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屋敷で朝食をとって数刻。今は街を走る馬車に揺られている。
作りのしっかりした少し厚めの服と二日分の着替え、それから換金できない程度の値しか付かなかった私物が少々。
これが私に残された全財産だ。
馬車のなかには私ともうひとり、馬車の所有者である男性が乗っている。
貴族たちの間では“奴隷商人”などと揶揄されている彼が残った借金の清算を請け負ってくれた。
なんとも不名誉な仇名ではあるけれども、ともあれ少なくとも王国の法としては奴隷制度など存在していないし、そもそも違法だ。
では何故そのような呼ばれ方をしているかといえば、それはやはり近しい行いをしているからに他ならない。
多額の前金と引き替えに長い年月を住み込みで働く年季奉公という雇用形態が、王国に限らず大陸全土の社会に存在している。
もちろん報酬は正当に、年月に応じた十分な額が支払われるように決まっているが、その前金はほとんどの場合奉公人の家族、主に親が受け取る。
結果として本人は実質無給で労働に従事することになり、前金で報酬を受け取っているため待遇に不満があろうとも強くは言えず、事実上の人身売買ではないかという議論がたびたび起こる慣習だった。
そして彼は金貸しの仕事と同時に仲介料を取って奉公人の斡旋を行っている。
彼の仇名に使われる奴隷という言葉は年季奉公人を指しており、つまり今日からの私でもあった。
とはいえ、私の身分が貴族から変わるわけではない。国から与えられた名誉階級である貴族の地位は破産したところでいささかも毀損されないと法で決まっているからだ。
この法に対して表立ってわざわざ異を唱える者はいないが、破産した貴族は現実的には他の貴族から明らかに下位の者として扱われるようになる。
実際にそのような扱いの変化を目の当たりにしたことは幾度かあったし、私自身も特にそれを疑問に思いはしなかった。
そしてそれは市民の目からも同様だろう。
返済処理も佳境に入った頃、より具体的には破産が確実視されはじめた辺りから、使用人のなかには早くも態度を変える者が出るようになった。
むしろ貴族である私が自分たち以下の立場に転落するであろう未来に暗い愉しみを見出している者すらいる様子だった。
思えば公私を問わずおよそすべてのひとたちが私に対して多少の変化を見せていたなかで、屋敷にいる間私の目が届く限りにおいて一度たりともそのような素振りを見せなかったのは、最後に暇を出した使用人の彼女だけだったろう。
私の身の回りの世話をするために雇われた彼女は、元から少し不愛想で融通の利かない、よく言えば生真面目な性格をしていた。
そんな彼女が向けてくる仕草や言葉からひとかけらの蔑みも憐れみも見いだせないことを、彼女らしいと納得しながらもやはり少し不思議に思っていた。
よくも悪くも私の今後に関心のあった周りのひとたちとは違い、私の行く末になどなんの興味もなかったのだろうか。
それとも、生真面目な彼女は仕事に私情を垣間見せないよう努めていただけで、つまり私が知らないだけで、やはり彼女なりに気持ちの変化があったのだろうか。
だとしたら、本当はどう思っていたのだろう。
そしてもし再び出会ったなら、貴族から脱落した私をどう扱うのだろうか。
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