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「──健治が、人を殺した」
─1─
「まだ着かないの? 眠くなってきちゃった」
今、私の旦那、健治の実家へ向かっている。迎えに行けないからと、空港からは、お義母さんが用意してくれた車に乗り換えた。長旅の疲れからか、知らない間に私は寝てしまっていた。
「美月、村に着いたよ」
「うん? あれ? いつの間に……」
「疲れたんだよ。大丈夫だよ」
起きてすぐ、目に飛び込んできたのは、村とはかけ離れている風景だった。
「健治、ここって……」
言葉を失っていると、健治が説明してくれた。
「この村は、財政が潤っているからな。まあ、美月が驚くのも無理ないよ」
そう言うと、健治は鼻で笑った。
確かに潤っているのは明らかだった。少なくとも、私が知りうる村とはまるで違った。なぜなら、今、私の目の前には、異様な光景が広がっているのだ。背の高いビル、ホテル、飲食店、マンション、百貨店……。そして、少し目線を変えると、青々とした山が目に飛び込んでくる。
ここは、都会と自然が共存しているかのような……まるで異世界に迷い込んだかのようだ。
健治と私は同じ歳で、二十五歳の頃、友達の紹介で出会った。健治は背が高く、スタイルもよく、目じりのたれた優し気な雰囲気を持つ人だった。そんな彼が、中肉中背で見た目も特徴のない、平凡で地味な私になぜか一目惚れをし、交際に発展した。あとで理由を聞いてみると「はじめて出会ったとは思えないほど自然に話せたし、何より落ち着いていて安心できた」と言っていた。未だに、それが褒め言葉なのか疑問である。そして二十九歳の頃に結婚をし、しばらくは東京に住んでいた。健治は銀行員、私は保育士として、忙しくも充実した毎日を過ごしていた。しかし、結婚をしてから三年目の今年、健治のお義父さんが体調を崩しがちになり、畜産農家の後を継ぐことになったのだ。
そして、今日、この村へ引っ越してきた。
「美月、もうすぐ着くよ」
見えてきたのは、広い敷地。大きな門があり、大きな庭は綺麗に整備されていて、清潔感が感じられた。そして、西洋風のお城のように大きな家。今にも王子様が出てきそうだ。
何もかも規模が違う……。
「ただいまー!」
健治の声には、嬉しさが表れていた。
「おかえり! よく帰ってきてくれたわね! 美月ちゃんも本当にありがとう」
背が高く、背筋がピンと伸びていて凛々しいお義母さんは、とても、今年還暦を迎えたとは思えないほど綺麗だった。
──素直に嬉しかった。こんなに歓迎されるなんて。移住への不安が少し和らいだ気がした。
「お父さんも会いたがっていたから、今度、病院へお見舞いに行ってあげてね」
「はい、わかりました。必ず行きます!」
お義父さんは、容態があまりよくなく、昨日入院していたのだ。早めに会いに行こう。
「美月ちゃん、こっちへ来て」
そう言って、笑顔のお義母さんが案内してくれたのは、私の一人部屋だった。
「一人部屋まで、用意してくれたんですか?」
「もちろんよ。誰だって一人の時間は大切だもの。好きに使ってね。インテリアとか、欲しいものがあったら買ってらっしゃい。お店ならたくさんあるから」
疑わしいほどの好待遇に、戸惑う。こんなにもよくしてくれるなんて……。
私は母子家庭で育ち、母が苦労してここまで大きく育ててくれた。そんな母は、私の結婚を待たずして、長年の過労がたたり、亡くなったのだ。もし母が生きていれば、一緒にこの豊かな村に移住してこられたのに……。でも、母を心配させない為にも、ここで幸せに暮らして行きたい。
「美月、村を案内するよ!」
弾む声で健治が言った。健治も嬉しいのだろう。
思い返せば、結婚をするときも、健治の家族が東京に会いに来てくれ、少なくとも三年以上は実家に帰って来ていなかったのだ。
「健治、帰ってこれてよかったわね」
「うん。しばらく顔も見てなかったしな。父さんがもう少し元気な時に帰って来たかったよ。明日にでも病院に一緒に行ってくれるか?」
「もちろんよ、行きましょ」
話しているうちに、また高いビルが近づいてきた。やはり異様な光景だ。自分がどこにいるのかわからなくなる。私は村に引っ越してきたはずなのに。
「健治、どうしてこの村はこんなに栄えているの?」
純粋な疑問を口にした。
「まあ、そう思うよな。この村は畜産と農業が盛んで、国から指定された村なんだ。だから色んなことが優遇され、保証されているんだ。日本ではここぐらいじゃないかな」
「ふーん。すごいのね……」
どうも、釈然としない。目の前に広がる光景は、誰がどう見ても異様。人がほとんど歩いていないにもかかわらず、都会のようにビルや店が立ち並び、まるでゴーストタウンのようだ。この日本にこんな村があるとは……。いや、私が知らないだけで、他にもこういう場所があるのかもしれないが。
「けんちゃん?」
前から歩いてきた、シルバーヘアーで、少し腰の曲ったおばあさんが話しかけてきた。
「安藤おばちゃん?」
「帰ってくるって聞いてたけど、今日だったんだね。おめでとう」
「ありがとう、おばちゃん」
おめでとう……?
「あら? そちらは美月ちゃんかい?」
「そうそう、美月だよ。よろしくね」
「よろしくお願いします……」
──どうして、私の名前を知っているのだろう。それに『おめでとう』とはいったいどういう意味なんだろう。
「あら、けんちゃんでしょ!」
今度は違うおばちゃんが話しかけてきた。これは、小さな村ならではなのか、会う人会う人顔見知り。
「今日帰って来たんだね。おめでとう。よく頑張ったね」
「ありがとう、おばちゃん」
まただ。帰ってきたことがおめでとう? それになにを頑張ったというのだ……。
「美月ちゃんもこの村のこと、気に入ると思うわよ。わからないことがあったらなんでも聞いてね」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
みんなが名前を知っているのは気になるが、いい人が多そうで少し安心した。
「もう少し買い物したら、帰ろうか」
村とは思えない品揃えで、満足のいく買い物が出来た。お金は全て健治のお義母さんが出してくれた。
健治がこんなにもお金持ちの家の生まれだったなんて……。実は玉の輿にのっていたとは。これが僥倖というものなのか。
帰ると、お義母さんが夕飯の支度をしていた。私は慌てて手伝いに行く。
「お義母さん、すみません!」
「いいのよ。今日ぐらい座ってて。明日からはお願いするときもあるんだから」
優しかった。ふと、死んだお母さんを思い出した。こうやって、二人で台所に立ち、料理をしたかった……。
「さあ、出来たわよ! 食べましょ」
少し濃い味の料理は、どれも手がこんでいておいしかった。ひじきの煮物、きんぴらごぼう。メインはザンギ。豆腐とわかめのお味噌汁。白米は白く、艶、粘り気があり、甘い。母の料理を思い出し、目頭が熱くなっていた。
「ごちそうさまでした。私も片づけ手伝わせてください」
「美月ちゃん、さっきも言ったでしょ。今日くらいはゆっくりしていて。そうだ! 近くの温泉でも行ってきたら? 健治、連れていってあげて」
「そうだな。久しぶりに行くか」
こうして、健治と二人で温泉に行くことにした。
着いた温泉は、またしても大きく雰囲気のある施設だった。物語の中に入り込んだような和風の建物で、庭園まである。辺りは湯煙が立ち込めており、なんとも幻想的だ。これで、日帰り温泉だというのだから、驚きだ。
脱衣所に行くと、村のおばちゃんや、若い人も来ていた。浴場からは子どもの元気な声が聞こえ、混んでいるようだった。
「あら? 高峰さんのとこの美月ちゃんかい?」
「はい、そうです……」
村で見たことのない顔は目立つのだろう。移住してくる人も、少ないだろうし、すぐに噂になるのだろうか……。
「もう、村役場には行ったかい?」
「まだです。さっき村に着いたばかりで……」
「そうかそうか。じゃ、村長にはまだ会っていないんだね。それなら早く会っておいでよ。素晴らしいお人だよ」
──村長。確かに、こんなに大きな村を仕切っている村長とは、どんな人だろうか。気にはなる。
久しぶりの温泉は、長旅の疲れを癒してくれた。この村は、近くの大きな町から車で二時間かかるのだ。空港から村までの景色は、白樺の若葉が太陽に照らされきらきら輝いていて、いつまでも見ていられるほど綺麗だった。しかし、それを飽きさせるほどその道のりは遠く、何時間かかったのか覚えてもいない。けれど、町から遠く離れていても、これだけ村が栄えているのなら、村を出ずともいいのだろう。行くとしても、病院くらいなのかもしれない。さすがに大きな病院まではないだろう……。
のぼせないうちに出ようとしたとき、おばちゃんたちの話が耳に入ってきた。
「この間のゼンコウ、うまくいったみたいでよかったわね」
──ゼンコウ? 聞いたことのない言葉。学校の行事かなんかなのだろうか。それとも、村の行事なのか……。
さて、家に帰るか。
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