陰徳

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─15─ 「ただいま」 「おかえり、今日は遅かったのね。どこか寄ってきたの?」 「うん、うちの近くの村上さんのお家にお邪魔してたの。カフェに行ったときに仲良くなっから」 「あら、村上さん? おばあちゃん元気だった? 昔はよくお世話になったのよ。最近姿見なかったから心配してたの。──確か、桜仙のお饅頭が好きだったような……」 「そうそう! よく知ってるねお義母さん。偶然お店で見つけて買っていったの。喜んでくれてた。あと、とっても元気だったよ」  なんとなく、今日聞いた話は言えなかった。信用していない訳ではない。むしろ、心配させたくないという思いが強いからだ。  夕食を終え、健治はまっすぐお風呂へ行った。今がチャンスだ。部屋に籠り借りたノートを見ることにしよう。  濃く淹れたコーヒーを手に部屋に入った。一人用のソファに座り、熱いコーヒーを一口飲み、日記を開く……。  日記には、番号が書かれていた。年季が入ったこの日記には『五十三』と書かれていた。いつ頃から書いていたものなのだろう……。 七月十五日  今日、上司に、従業員全員が呼び出され、新たに工場を建設中だと聞かされた。寝耳に水で、一同驚いたが、だいぶ老朽化が進んでいたのでありがたい。どんな建物になるのか、楽しみでもある。  職場のことが書かれているようだった。はじめから、和菓子屋を継いでいたと思い込んでいたので、意外だった。どこで働いていたのだろう。 八月三十日  新しい工場へ、引っ越し開始。使えるものは運び、それ以外は処分した。新しい工場は白一色で、窓はあるが、極端に少ない。数少ない窓も、外からは中が見えないようになっていて、なんとも不思議な窓だ。そして、中に入ると、一般の従業員は立ち入り禁止の部屋があった。なんでも、配合が企業秘密な為、一部の人しか知らされないのだという。元からこの村は食肉に力を入れており、餌はよく考えられてはいたが、さらに力をいれるらしい。なんにせよ、この村が豊になっていくのは嬉しいことだ。  白一色、マジックミラー……。これって、家畜用の餌を作っている工場だ。和菓子屋の旦那さんは、そこで働いていたのだ。この頃は、村が豊になっていく、成長期だったのか。 九月十一日  最近、工場内が臭う。最近というより、こっちの工場に来てからだ。たぶん配合を変えたからだと思われる。こんな臭い餌で、美味しい肉ができるのだろうか。そもそも、家畜は食べるのか? 食肉に、この臭いが残らないものなのだろうか。従業員の間でも、この臭いついて噂になっている。  あの、臭いの事だ。当時から噂になっていたのか。それもそのはずだ。半年が過ぎても全く慣れないのだから……。 九月二十五日  今日、スーツを着た、男性三人が視察にやってきた。村の人ではない。なんだか最近、工場内が騒がしい。 十二月十七日  村長が激励に来た。臭いの件で、村中噂になっているからだろう。臭いについては触れてはいなかったが、俺たちの給料を上げてくれるらしい。お金で解決ということか。まあ、俺たちはちゃんと、給料を出してくれさえすればそれでいい。それにしても、村長が変わってから、やけに金回りがいい。やはり、あの善行とやらのおかげか。政府から、毎月多額のお金が入ってきていると、もっぱらの噂だ。  和菓子屋の旦那さんは、不審に思いながらも、今の時点では、村の変化には好意的らしい。 十二月二十五日  クリスマスだというのに、物騒な話が飛び込んできた。変わりつつあるこの村に、反乱部隊が結成されたようだ。確かに善行は、人の道に反している。俺もどちらかというと、反対だ。だが、村は確実に潤いつつあるし、活気づいている。この先どうなっていくのかはわからないが、以前の村よりは、未来は明るいと思う。あと、最近気になることがある。工場長のことだ。昔からの付き合いで、飲み仲間だが、あんなにやつれ、暗い表情の工場長を見たことがない。いつも明るく、場を和ませてくれていたというのに。工場長の変化は、明らかに新しい工場になってからだ。心配だ。  一斉に消えたという、反乱部隊。村側と政府を危険と思わせるほどの、勢力だったんだろうか。そして、工場長の変化。何かが狂い始めているようだ。 一月五日  仕事はじめ。工場長から相談があると言われた。何か思い詰めている様子があったから、話してくれるのは安心だ。俺にできることがあるならなんとか手助けはしたいと思っている。 一月七日  工場長から全てを聞いた。俺はここを辞める決意をした。話を聞いてから嗚咽がとまらない。今も、鼻の奥がツンと痛い。工場長がやつれていくのも当然だ。よく話してくれたと思う。五人しか知らない、極秘のこのことを。こんなこと、一人で抱えられる訳がない。他の四人は平然としているというのだから、気が知れない。本当に同じ人間か? だが、決して口外はしてはならない。さちえにも話せはしない。俺は墓場まで持っていくと誓う。ただ、どうやってこの村の肉を食べないように説得するかだ。絶対に食べてはいけない。納得させる理由を考えなければならない。ずっと、怪しい匂いだとは思ってはいたが。まさか、その原因が『人肉』だったとは。このノートに記すのさえ、抵抗がある。何より、この発想に行きつくことが恐ろしい。「人体実験をしたあと、ただ処分するのはもったいない。何かに活用できないだろうか。そうだミンチにして家畜の餌に混ぜよう」なんておぞましいんだ。人間の考えることではない。悪魔の所業だ。そして、これを発案したのが、村長だというのだからこれまた、恐ろしい。俺は退職するが、工場長は従業員を置いて辞めることは出来ないと言っていた。そんな恐ろしいことの片棒を担がせているのだから、俺だけ逃げるのは無責任だ、と言うが、それでは工場長の身体がもたない。俺が辞めるまでに、なんとか説得したいと思う。まじめな性格で、責任感のある人だから。手遅れになる前に。 『人肉』  この村は……どこまで……。  底なしの闇への恐怖に、私の全身が粟立つ。  自分の目を疑った。普通に生活をしていていれば到底見ることのないこの二文字を、読み間違えではないかと、なんでも凝視する。それが間違えではないとわかった途端、猛烈な吐き気が襲った。喉元から吐き気がこみ上げてきて、思わず口元を抑える。涙を流しながら、村の肉を美味しいと思っていた自分を呪った。 一月九日  一日考えたが、やはり俺は退職する。さちえには、今朝、話をした。実家の和菓子屋を継ぎたいと説明した。意外にも賛成してくれ安堵した。会社も、退職理由がよかったのか、後を継ぐことを応援してくれた。辞めるまでには、三か月掛かる。それまでには、工場長を説得する。 二月二十三日  工場長が倒れた。まだ、何も会社には連絡は来てはいないが、会社で倒れた時、頭を抱え込み、しゃがんだと思ったらそのまま倒れこみ、意識を失っていた。あれは、以前見たことがある。くも膜下出血ではないだろうか。俺のおやじが亡くなった時も、くも膜下出血で、俺はその場にいた。あの時と同じだ。今の激務で、体を壊したのではないだろうか。 二月二十六日  工場長が亡くなった。やはり、くも膜下出血だった。意識が戻らないまま、亡くなったらしい。辛い。  くも膜下出血。この頃には無い言葉だろうが、ストレスが引き金になっているのではないだろうか。人肉を処理する仕事だなんて、ストレスでしかない。これもまた、村に殺されたも同然だ。 三月五日  新しい工場長が来た。てっきり、次の工場長は遠藤さんだと思っていた。誰もがそう思っていたと思う。まさか、外部からよこすとは。挨拶だけではわからないが、熱を感じない人だ。淡々と話し、淡々と仕事をするような感じの人だった。亡くなった工場長とは、真逆だ。この工場はどうなってしまうんだ。 四月七日  退職。この工場で定年まで働くものだと、漠然思と思っていた。十八で入社して十二年。まさか、三十歳で退職することになるとは。さちえには悪い事をしたと思っている。安定した職を辞め、家業を継ぐとこになるとは。時代は洋菓子だというのに、和菓子屋など、衰退する一方だろう。しかも、俺は反乱部隊に入隊するのだ。子どもたちだってまだ小さいというのに。でも、俺はこの村の暴走を止めなければならんのだ。そうでなければ、子どもたちの将来が失われる。  旦那さんは、反乱部隊にいたのか……。あれ? 反乱部隊はのちに、一斉に姿を消したはずでは? その中に、旦那さんはいなかったのか? 五月十七日  村から、活動について忠告された。今までとは違ったものだった。今までも何度も活動中止、解散をしなければ刑罰が下されることになると、忠告はされてきた。しかし、今回は「最後の警告です。今すぐに解散しなければ一生後悔することになります。ご注意ください」と、活動拠点の部屋のドアに張り紙がされていた。何か、嫌な予感がする。仲間たちは、こんなことに屈しない、と言っているが。あいつには、迷惑をかけないと決めていたが、相談してみるか。 五月十八日  笹田に連絡をとった。村役場で働いているから、何か情報をもっていると思ったからだ。案の定だった。笹田も、俺に連絡をしようとしてくれていたみたいだった。「今回の警告は本物だ。噂で聞いたが、間違いないだろう。お願いだ。今すぐに抜けてくれ。お願いだ。今ならまだ間に合う。頼む」と熱願された。いつも穏やかで優しい笹田が、ここまで言うのには、よっぽどの事があるのだろう。正直、部隊の仲間とは、相容れないところがある。大半が面白半分といったところなのだ。俺は本当にこの村の将来を心配しているから入ったというのに。それに、俺がいなくなっては元も子もない。さちえや子どもたちを守る為に部隊に入ったというのに。何を言われようが俺は抜ける。 五月二十日  俺は仲間を裏切った。自分の身を守り、家族を守る為に。俺には責任がある。あれだけ仲間には忠告したのに、誰も聞く耳を持ってはくれなかった。あれから笹田から連絡があり、笹田の上司と会ってきた。俺が助かる道は今すぐに抜けること。そして、部隊全員が集まる時間帯は何時なのかを答えることだった。俺は理由を聞かずに言う通りにした。聞かずともわかるからだ。その時間を狙って襲撃でもするのだろう。善行や人肉を餌に混ぜるという恐ろしいことをする村のことだ、最悪な結末が待っているだろう。俺は忠告した。仲間に何度も忠告したんだ。やれることはした。もうできることはない。すまない。俺は家族を守りたいだけなんだ。 六月一日  反乱部隊の全員が消息不明になった。やはり、文字通り最後の警告だったんだ。誰一人として、残ってはいない。一斉に姿を消したことに村中が騒然となっている。村への不信感が高まる一方、恐怖の植え付けには成功しただろう。これで、村に逆らう者はいなくなり、やりたい放題といったところだろうか。さちえはどう思っているのだろうか。俺がちょうどよく部隊を脱退し、そのあとすぐに、残りの隊員は消息を絶っている。不審に思っているだろう。幸いなことに、俺が部隊に入っていたのが短かったこともあり、ほとんど周囲には知られていない。これから俺は和菓子職人となり、生涯を家族に捧げる。  俺は、この村で生きていく。 ──そういうことだったのか。旦那さんは直前に抜けることが出来ていたのか。徹底して、家族を守ることを優先したことは、正しい選択だったと思う。誰にも旦那さんを責めることはできない。しかし、本人は生涯この件について、囚われていたのかもしれない。  こうして村は、恐怖の植え付け、お金での操り……。飴と鞭を使い分け、村民を洗脳していったのだろう。  さちえさんは、旦那さんが亡くなるまで、何も聞かされることなく、不安や、不満もあっただろう。でも、このノートを見つけ、旦那さんが当時どのような気持ちでいたのかが分かり、長年の、心のしこりが溶けたのではないだろうか。  とにかくこれで、この村の全貌が見えた気がする。明日の講習に備え、今日は早く寝ることにしよう……。    
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