陰徳

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─16─  経験の無い寒さで目が覚めた。布団から出ている顔が冷たくなっている。窓の外を見ると、まだうす暗いと言うのに、辺り一面が真っ白だ。雪の白さで、少し明るくさえ感じる。人生初めての大雪。慌てて健治を起こす。 「健治起きて! 外すごいよ!」 「うん? なんだよ、まだ早いじゃないか……」  健治は渋々、私に誘導されて窓の外を見る。 「えー! まだ早いよ、こんなに雪降るの……」  健治はうなだれながら、布団から出る。 「除雪するから、手伝ってくれる?」 「除雪?」 「とりあえず、俺のクローゼット開けて、ウエア着て、準備して」  健治の言う通り、出来る限りの暖かい格好で外へ出た。 「寒いー! 本当にこの中で仕事するの?」 「そのうち、暑くなるよ」  健治はそう言うと、にやりと笑った。「暑くなるわけないじゃん!」と思いながら、言われるがままに除雪作業をし、そのあと、牛舎の様子を見に行った。牛舎は暖房が効いているので、寒暖差で体がおかしくなりそうだった。むしろ、暑い……。  作業を進めているうちに、いつの間にか朝日が昇っていた。降っていた雪はすっかりと止み、朝日が降り積もった雪を照らし、オレンジ色に染めていた。  綺麗な朝だった……。   家に戻ると、お味噌汁の良い香りがした。 「お義母さん、おはよう」 「おはよう。二人とも除雪、お疲れさま。大変だったでしょう」 「すごい雪だったよ。こんな時期にどか雪って。牛舎に暖房入れておいてよかたな」 「そうね。とりあえず、着替えたらご飯にしましょ」 「はーい」  家族三人で朝食をとっていると、唐突に村の放送がはじまった。思わず箸が止まる……。 「おはようございます。本日の善行のお知らせをいたします。高峰みえこさんです。おめでとうございます」  お義母さんだ……。 「母さん!」  健治が眉間にしわを寄せ、心配そうに声をかけた。 「そっかあ。久しぶりだから忘れちゃったな」  お義母さんは私たちを心配させまいと、明るく振る舞っているようだった。 「お義母さん……」 「大丈夫よ、なんとかなるわよ。そんなことより、ご飯たべましょう。母さん、先に支度しちゃうから。美月ちゃん悪いんだけど、洗い物頼んでもいい?」 「もちろんです……」  これ以上、ご飯を食べ進める気にはなれなかった。健治も同じようで、箸が止まっていた。お義母さんは食事を切り上げ、自分の部屋へと入っていった。 「健治、お義母さん大丈夫かな……」 「うん……失敗さえしなければすぐに戻ってくるよ。難しいことじゃない……大丈夫だ……」  健治は自分に言い聞かせるように、何度も何度も呟いていた。  結局、それからも食べる気にはなれず、すぐに片づけた。今日は、珍しく健治が食器を片づけてくれている。一人でいると、色んなことを考えてしまうからだろう。それにしても、健治が以前善行に行ったときは、健治自身、不安そうにしていなかった。やはり、お義母さんのことになると、話は別なのだろうか……。 「行ってくるわねー」 「母さん、絶対に失敗するなよ!」 「大丈夫よ。初めてじゃないんだし、心配しすぎよ。それよりも、二人ともよく聞いて。これからは、二人で協力し合って、仲良くしてちょうだい。二人とも、大切な私の子どもたちなんだから」 「母さん……」 「お義母さん……」 「じゃ、行ってくるわね」  お義母さんは、笑顔で出て行った。  外は風が強く、また、雪が降りだしていた。お義母さんの姿はすぐに……白い嵐にのみこまれてしまった。  あれからまた除雪をし、部屋で温まっていた。しかし、またすぐに、除雪をする前と同じくらいに積もっていた。  すると突然、耳をつんざくようなサイレンが鳴った。ハッとし、健治の方を見る。 「健治!」  健治は目を見開いたまま、固まっている。 「健治!」  もう一度、大きい声で呼ぶ。 「……母さん」 「行こ!」 「え、えっ? どこに?」 「お義母さんの所に決まっているでしょ! 早く行かないと捕まっちゃうよ!」 「い、いや……」 「お姉ちゃんみたいになっちゃうよ!」  一瞬、空気の流れが止まったように感じた。 「──いや、カーテンを閉めろ。あと、戸締りもだ」 「何を言っているの? 助けないと!」 「いいんだ!」  サイレンの音さえかき消すような、健治の大きな声が部屋に響いた。 「すまない、大きな声を出して。──大丈夫だから、今は俺の言う通りにしてくれ。──頼む」  健治の、何かを悟ったような、今にも泣きだしそうな顔を見て、これ以上何も言えなかった。 「わ、わかったわ」    二人でお義母さんを待つことにした。  きっと帰って来る、大丈夫。大丈夫、大丈夫。  健治は、一点を見つめ、ただ黙っていた。  ソファで少し寝てしまったらしい。辺りはすっかり暗くなっていた。健治は、電気をつけるのさえ忘れているようだった。 「健治……」 「母さんは、もう……帰って来ないと思う」 「えっ?」  噛みしめるように、健治は言った。 「どういうこと? 何か役場から言ってきたってこと?」 「違う。美月、母さんから姉さんのこと聞いているだろ?」 「う、うん。教えてもらったよ」 「母さんは、姉さんのことで、今でもずっと後悔してるんだよ。母さんは何も悪くないのにさ……。それでも、美月を連れて帰ってきてからは、母さん、明るくなっていたんだよ。本当に嬉しそうだった。きっと姉さんと重ねていたんだと思う。 「そうだよね……」 「でも、やっぱり忘れられるわけないよな。美月、俺な、母さんはわざと失敗したと思ってる」 「え……」 「姉さんは正義感が強くて、逃げた人を助けようとしたのに、自分は善行をしてお金を貰って……。ずっと自分を責めていたんだ。でも、俺は小さかったし、置いていくわけにはいかなかったから、耐えていたんだと思う。でも、やっと、俺には美月というお嫁さんが出来て、安心したんじゃないかと思う。一緒に暮らして、美月なら俺を任せられると思ったのかもしれない」 「そ、そんな……。そんなのひどいよ! お義母さんは私に言ったのよ! 正義感なんかもうどうでもいい、命を大切にしてほしいって!」  悔しさで、涙が溢れる。 「美月……」  二人の間に沈黙が流れる。  突然、沈黙を破るように、家の電話が鳴った。恐る恐る、健治が受話器をとる。 「──はい、高峰です」 「……」 「──わかりました」  健治は、ゆっくりと受話器を置いた。 「誰からだったの? 役場?」  少しの沈黙の後、絞り出すような声で言った。 「役場からで、母さんが……いなく……なったって。手分けして探していますって……」 「──私たちも探そ! 先に見つけなきゃ!」  健治はその場で立ち尽くしたまま、窓を見つめている。 「健治! お義母さんを見つけてあげなきゃ!」  ハッとしたように、健治がこちらを見た。 「──そうだな。わかった」  すぐに外へ出る準備をする。気が動転しているせいか、手が震え、クローゼットをうまく開けられない。  お義母さんはどこへ行ってしまったのだろうか。出ていくときも、いつもと変わらない様子だったのに。必ず私たちが先に見つけなきゃいけない。何かあったとき、村に隠蔽される可能性がある。それだけは阻止したい。 「健治、準備できた?」 「ああ。大丈夫だ」 「絶対に見つけよう。そして、──三人で帰って来よ!」 「うん。──ありがとう、美月」  玄関を開けた途端、雪が吹き込んできた。すっかり日は暮れ、暗闇から雪が襲って来るように行く手を阻む。隣にいる健治さえも見えなくなりそうで、恐怖さえ感じた。北海道の冬とはこんなにも厳しいものかと、痛感する。 「お義母さんの行きそうな所とか、お義姉さんとの思い出の場所とかないの?」  風の音で、自分の声が聞こえているのか不安になり、自然と大きくなる。 「俺、姉さんのこと、ほとんど知らないんだ。だから……」  なんて声をかけていいのかわからず黙っていると、健治が何かを思い出したように話始めた。 「──待てよ。母さん、買い物の帰りに一人でよく寄ってた所があったな……」 「思い出せる?」 「うーん。昔のことだからな……」  今にも凍えそうで、頭が働かない。もう、前へ進んでいるのか、どこを歩いているのかさえわからない。 「そうだ! 河川敷だ!」 「河川敷?」 「うん。そこには、浅い所があって、よく俺も遊びに行っていたんだよ。きっと姉さんとも行っていたんじゃないかって……。母さんはよく一人で、その河川敷に行って、座って本を読んだりして過ごしていたんだよ」 「じゃ、そこに行ってみよ!」 「でも、この天気じゃ……」 「今は、それしか手がかりがないんだから、そこに賭けてみよ」 「──うん、わかった」  向かい風邪が余計に私たちの体力を奪っていく。でも、今、諦めたら一生お義母さんに会えない気がする。 「美月、雪でよく見えないけど、ここから降りれると思う。俺から離れるなよ!」 「わかった!」  しっかり、健治の手を握る。  焦る気持ちを抑え、雪が積もり、段差がなくなった階段を慎重に、一段、また一段降りていく。 「母さん! 母さん!」  お義母さんを呼ぶ声が、吹雪の轟音によってかき消される。もう、手も耳も感覚が無い。 「美月、大丈夫か?」 「──うん」  健治が、より手を強く握る。  膝を超える程に積もった雪を、かき分けながら進む。すると、誰かが通ったような跡を見つける。 「健治、これ……」 「この雪で、跡が残っているということは、ここに来たのはそんなに前じゃないな」 「やっぱり、お義母さんはここへ……」  雪をかき分けた跡を追っていくと、暗い川へと繋がっていた。  気を抜くとすぐに引きずり込まれそうな、暗い川の前で、健治は力なく立ち尽くしていた。 「美月、帰ろう。これ以上は俺たちの命が危ない。なんぼ着こんでいても、もう体の感覚が無くなってきている。俺にとって、美月を守ることのほうが大切なことだ。だから……家へ帰ろう」 「──健治、でも……」 「いいんだ。俺には美月がいる」    
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