陰徳

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─11─  サイレンが鳴った日から、三日が過ぎようとしていた。日を増すごとに寒さが増し、朝日は昇るのが遅くなり、日が暮れるのが早くなる。太陽が顔を出している時間が短くなっているのを感じる。  北海道の秋は一瞬で通り過ぎ、すぐに冬が訪れる。物悲しい季節だ。  厚着をし、講習の準備をする。あの日のショックから体調が優れず、部屋に籠る日が続いていた。講習も三日ぶりだ。 「健治、しばらく仕事を手伝えなくてごめんね……」 「いいよそんなの。それより早く元気になってくれよな。心配で……」  きっと健治は本当に心配をしてくれているはずなのに、疑心暗鬼になってしまう……。 「──うん、ありがとう」  健治はここで生まれ、小さい頃から洗脳されているのだから、疑問に感じなくて当たり前だと頭ではわかっている……。でも、お義姉さんのようにこの村で生まれ育っても洗脳されず、ずっと疑問に感じている人だっている。それなのに健治は……。と考えてしまう。そもそも健治はお義姉さんのことをどこまで知っているのだろうか。  ──そろそろ、講習に行く時間だ。 「行ってきます」 「無理だったらすぐ帰って来いよ。──気を付けてな」  三日ぶりの講習、赤井さんはどうしているのだろうか。休んでいる間も気がかりだった。 「おはようございます……」  誰もいなかった。 「まだ、来ていないのかな」 ほどなくして、講師が入ってきた。 「おはようございます。高峰さん、体調はどうですか? よくなりましたか?」  講習初日の、体格のよい汗っかきの講師だった。 「はい、だいぶ落ち着いてきました。ご迷惑おかけしました」 「それはよかったです。無理だったらいつでも言ってください。それで……、病み上がりの高峰さんに非常に伝いにくい報告なんですが、赤井さんについて伝えなければならないことがあります」  え……。嫌だ、聞きたくない。 「赤井さんは、昨日、自宅そばの空き家で、亡くなっているのが発見されました。外的損傷がないことから、自殺だろうとのことです」  赤井さんが……。自殺……。  あんなに怯え、別人のように変わってしまい、辛かったに違いない。悔しかったに違いない……。 「──遺書は、見つかったんですか?」  本当のことなど、教えてくれないとわかってはいるが……。 「第一発見者が、旦那様だったのですが、遺書のようなものは無かったと言っていました」  旦那さんが、見つけたんだ……。  ──見つけたとき、どう思ったのだろうか。善行で人を殺めているのだから、人の死には鈍感だろう。それとも、身内の死は、やはり特別なのだろうか……。  突然、講師のスマホが鳴った。 「すみません、ちょっと失礼します」  慌てて部屋を出て行った。  赤井さんは、どんな亡くなり方をしていたのだろうか。そもそも本当に自殺だったのだろうか。それさえも疑わしく感じる。悔しいのは、今の私には確かめる術はないこと……。それでも、最期に赤井さんに会って、お別れを言いたい。そう言えば、赤井さんがどこに住んでいるのかも、まだ聞いていなかった。本当にこれから、もっともっと仲良くなれると思える人だったのに。  講師が戻ってきた。 「申し訳ありません。今日の講習これで終わります。お疲れ様でした」  講師のお母さんの体調が急変したとのことで、急遽、講習は終了した。  講習が早く終わり、今はまだ家へ帰る気分には到底なれず、少し散歩をして帰ることにした。 「赤井さん……」  数日前まであんなに元気だったのに、もうこの世にいないなんて。もう会えないなんて……。赤井さんは、この村に来て初めてできた友達だった。秘密も話せると思えたし、同じ境遇で、同じ価値観を持っている唯一の人だった。  この村では、人の命があまりにも軽く扱われている。日常すぎて慣れてしまっているんだ。一度この村に足を踏み入れたら最後。きっと、一生出ることは出来ない。何もかも諦めて、この村を受け入れていくことしか生きて行く道はないのだろうか。でも、それでは人としての大切なものを失う気がする……。  村民は、いいことをしていると自分に言い聞かせ、『善行』という言葉の陰に隠れ、お金という餌を目の前にぶら下げられ、人を殺めていく。  この村に来た時、健治は言った。 「俺たちは、日本を陰で支えている」と。日の目を見ずとも、見返がなくとも徳を積むのが本来の『陰徳』だろう。しかし、村民は意味を履き違えている。自分にいいように解釈をしているのだ。  ──せめて、人を殺める意味を知りたい。どんな理由にしろ、到底理解は出来ないが『善行』が行われるようになった動機はなんだったのか。なぜ政府はこの村に『善行』を依頼したのだろうか。  赤井さんがどこまで知っていたかは、もう知ることはできないが、赤井さんの死を無駄にはできない。調べる必要がある。やはり、あの、おばあちゃんを見つけ出し、突破口を開きたい。  家に帰るとお義母さんがちょうど出かけるところだった。 「あら、おかえりなさない。早かったわね」 「講師のお母さんが体調悪いみたいで、急遽早めに終わったの。お義母さんはどこに行くの? その恰好って……」  お義母さんは喪服を着ていた。 「そうなの。お通夜なのよ。近所の人だから早めに行ってお手伝いするの」 「近所の人?」  お義母さんの顔が曇った。 「うん……。この間のご夫婦が亡くなったの」  周りを気にしながら、小声で続ける。 「あの時、美月ちゃんもショックを受けていて詳しく話すのはやめておいたんだけど……」  少し、ためらいながらお義母さんは話を続ける。 「もう気づいているとは思うけど……。この間、サイレンが鳴ったでしょ? あのサイレンって、善行が失敗した時に鳴るようになっているの。そして、逃げてくる人の逃げ道を無くす為に、家の鍵を全て閉めたり、外に人が出ないようにしたりするのよ。だからあの時、あのご夫婦は善行に失敗したの……」 「行き場を無くすため……」  なんて、残酷なんだ。一人では無理でもみんながやっていると思えば人は残酷になれるものなのか。右へ倣え……か。 「お義母さん、その夫婦って、どんな亡くなり方したの?」 「──自殺よ。きっと、これから行われる罰を恐れていたのね」  赤井さんと同じだ。これはもう、自殺ではない。村に殺されたのと同じだ。こめかみの血管が痛いくらい、怒りで頭に血が上っている。 「とりあえず、行ってくるわね。まだ、体調万全じゃないんだから、家でゆっくりしてるのよ」 「わかった。お義母さんも気を付けてね」  むしゃくしゃしていた。自分の無力さに腹がたっていたのだ。知っていながら何も出来ない自分が、腹正しいのだ。 「美月、帰ってきてたんだね。おかえり」 「──ただいま」 「どうした? なんか元気ないけどなんかあったか?」 「うん……。赤井さんって、一緒に講習受けていた友達いるでしょ? その赤井さんが自殺したの……」 「自殺? そっかー。それは残念だったな……」  それだけ? 他にはないわけ? 「自殺したのよ! 人が自殺するなんて、よっぽどのことがあったってことなのよ! それを残念の一言で片づけるなんて……どういう神経してるのよ!」  健治のあまりの鈍感さに、苛立ちを抑えることができなかった。 「どうしたんだよ。なんでそんなに怒るんだよ。自殺するのは悲しいことだけど、俺にとっては知らない人だし、それくらいしか言えないだろう」 「知らない人? 妻の唯一の友達なのよ? なんでそんなに、人の死が平気なのよ。普通じゃないわよ」 「おい、普通じゃないってどういうことだよ!」 「言葉の通りだけど? 説明が必要? 普通の感性を持っていないってことよ。あっ、健治だけじゃないわね。この村自体がおかしいわね」 「ここでどうして、村が出てくるんだよ。村を貶す必要ないじゃないか!」  健治は村を貶されたことに余程腹がたったのか、一気にヒートアップした。 「ほら、それよ。──はっきり言うけど、気持ち悪いのよ。この村も健治も!」  ──言ってしまった。もうどうにでもなればいい。 「い、今なんて言った? 気持ち悪いだと? おい、それどういう意味だよ。何が気持ち悪いって言ってみろよ!」 「あーもういい。この村で育った健治に私の気持ちなんてわかるはずがないわ」 「そんなことないだろう! いつも考えているだろう」 「ほんと? 移住するときだって、選択の余地がないくらい、勝手に決めてきたし、ここに来てからだって、戸惑っている私に何か声かけた? お義母さんに任せきりだったじゃない。見て見ぬふりしていたこと知っているのよ。それに、善行のことだっていつまでたっても説明してくれないじゃない! そんなに私、信用ない? まあ、もういいけど」 「どうしてそんなにこの村が嫌いなんだよ。何が不満なんだよ。なに不自由させていないだろう。仕事だってほとんど手伝わせていないし、お金だって自由に使わせているだろう」 「はあ。本当に何もわかっていないのね。そういうことを言っているわけじゃないのよ。この村のやっていることが怖いのよ。健治は怖くないの? 何をやっているか、知ってるくせに!」  あっ、この言い方はまずかったかもしれない……。 「お前、何か知っているのか?」  健治の顔色が変わった。 「い、いや、知らないわよ。私が知っているわけがないでしょ。誰に聞いても教えてくれないんだから」  慌てて誤魔化すが、言葉がたどたどしい。 「怖いって、怖いことなんて何もしてないだろう。気にしすぎなんだよ」  何を言っても、健治は村の方針に疑問を持たないだろう。どれだけの事を知っているかはわからないが、善行を平然とやってのけている時点で、常軌を逸している。 「もういいわ。健治には何も望まない。私がこの村に慣れればいいんでしょ。健治は私に寄せてはくれないってことでしょ? ──ちょっと外出てくる」 「おい! どこに行くんだよ!」 「うるさい! そんなの私の勝手でしょ!」 「おい!」  少し冷静になる必要があった。このままでは、何もかもぶちまけてしまいそうだった。  お義母さんは、健治にも話さない方がいいと言っていた。それは、健治がこの村を信じ切っているからだろう。これ以上、こじらせてはいけない。 「はあ……」  大きなため息をつくと、白い息が出ていることに気づき、途端に寒さを感じる。  また、悪いところが出てしまった。すぐ熱くなって、冷静さ失うこと。そして、なにより負けず嫌い。小さい頃から『強情な子』と言われていた。健治には『お前はきかない』とよく言われた。北海道弁らしいが、意味は『強情』だ。  とりあえず、今は赤井さんの家を探しだして、最後のお別れを言わなければ。そして、できることなら、旦那さんも話を聞きたい。  気分を変える為に、前から気になっていた、うちの近くにあるカフェに寄って帰ることにした。  そこは、講習の帰りに毎日通るカフェで、店先にはいつも赤いリボンを付けた、真っ白な猫が寝ている。その猫に声をかけて帰るのが毎日の日課になっていた。 「猫ちゃん、こんにちは。おじゃましますね」  ウッド調の外観で、周りには色とりどりの可愛いお花が、丁寧に植えられていた。『森のカフェ』と書いてある。ドアの前にはブラックボードが置いてあり、ランチメニューや、おすすめメニューが可愛い字で書かれていた。 「カランカラン」  ドアを開けると、香ばしいコーヒーの香りが、店中に広がっていた。 「いらしゃいませ。一名様ですか?」 「───はい」 「それではカウンターのお席へどうぞ」  初めて入るお店は、いつも緊張するタイプだが、棘のない穏やかな話し方の女性店員のおかげで、緊張が和らいだ。歳は同じくらいだろうか。小柄で、長い髪をゆるくまとめ、やわらかい雰囲気の女性だ。 「こちらがメニューでございます。ゆっくりお選びください」 「はい、ありがとうございます」  メニューは少なく感じたが、コーヒーの種類はシンプルでわかりやすい。とりあえず、酸味の少ないコーヒーが飲みたいのだが……。 「すみません、酸味の少ないコーヒーが好みなんですが……」 「はい、酸味の少ないコーヒーですね。ございますよ」 「じゃ、それとホットサンドをお願いします」 「はい、かしこまりました。もう少々お待ちください」  スムーズに注文ができ、ホッとしていると、奥のから男性の声がした。 「ごめんごめん。仕入れに手間取っちゃって」 「大丈夫、ありがとう」  男性店員がこちらに気づく。 「あっ、いらっしゃい。ゆっくりしていってくださいね!」  この男性店員も、感じのいい人だった。細身で背が高く、たれ目の目元が女性店員と似ているような気がする  程なくして、注文の品が運ばれてきた。 「──かわいい」  思わず、声が漏れてしまった。カップには、いつも店先で寝ている猫ちゃんが描かれていて、ソーサーには花柄のかわいい包み紙にくるまれた小さなクッキーが添えられていた。  ホットサンドは、見るからにカリッと焼かれていて、香ばしい香りがしていた。お皿にも同様、かわいい猫ちゃんが描かれていた。   さっそくカップを手に取る。カップは程よく温められていた。この些細な気遣いに癒される。口元にカップを運ぶと、香ばしい香りに脳内が刺激され、既に美味しさを認識している。 「───おいしい」  自然と笑顔になる。 「ありがとうございます!」  女性店員さんが、私に姿を見ていたようで、嬉しそうに話しかけてきた。 「とってもおいしいです! カフェが好きで、東京に住んでいた頃にもよく行っていたんですが、今までで一番おいしいです」 「わあ! 嬉しい! ありがとうございます」  カウンターの奥から、男性店員の声も聞こえた。 「東京から引っ越してきたんですか? こんな田舎に。大変でしたね」 「そうですね……。正直東京が恋しくなることもあります。でも、この村って不思議ですよね。人口こそ少ないですけど、街並みは都会と変わりないです」 「そうなんですよね。私たちが小さい頃はここまでではなかったんですけどね……。気づけばこんな風になっていましたよ」  少し、含みのある言い方だった。 「そうだな。俺らが小さい頃は、もっと自然があって暮らしやすい村だったんだけどな」  男性店員さんも同様の反応だった。 「あの、失礼ですが……。お二人って兄妹ですか?」 「わかりました? そうなんです。似てますよね」  女性店員さんが少し照れ臭そうに、笑った。 「よく言われるんですよね。でも、お兄ちゃんに似てるって言われるの、複雑です」  少し笑いながら、お兄さんの方を見た。 「おい、それどういうことだよ。幸せだろ、こんないい兄ちゃんいないぞー」  なんだかんだ楽しそうで、一人っ子の私には羨ましく感じた。 「ご兄妹で、カフェだなんて素敵ですね。羨ましいです」 「まあ、今は楽しくやれています。大変なこともありましたけど。あとはもう少しお客さんが増えてくれたらいいんですけどね」 「とっても美味しいし、お店も、お二人の雰囲気もいいし、また来ます!」 「わあ! 嬉しい!」  気が付くと、落ち込んでいた気持ちが、美味しいコーヒーと二人との会話によって、癒されていた。 「あの、少しお聞きしてもいいですか?」  そう言うと、女性店員さんが近寄ってきた。 「お客様、おいくつですか? 私と歳が近いそうだなって……」 「三十二歳です」 「やっぱり! 私、三十四歳なんです。近くに歳の近い人がいなかったから嬉しい!」 「私もこの村に来てから、家族以外、ほとんど交流を持てていなかったので、嬉しいです!」 「私、村上りょうって言います。あと、お兄ちゃんはりゅうです。よろしくお願いします」 「お二人とも、素敵な名前ですね。私は、高峰美月です。近くで、畜産農家を営んでいます。よろしくお願いします」 「高峰さん? もしかして……。最近引っ越してきたって、健治くんの奥さん?」 「そうです。健治のこと知っているんですか?」 「小さい頃、よく遊んだのよ」 「そうだったんですね。帰ったら聞いてみよー」 「──そう言えば、おばあちゃんが言ってた人ってもしかして……」  お兄さん独り言のように呟いた。 「あっ! 高峰さんのことじゃない?」  二人は何かを思いついたようだった。 「違ったら申し訳ないんですけど、この間、大きな交差点で、おばあちゃんを助けました?」  交差点……。あっ! もう一度話したいと思っていたおばあちゃんだ。 「思い出しました。長い交差点だったから、渡きれるか心配でつい、お手伝いを……」 「やっぱりそうだー」 「えっ?」  状況を掴めずにいると、りょうさんが教えてくれた。 「それ、うちのおばあちゃんなの」 「えー! そうなんですか? あのおばあちゃんがお二人の……」 「おばあちゃんとは一緒に住んでいて、その日話してくれたの。この村にも親切で優しい人がいたって。すごく嬉しそうだったのよ。それと、まだ引っ越して間もないとも言っていたから」  まさか、こんな近くに住んでいたとは。案外、会わないものなんだな。 「おばあちゃん、お元気ですか?」 「元気よ。もう九十二歳なんだけどね」 「すごいですね! もっと若く見えましたよ」 「それ、今度直接言ってあげて。すごく喜ぶと思うから」 「ぜひ、お会いしたいです!」  こうして、私たちは連絡先を交換した。そして、三日後にお家へお邪魔することを約束し、店を後にした。  帰り道、おばあちゃんと会ったら何を話すか、何を聞くか、考えた。というより、どうやって聞き出すかだ。あおばあちゃんが、報告をするとは思えないが、お義母さんの言う通り、すぐには信じない方が賢明だ。念には念を……。
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