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まったく反応できず家に引き込まれた私は、そのまま縺れるように床へ押し倒される。勢いよく倒れたにもかかわらず痛みはなかった。
私の背も頭もベスが包むように腕で守ってくれたからだ。
「だ、大丈夫ですか?」
押し倒された私が問うのもおかしな話だとは思いつつも、彼女はそれには答えず鼻先が触れそうな間近で視線を合わせる。
今にも涙がこぼれるのではないかと思えるほどに潤んだその瞳には、混乱、後悔、羞恥、興奮、焦り、自己嫌悪、どれだけ言葉を尽くしても言い表せないほどの負の感情が渦巻いていた。
けれども恐らく、それはただひとつの言葉で言い表すことができる。
愛、だ。
善意でも敬意でも好意でも友情でも同情でもない。ただ一言に、愛。
彼女という鉄の鋳型に押し込まれ封じられていた膨大な感情が今、そこに溢れ出していた。
同性に懸想するなど汚らわしい、ともすれば魔物に誑かされたなどと後ろ指差されるのが世間の常識だ。
そしてひとたび知れ渡ってしまえば、その咎は自分だけでなく相手をも苛みかねない。
「あなたの、私への気持ちは……その……」
これ以上の言葉を軽い気持ちで発してはならない。
私のなかで常識という名の警鐘が煩いほどに鳴り響いている。
けれども、それでも。
私は、彼女に対して誠実な自分でありたい。
「愛……なのね」
囁いたその言葉に彼女は耳まで真っ赤に染めて固く目を閉じた。
常に変わらない彼女。
鉄のように不動たる彼女。
けれども、たとえ鉄だとしても、それに相応しいだけ熱すれば溶けるのだ。
彼女はこくりと頷いた。
ベアストリの、その気持ちはいつからなのだろう。
私は貴族の娘だった。いつか当然のようにいずれか品格の釣り合う家へと嫁いでいく。だから私への懸想はその男女を問わずまったくの徒労でしかなかった。
そのはずだった。
彼女もきっとそう考えていただろう。だから最初から諦めて、おくびにも出さずにいられたに違いない。
けれども、私の家は破産してしまった。そして資産家の平民との結婚を拒絶して年季奉公の道を選んだのを知ってしまった。
それを最も近くで見ていたのは他ならぬ彼女だ。それは、諦めたはずの気持ちが再燃するには十分な出来事だったのかもしれない。
しかし、それにしても払う前金は平民の賃金に換算しても二十年分。生半可な覚悟と貯金では賄えない。
仲介をしてくれた“奴隷商人”の彼は既に事情をのすべてを承知しているのか、もしかして彼女が語るまでもなく少なからず事情を察していたのだろうか。
だとしたらなにもかも合点がいく。全ての歯車がかちりと噛み合い、巡り始めるのを感じた。
彼女の思いはすべてとは言わないまでも理解できた。
では、私はどうだろう。
未だこれ以上なにも言えずただ覆いかぶさりながらも震えている彼女を見上げる。
父のことはあるけれども、格別男性を嫌悪しているわけではない。
彼女に恩はあるけれども、それでも女性を恋愛の対象とできるかは自信がない。
それでも言えることはひとつ、確実にある。
私リゼッタは、彼女ベアストリを、とても愛おしく感じている。
今はそれで十分なのではないだろうか。
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