由になる金銭の無い私にはなんともありがたいことだ。  ずっと心に留めていた計画を実行するときがついにやってきた。  そう、あの花壇に種を蒔くのだ。  陽が傾き始める前に水汲みを終え、私は土いじりの道具と花の種を持ってあの一度も使われていないという花壇の前にかがみ込んだ。  近所の方に教えていただいたように土を手入れして種を蒔いていく。 「ただいま戻りました」  声に顔をあげると予定より少々早くベスが帰ってきていた。独特の規則正しい足音と共に私の傍までくると立ったまま腰を折って覗き込む。 「なにをしているのですか?」 「近所の方から花の種を譲っていただいたので蒔いてみようと思いまして。構いませんでしたでしょうか」  なにげない私の問いに少しの逡巡を見せた彼女は、しかし小さく頷いて横に並んでかがみ込んだ。 「これはどのような花が咲くのですか」 「大きな白い花びらを持った花が一輪ずつ咲くのだそうです。上手く育てば来年以降も球根から育って花を咲かせるのだとか」  花が咲くさまでも想像したのだろうか、彼女は少し()を置いて「楽しみですね」と呟くように言った。 「ええ、そうね……ベスも楽しみにしてくれるのですね」 「あなたの植えた花ですから」  その言葉に僅かな引っ掛かりを覚える。  花が好きなわけではないのだろうか。  そう思って視線を向けると、彼女は口元を押さえて視線を背けていた。  ますますわけがわからない。 「どうしました?」  横から顔を覗き込むとベスは伏し目がちに視線を落として「なんでもありません」と首を振った。心なしか声がか細い。  これは、もしかしてよい機会なのではないだろうか。  息もかかるほどの間近で肩を並べて接するなど、あの日以来なかったことだ。これからの日々を考えても、こちらから彼女の気持ちへ踏み込む必要があるのかもしれない。 「なんでもなくは、ないのではありませんか?」  このふた月ほどでわかったことのひとつ。  ベスの伏し目がちに視線を落とす仕草は、彼女なりになにか照れていたり恥ずかしいときの癖だ。  私は身を寄せて俯き加減になったその顔を覗き込んだ。私の肩と彼女の肩が触れるように重なる。  その瞬間、彼女が呼吸を止めたのを確かに感じた。  震えている。  心身共に鉄でできたような元使用人にして私の女主人であるベアストリが。  覗き込んだ彼女の顔は朱に染まり、なにかを堪えるように眉を寄せていた。 「どうしたのですか。ねえ、ベアストリ」  わざとらしく耳元で囁くと、彼女は目を強く閉じて小さく鼻にかかった息を吐いた。  私は既にこの行いこそが彼女を乱しているのだと薄っすらと自覚していた。  そして同時に胸に沸き上がる強い想いがあった。  そんな彼女を、もっと見たい、と。  刹那、彼女は私の土で汚れた手を引いて立ち上がり、勢いよく家の扉を開いて飛び込んだ。
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