陰徳

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─14─  気が付けば、講習も残り三日となっていた。赤井さんがいなくなってからというもの、講習への足取りはさらに重くなっていた。そして、誰もいない部屋で、講師を待つ。 「おはようございます」  今日は見たことのない講師だった。ここに来て知らない講師が来るとは……。 「高峰美月さんですね。わたくし、白井加奈と申します。よろしくお願い致します」  見るからに、高圧的で、こちら側と親しくなるつもりがないのはあきらかだった。黒く艶のある長い髪をなびかせ、切れ長な綺麗な目が、一層冷たく感じさせる。三十代半ばだろうか。 「ご存じだとは思いますが、講習は残り三日間となります。単刀直入に申し上げますが、最終日は善行を行っていただきます。これで、はじめて村の一員と認められるわけです」  愕然とした。まさかこんなにも早く、自身が善行を行うことになるとは思ってもみなかった。それに、『これで村の一員と認められる』だと?  誰が認めてほしいと言った?  講師はこちらの気持ちなど、お構いなしといったように話を続ける。 「本日は、やっていただく善行について説明いたします。なぜ善行というものがあるのかは、この一か月間、他の講師たちが散々説明していると思いますので、省略します。ここでは手順をお話いたします」  とうとう、赤井さんが言っていたこと、この目で見たことの答え合わせが出来る……。 「まず、指定されているカフェへ行っていただきます。席は店員が案内しますのでそこにに座ってください。ちなみに、その時間帯は貸し切りです。そうしますと、担当の男性職員が他の街から連れてきた男性と一緒に、あなたのところへ行きます。設定としては、あなたは男性職員の婚約者ということになっています。すなわち、友達に婚約者を紹介をするという設定です。適当に話を合わせて頂いていれば結構です。そして、利尿作用のある薬を事前に飲ませてありますので、そのお友達はお手洗いに立つはずです。そこであなたの出番です。睡眠薬をその飲み物に入れていただきます。それで、善行は終了です。たったそれだけで、国の役に立てるのです。そして、しっかり報酬も渡されます。普通の善行なら、見返りなどないのですよ」  ──この人は何を言っているのだろうか。睡眠薬を入れるだの、利尿作用のある薬を入れるだの……。正気か? ただの犯罪行為を善行という言葉に変えているだけではないか。 「講師、なぜそんなことをしなければならないのですか? 明確に理由を教えてください。善行はどうして国民の為になるのですか?」  いい加減、意図を知りたい。何をするのか、国の為になるなどは十分わかった。──理由を知りたい。 「意図ですか? 他の講師も説明しているでしょ? 国民の為になる行為なのですよ? それだけです。他に説明はいらないでしょう」  なぜ、みんな同じことしか言わないのだろう。健治もお義母さんも口をつぐむ。意味を知らされずにやれと言うのだろうか。それとも、何か複雑な事情が絡んでいるとでもいうのだろうか……。 「ただ一点、気を付けていただきたいことがあります。ミスは許されないということです。重大な事案として、役場で受理され、重い罰がくだされます。ですから理由などいらないのです。自分の身を守るために、ただ言われたことを遂行すればいいのです」  これが、この村の実態だ。なんておぞましいんだ……。 「以上で、今日の講習は終わりです。明日はお休みとし、明後日はリハーサルを行います。それではお疲れさまでした」  そう言い残し、コツコツとヒールの音を響かせ、さっそうと部屋を出て行った。  呆気にとられ、しばらくは席を立てずにいた。今までの講師は比較的友好的な接し方だった。あの講師が特別なのか、これも何かの方針なのかはわからない。  今日はりょうさんのお宅で、おばあちゃんの話しを聞くことになっているので、向かうことにした。村側がどんな態度で来ようが、私の決意は変わらない。  向かう途中、何か手土産を持っていこうと思い、お店を探していると、一軒のお店が目に止まった。そのお店の外観は木造で、今にも崩れてしまいそうなほど古い。老舗なのだろうか。築百年は経っているように見える。 『老舗』=『美味しい』と勝手なイメージだが、期待を込めてここにする。  看板には、『和菓子屋 桜仙』と書いてある。扉は引き戸になっていて、歪んでいるせいか、うまく引けない。 「いらっしゃいませ」  八十代くらいの、少し腰の曲ったおばあさんが出てきた。 「あら、初めてのお客さんだね。どこから来たの?」  私の顔をまじまじと見ながら入店そうそう、いつもの質問が飛んできた。 「あっ、東京から引っ越してきました。高峰と申します。よろしくお願いします」  このやりとりも慣れたものだ。しかし、この日は少し違った。 「東京かい。こう見えて私も生まれは東京なんだよ。いつの間にかこの村に来て六十年になってしまったよ」 「東京だったんですね。やっぱり結婚してこちらに移り住んだんですか?」 「そうだよ。旦那はとっくに死んじまったけどね」 「そうだったんですか。それは寂しいですね」 「そうでもないよ……。さあ、今日は何にするんだい?」 「どうしようかな。何かおすすめはありますか?」 「うーん。じゃ、この饅頭の詰め合わせがいいかね。やわらかいし、あんこも甘すぎず食べやすいよ」 「じゃ、これでお願いします。ありがとうございます」 「じゃ、今包むから、ちょっと待っててね」  そういうと、おばあさんは奥の部屋へ入って行った。美味しそうなお饅頭があってよかった。喜んでくれたらいいな。  待っている間、店内に飾ってある写真を眺めながら待つことにした。どれも昔の写真のようで、今とは違い、のどかな風景が収められていた。その中の一枚に、ひと際目を引く写真があった。 「綺麗……」  思わずため息が漏れてしまうほど、見事な桜の写真だった。これはどこの写真なのだろう。  その写真には、道路を一本挟んで、花盛りの桜が隙間なく並んでいる。今にも甘酸っぱい桜の香りがしてきそうなほど、圧巻の写真だった。 「お待たせ、出来たよ」 「あ、ありがとうございます。あまりにも、綺麗な写真に見惚れてしまいました」 「これかい? ここにあるのは全部、昔のこの村の写真だよ。綺麗だろう」 「えっ? この桜もですか?」 「そうだよ。今は無くなったけどね……」 「無いんですか? こんな綺麗な桜。見たかったな」 「こに村がおかしくなりだした頃、道路を大きくするのだの、高いビルを建てるだの……。いつの間にか桜の木も切られてしまったんだよ」 「え……」  こんな綺麗な桜を切り落とすなんて、誰も反対しなかったのだろうか。 「住人の反対は無かったんですか?」 「したさ。お嬢ちゃんは知らないだろうけど、この村は昔、穏やかで住みやすい所だったんだよ。今のように、不自然な景色ではなかったのさ。本当に、綺麗な村だったんだ。以前の村長は、綺麗なこの村を守りつつ、繁栄させる道を模索していたんだ。しかし、村長が今の一族になった途端に、どんどんおかしくなっていったんだ。お嬢ちゃんも、講習を受けているんだろうから、なんとなくはわかってはいるだろうけど……。反対したところで、何も変わらなかったよ。それどころか……」  そこまで話して、止まってしまった。 「おばあさん?」 「いや、なんでもないよ。引っ越してきたばかりのお嬢ちゃんに話すようなことではなかったね。ごめんよ」 「──いえ。この村のこと、もっと詳しく知りたいです!」  この村の、昔話を聞けるチャンスかもしれない。今はなんでもいい、手がかりが欲しい。 「お嬢ちゃん……。知りたいって、あんた。いやいや、およし。知らない方がいいんだよ。ここで平和に暮らすなら、知らない方が暮らしやすい」  ここでの平和とは、ただ黙って村の言う通りに犯罪の片棒を担ぎ、汚い金を受け取り、裕福に暮らすこと? それなら、裕福じゃなくとも、東京で以前と同じように、心穏やかに暮らしたい。  何も不満などなかった。ただ、好きな人と暮らし、好きな仕事をし、平凡に日々を過ごす。それで、十分だった。 「知ったところで、私に何かできるとは思っていません。ただ、数日前まで元気に過ごしていた人が、自らの命を絶たなけらばならなくたった理由が知りたいんです。そこまで、追い詰めたものとはなんだったのか。そして、私は元の暮らしに戻りたいんです。ただ、それだけなんです……」  知らないうちに、涙が溢れていた。こんなにべらべらと……。おばあさんに報告されないとは限らないのに。 「す、すみません。これ、お代です。ありがとうございました」  そう言い残し、帰ろうとしたとき「ちょっとお待ちよ」とおばあさんが何かを探し出した。 「あったあった」  おばあさんは、一冊のノートを手に、戻ってきた。 「これはね、おじいさんの日記なんだよ。亡くなってしばらくして遺品整理をしていたら、小さい金庫から出てきたんだ。悪いとは思いつつ、ノートを見てみたら……。恐ろしい事が書いてあったんだよ。一人で抱えずに、私に相談してくれたらよかったのに……。馬鹿だよ、ほんと……」  おばあさんは、言葉とは裏腹に、切なく悲し気な表情でそのノートを手渡してくれた。 「えっ? これ……」 「全部じゃないだろうけど、お嬢ちゃんの知りたいことが少しは書かれているはずだよ。だけど、生易しいもんじゃないよ、この村は。返すのはいつでもいいから」 「こんな大切なもの……。ありがとうございます。しっかり読まさせていただきます」 「うん。──ところで、これからどこのお宅に行くんだい?」  話してもいいものか、少し迷ったが、ただ遊びに行くだけじゃないか……。 「村上さんのお宅にお邪魔するんです」 「村上さんかい! 最近お店に来ないから元気にしてるか心配してたんだよ」 「お知り合いなんですか?」 「私がここに嫁いだ頃、色々お世話になった恩人だよ」  表情から見るに、おばあさんにとって大切な人だということは一目瞭然だった。 「よろしく伝えておくれよ」 「はい、わかりました。必ず伝えます。あと、このノート、大切に読までてもらいます。ありがとうございました」  そう言って、お菓子とノートを手に、お店を後にした。このノートを今すぐにでも読みたいという衝動を抑え、今はりょうさんのお宅へ急ごう。  りょうさんの家は、私の家からそう遠くはなかった。 「住所で言えば、この辺りなんけど……」  歩いていると、大きな庭付きの家が見えてきた。確か、庭があると言っていたので、ここで間違いない……。  レンガ調で、レトロな雰囲気のある家だった。庭は冬支度がしっかりとされていて、日頃からしっかりと手がかけられているのがわかる。  そういえば、勝手に家業は農業や畜産農家だと思い込んでいたが、そうではなさそうだ。  自然に話を誘導できるだろうか……。警戒されないように、うまく聞き出さなければ。万が一、報告されでもしたら……一巻の終わりだ。  とりあえずインターフォンを押す。 「はーい。今開けます!」  りょうさんが対応してくれた。 「いらっしゃい。よく来てくれたわね。ありがとう」 「こちらこそ、お招きありがとうございます。お邪魔します」  玄関から既に暖かい。暖房がしっかりと効いているようだった。こんなに大きい家、暖房費はどうなっているんだろう……。ふと、そんなことを考えた。 「おばあちゃん、美月さん来てくれたわよ」  九十三歳とは思えない、しっかりとした足取りで、出迎えてくれた。 「いらっしゃい、よく来たね。この間はありがとう」 「覚えてくれていたんですね。ありがとうございます。お怪我はなかったですか?」 「うん。大丈夫だよ。さあさあ、座ってくつろいでくださいな」  レザーの大きなソファに座った。 「あ、これ、桜仙のお饅頭です。よかったらみなさんでどうぞ。あと、そこのおばあさんがよろしくと仰っていました」 「さちえちゃんかい! 最近顔出していないからね。そこのお饅頭、大好物なんだよ。ありがとう」 「よかったです」  喜んでもらい、ほっとした。 「美月ちゃん、お茶どうぞ。外寒かったでしょ」 「ありがとうございます。結構寒かったです。でもこれからもっと寒くなるだなんて、信じられません」 「そうだよね。もっともっと寒くなるよー」  りょうさんはいたずらっ子のような顔をして、笑っていた。そして、そのまま私の隣に座った。 「りょうのお店に来てくれたんだって? ありがとう。家も近くだったなんて、こんな偶然もあるんだね。ところで、健治くんは元気にしているかい?」 「元気にしています……」 「おや? うまくいっていないのかい?」  これが年の功と言うのもなのか。普通に答えたつもりが、少しの声色の変化で、見抜かれてしまった。 「──あまり。この村に来てから意見が合わないことが多くて。今までと違いすぎて、私が適応できていないんです。それで、ぶつかることが増えて……。私、強情なんです……」 「外から来たら、誰だって戸惑うさ。気づいているとは思うけど、特にこの村は特別なことが多いからね。仕方ないよ」 「──そうなんです」 「私が嫁いだ頃は、今とは違って、のどかで自然豊かな場所だったんだ。時代の移り変わりについていけなくて、苦労したもんだよ」 「ご苦労されたんですね。村の転換期に立ち会ったなんて……。これだけ変わったとなると、当時は反発とかはなかったんですか? 桜仙のおばあさんも仰っていましたけど、綺麗な桜があったとか……」  少し踏み込んでみる。 「──そうだね。なかったとなると、嘘になるかね……」 「そうですよね。新しい事をするときは必ず反発は起きますもんね」 「うん……。急に変化しすぎて、追い付かない人が多かったような気がするよ」 「私の旦那は、この村に心酔しているようで、私の話にはあまり耳を傾けてくれないんですけど、おばあさんの旦那さんはどうだったんですか?」 「旦那かい? こうなる前の村に生まれている人だからそういうことはなかったよ。それに、実は……、元村長だったんだよ」 「えっ? 村長だったんですか? じゃ、変化を遂げる前の村長だったってことですか?」 「そうなんだよ。その頃は、二期目を目指していたんだけど、その頃の村はというと、財政難から立て直すことが出来ずにいたんだ。でも、江口さんは、この村を財政難から絶対に立て直すことを公約に、立候補したんだ。それまで政治になんて全くかかわっていなかったのにさ。それで、村の将来を不安に思う人が多かったから、新しい風を吹き込んでくれそうな江口さんを選んだんだ。戦後、高度成長期の波に乗れなかったから、仕方のないことなんだけどさ」  そうだったのか。江口さんは、政治経験の無い人だったんだ。じゃ、なぜ官房長官と知り合いだったんだ……。 「この間、講習できいたんですが、江口さんは当時、官房長官と知り合いだったとか……」 「あー、そんなことまで、講習では話すんだね。じゃ、別に隠すこともないね。──そうだよ。あの二人は村の孤児院で育った幼馴染なんだよ。今は無くなったがね、昔は孤児院があって、多くはないが子どもたちがいたんだ。孤児院といっても、村全体で子どもたちを見守っていたといったほうが正しいがね」  ──孤児院。結束は強そうだ。そして、お金に固執するのもわかる。裏にはそんな事実があったのか……。 「それじゃ、二人の絆は強そうですね」 「だから、お互いに頼みやすかったんじゃないだろうかね。特に官房長官は、苦労して苦労して、その地位に上り詰めた人だからね。江口さんは幼馴染を助けたかったんじゃないだろうかね」  お互い、切磋琢磨して地位を確立し、助け合っていた……か。ドラマみたいな話だ。 「そういえば、さっき話していた反対派の人達ってどうなったんですか?」 「うん。今の制度が出来た時、反乱部隊という人達がいてね。過激なこともしていたんだけど、ある日忽然と姿を消したんだよ……」 「消えた……」 「反乱部隊の人が一人残らず消えたんだ。村長に聞いても、わからないの一点張りで、結局、今日まで誰一人見つかっていないよ。だから、不信感を持っている人は未だに多いんだよ」 「なんか、恐い話ですね……」  恐いとは言ったっものの、今の村がやっている事を考えれば、さほど驚きはない。しかし、そんな昔からそんなことをやっていたのかという驚きはあるが……。 「せっかく、来てくれたのに、こんな不安になるような話ばかりごめんよ」 「いえ、いいんです。村のこと知りたかったし、それに……。実は、おばあさんに相談があるんです」  もう、ここまできたら、まわりくどいのはやめだ。 「──善行のこと、詳しく知りたいんです」  りょうさんは、驚いた表情で私を見た。 「美月ちゃん、善行を見たのかい?」  えっ……。なんでそんなことを聞くんだ。 「あっ……。いや……」  思わず言葉に詰まる。 「年寄の感だよ。隠さずともいいんだよ。誰にも言やしないよ」  その言葉に安堵する。 「──見ました。しかも、その日は健治の善行の日でした」  この時、ふっと、気持ちが軽くなるのを感じた。 「そうだったのかい。それは辛かったね……」  おばあちゃんの優しい声と、りょうさんが肩に優しく手を置いてくれたことで、つい目頭が熱くなる。 「それ、誰にも見られてないよね?」  りょうさんが心配そうに、聞いてきた。 「はい、それは大丈夫です」 「うん、ならよかった」  赤井さんの事が頭に浮かんだ。 「実はもう一人、善行を目撃した人がいるんです。同じく講習を受けていた女性で……。彼女、そのことを旦那さんに相談したら、そのまま報告されて……。先日──自殺しました」 「──痛ましい。だからこの村は……」  嫌いだよ、と小さい声が聞こえた気がした。 「善行について、詳しく聞きたいと言ったね。少し長くなるけど、大丈夫かい?」 「はい。時間ならあります」  ──やっとわかるんだ。 「善行について話すには、村のことも一緒に話さなきゃいけないね」  おばあちゃんは、大きく息を吸い込んだ。 「これはわかっていてほしいんだが、善行の全てを理解し、善行を行っている人はほぼいないということ。うわべだけのことを聞かされやらされているということ。そこは理解しておいておくれ。だから、健治くんもきっと全ては知らないんだよ。健治くんは悪くない。村にやらされているんだよ」  きっとおばあちゃんは、私が健治に対して抱いている懸念を解消しようと、話してくれだのだ。私だって、頭ではわかっているけど……。  おばあさんは、ソファに深く座り直し、お茶を一口すすり、話はじめた。 「善行とは、日本政府がこの村にもちかけた犯罪行為だよ。美月ちゃんが見たのは、睡眠薬を入れたところまでだと思うんだが、あってるかな?」 「はい、そうです。それから知らない男性が運んでいきました。ここからは、自殺した女性の話ですが、病院に運ばれたと書いてありました」 「うん。その通りだよ。そして、その病院で手術をするんだ。必要な……必要な臓器を摘出する為にね」 「臓器って、まさか……」 「そのまさかだよ。臓器を日本政府に提供する為に、善行をやっているんだよ。これが本当の善行の意味だよ」  ──あまりの衝撃に言葉を失い、何も考えられない。 「はじまりは、人体実験の為に、刑務所に収監されている犯罪者をこの村に連れて来ては、臓器を摘出していたんだ。当時、日本はアメリカに、医療技術の大幅な遅れをとっていた。それを、少しでも縮める為に、秘密裏に人体実験を行っていたんだ。それを官房長官に頼まれたのが幼馴染の江口さんだったんだよ。そして村長になるように助言され、立候補したんだ。それが全ての始まりだよ」 「えっ、待ってください。なぜ、わざわざこの村に連れてきていたんです?」 「世間の目さ。大きな街でこんなことをやって、万が一外部にバレたとしたら、とんでもないことになる。世界的にも問題になる。だから、わざわざこの誰も知らないような村に連れてきたのさ。そして、これは被験者の犯罪者本人にも知られてはいけない。なんて言って連れて来ていたのかまでは知らないがね」  北海道の、北の小さな小さな村のことなど、誰も知らない。気にも留めない。それに、犯罪者なら少しは罪悪感もなくなるだろう。 「そして、村民に手伝わせることが重要だったんだよ。もちろん始めはこんな恐ろしいこと誰がやるんだと思ったが、当時の村の生活は貧しいもので、冬になると仕事はなくなり、出稼ぎに行ったり、三食食べることもままならない状態で、みんな疲弊し、うんざりしていたんだ。江口はそこにつけ込み、洗脳していったのさ。お金が稼げる、楽に暮らせる、人の為にもなる、日本の将来にも繋がるってね。政府から選ばれた村なんだ、特別なんだって。それに直接、人を殺める訳ではないからね。少しは罪悪感も軽減されたんだろう。そして、手伝わせることで、同罪だと植え付け、外へ漏らすことを少なくさせたんだ。さらに、さまざまな罰則を設け、江口は立場を確固たるものにしていったんだよ。さっきも言ったが、反発するものももちろんいたが、その人たちを消すことで、恐怖も植え付けた。無論、一人の考えではなかったと思うがね。江口もまた、政府にいいように利用されていたんだろうさ」  相槌を打つことさえ忘れ、夢中で聞いていた。 「美月ちゃん、大丈夫? 休憩しなくても大丈夫?」  りょうさんが気を使って、冷たい水を出してくれた。 「ありがとうございます。心臓が持つかわからないですが、最後までしっかり話を聞かせてもらいます。おばあちゃんは、疲れていませんか?」 「大丈夫だよ、ありがとよ」  九十三歳にもなるというのに、信じられない程、話し方もはっきりしていて、聞ききやすい。 「善行が今のような臓器提供になり、はじめは著名人だけだったんだよ。なにせ、臓器移植はお金がかかる医療だからね。でも、その分多額な金が動いた。それに味を占めた政府は、著名人以外にも、お金を持っている一般人にも提供するようになったんだ。臓器提供を待っている人は大勢いる。藁にもすがる思いの一般人まで、利用したんだ。それまでは、善行自体そうは多くはなかったんだが、こうなると頻度が増え、村民も慣れていってしまったんだ。しかし、それと比例して村はどんどん繁栄し、今のような変貌を遂げたのさ。見張り合いの制度によって、村民同士はギスギスするようにもなっていったね。全ては政府の思い通りさ。ただね、今まではあくまでも犯罪者からの摘出。無論、犯罪者だからと言って、命を奪う権利は私たちにはないがね。しかしそれまでは、ぎりぎり一線を越えずにいたんだ。それが、手を広げすぎたせいで、一般人からも摘出することになったんだよ」  あってはならないこと……。もちろん、誰の命も軽くない。誰の命も尊いものでなければならない。が、なんの罪も犯していない、ただの一般人をターゲットにするなんて。それも、お金欲しさに……。それが今では普通のことのように……。 「それでは、健治が善行を行っていた人も……?」 「──たぶんね」  健治……。聞けば聞くほど、以前のように健治を見ることはもう出来ない。 「おばあちゃんは、善行をやったことはあるんですか?」 「もちろんあるよ。ただ私はね、初めて善行をやった人なんだよ」 「えっ? そうなんですか?」 「旦那が村長選で負けて、反発させない為に、私にまずやらせて、犯罪の 片棒を担がせたかったんだろうね……。善行を終えた後、確かに人としての何かを失ったよ。それは、犯罪をしてしまったというより、実は大した罪悪感を感じなかったんだ。それまでに、散々、人体実験は多くの人を助ける為に必要なこと、これで、色んな病気の人を助ける手助けができる。むしろ、私たちが手を汚して助けられるなら……って思ったんだよ。どれだけ反発心を持っていたとしても……。洗脳とはそういうもんなんだ……」  意外だった。でも、心の優しい人ほど洗脳されやすいのかもしれない。 「しかし、村がエスカレートするにつれて、洗脳が溶けていったんだ。だが、もう遅かった。村を出ることなど許されるはずもないからね。それに、この年齢になると、そんな気持ちもなくなったね。ただ、穏やかに暮らしたいだけだよ」  それもそうだ。今更逃げたとしても、また新天地で一から暮らしを整えるのは大変だ。それなら、慣れた土地、家で穏やかに余生を過ごした方がいい。ただ、私は諦めることは出来ない。行動力のある今のうちに脱出手段を見つけたい。 「あのう、村を出ることって、本当に不可能なんですか?」 「不可能だと思うよ。今まで、何人もの人が出ようと試みたが、ことごとく失敗に終わったよ。その人たちのその後は想像に任せるよ……」  長い歴史の中で、一人も成功した人がいないなんて……。 「もしかして、あんた、出たいのかい?」 「──はい」  その瞬間、りょうさんとおばあちゃんは顔を見合わせ、驚愕の表情でこちらを見た。 「──そうか。悪い事は言わないよ、それは諦めたほうが身のためだ。それに、健治君やお義母さんはどうするんだい?」 「はい、そこが気がかりではあります。健治というより、お義母さんが……。本当によくしてくれていて、私を本当の娘のように接してくれているので……」 「そんなお義母さんを置いていくのかい?」 「できれば……みんなで村を出たいです」  おばあちゃんは大きなため息をついた。 「いいかい? 美月ちゃんはまだこの村に来て間もないから、まだわからないだろうけど、この村は本当に恐ろしい所なんだよ。お友達も自殺したじゃないか。それが全てを物語っているじゃないか」 「おばあちゃんの言う通りだと思います。──でも、このままこの村で暮らしていくなんて想像しただけでも恐ろしくて……」  犯罪に加担するなんて出来ない。 「気持ちは痛い程わかるよ。私はこの村で育ったけど嫌気がさしているんだから」  りょうさんが、私の気持ちを察し、話してくれた。 「お兄ちゃんがいるのは知っているでしょ? お兄ちゃん、実は失敗して帰ってきているのよ」 「失敗?」 「あれ、もしかして……」  りょさんは、明らかに動揺しているようだった。 「美月ちゃんは知らされていないようだね……」 そういうと、おばあちゃんはりょうさんの方を見て頷いた。 「私から話していいかわからないけど、ここまで話して、気になると思うから言うね」  りょうさんは、意を決したように、話始める。 「実は、この村はね、男性は高校を卒業すると、この村を一度出ることになっているの。外へ出て、お嫁さんをこの村に連れて帰って来なければならないの……」  それって、健治もそうだってこと……だよね。 「そして、この村の子孫繁栄に協力するのよ。だから、子どもを産める体の女性を迎えることが大前提なの」  思い出した。付き合っている時に聞かれたことがある。体は丈夫なのか、健康診断にしっかり行ってほしいとか。その時は、私の身体を気にかけてくれる優しい男性だとばかり……。そうではなかったのか。思わず、「フッ」と鼻で笑ってしまった。 「美月ちゃん?」 「あっ、大丈夫です。続けてください」 「うん。それで、お兄ちゃんの話に戻るんだけど、当然お兄ちゃんも村を出て、お嫁さんを探していたんだけど、どうしても彼女ができなくて。というより、はじめから無理だったのよ。お兄ちゃんは性同一性障害だったの。自分では気づかないふりをしていたみたいなんだけど、村を離れてみて、やっぱりそうなんだってわかったみたい。それで、規定の三十歳で帰って来たの。みんながみんな結婚できるとは限らないから、三十歳で戻ってくることになっているの。そして、この村の女性と結婚することになっているのよ。でも、お兄ちゃんの場合は特別に、このままの状態で暮らしていけるようになったの。今の村長って若いでしょ? こういうことに、理解があるのよ。助かったわ」  確かに、講習で会ったときも理解がるようには感じた。──あれ? でも男性が外でパートナーを見つけるなら、この村の女性はどうなるのだろう。 「あの、この村の女性はどうなるんですか?」 「うん。女性はね、外から男性を連れて来て結婚させられるのよ」 「お見合いのようなものですか?」 「そうね。基本、村民同士の結婚は許されてないのよ。例外はあるけど、基本はね。私ももれなくお見合いで結婚したわよ。でも、結婚してすぐに、旦那が病気になって亡くなってしまったの。だから、お兄ちゃんとカフェを開くことにしたわけ。私たちの事は、村長がどうするのが一番いいのか考えてくれるって」 「お二人とも、大変だったんですね……」 「まあね。でも、今はだいぶ落ち着いたし、楽しくやっているわよ」 「それなら、よかった……」  りょうさんた達の幸せが、いつまでも続いてほしい……。 「美月ちゃん、りょうたちもいるし、お義母さんのこともあるし、もう一度考え直してみてもいいんじゃないかい?」  ──確かに、りょうさんとは仲良くなれそうだし、お義母さんの事も大切だし。決意が揺らぐ……。 「正直、ますます健治への不信感は高まりましたが、周りの人たちの事を考えると、決意が揺らぎます」 「美月ちゃんとは、知り合って間もないけど、この先もっと仲良くなれると思うし、おばあちゃんとも、こんなに話してくれて、やっぱりいなくなるのは寂しいな」 「私もそうだよ。純粋な美月ちゃんだからこそ、この村に残ってほしいと思うよ」  二人に、こんなこと言われたら、私どうしたら……。 「ありがとうございます。もう一度、冷静になって考えてみます」  一度、熱くなっている頭の中を冷やし、将来、自分はどうなりたいのかを 見つめ直すのもいいかもしれない。 「あのう、私、三日後の講習最終日で、善行をするんです」 「三日後? そうか。こんな気持ちの状態では辛いね」  おばあちゃんは、気持ちを汲んでくれたのか、私に寄り添い、手を握ってくれた。その手は柔らかく、少しひんやりしていた。 「私たちがついているよ。大丈夫。ただ、自分の命だけは、大切にするんだ。いいね?」 「私からもお願い」 「はい、わかりました……」  善行を失敗するということは『死』を意味する。今は、自分の命を守る選択をしなければならない。 「おばあちゃん、りょうさん、私を信じ、たくさんの貴重なお話ありがとうございました」  いつの間にか、雨が雪に変わり、辺りが暗くなってきていた。 「そろそろ、家に帰らないと二人が心配するので」 「そうだね。またいつでも遊びに来ておくれよ」 「はい、お二人ともお体に気を付けてくださいね。りょうさん、またお店にお邪魔します」 「うん、また来てね。お兄ちゃんも待ってる」 「足元滑るから気を付けるんだよ」 「本当にありがとうございました。お邪魔しました」 外へ出て、紺青の空を見上げながら深呼吸をした。ひんやりと澄み切った空気がゆっくりと体をめぐる。みぞれまじりの雪が次々と顔に落ちてきて、この冷たさが私を冷静にさせる。  話は聞いた。さあ、あとの決断は自分でするしかない。  家までの道中、ノートの事を思い出した。どんなことが書いてあるのだろうか。ノートが濡れないよう、しっかりと鞄のファスナーを閉めた。
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