陰徳

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 ─6─  暦ではまだ秋のはずが、北海道では冬の足跡がすぐ後ろまで迫って来ている。日中は過ごしやすい気温だが、朝晩は急激に涼しくなる……。というより、寒くなると言った方が正しい。初雪の便りもそろそろ聞こえて来る頃らしい。道民にとっては「もう、雪が降るのか」と、うんざりする季節なのかもしれないが、私にとっては全ての季節が初めてで、どんな風に季節が移り行くのか楽しみでもある。  とうとう、今日から講習が始まる。昨日は緊張と期待であまり眠れなかった。というより、あの現場を見てからというもの、うなされることが多くなり、寝不足気味なのだ。今でもあの光景が目に焼き付いている。  講習に行く準備をしていると、お義母さんが話かけてきた。 「美月ちゃん、今日から講習ね。私もここに嫁いだ時講習を受けたのよ。内容が同じなのかはわからないけど、長丁場だから無理せずがんばってね」  ──そうか。今まで考えてもみなかったが、お義母さんも外から嫁いできたのだ。その時の村の状況はわからないが、どうやって受け入れたのだろうか。もし、私が聞いたら答えてくれるのだろうか……。  ──よし、時間だ。遅れないように少し早めに行こう。 「じゃ、行ってきます」  二人で見送ってくれた。その顔は少し心配そうだった。  緊張と期待が入り混じった、複雑な気持ちで会場に向かった。   会場に向かう途中、例のカフェを通った。当然ではあるが、普通に営業している。あの日は貸し切りだったのか他の客は誰もいなかったが、今日は意外に繁盛しているようだった。  カフェを見ると、一瞬であの光景が蘇る。全ては打ち合わせ通りかのようにスムーズに事が進められていた。マニュアルのようなものがあるのだろうか。それはどこで、いつ教わるのだろう。疑問は日々私の頭の中で生まれ、しかし、一つも答えは導き出されてはいない。そんな事を考えているうちに、薄いピンク色の会館に到着した。今まで見てきた建物とは違い、簡素に感じる。繁華街とは少し離れた場所にあるこの場所は、山がすぐそばに見える広い場所にあった。  どんな講習を受けるのか、身構える。これは移住者を洗脳する為の講習なのだろうか……。  建物に入ると、講習会場の案内板が置いてあった。それを見て、二階に上る。 「あった、ここだ」  部屋に入ると、既に一人の女性の姿があった。 「おはようございます。高峰美月です、よろしくお願いします」  こういう場面では先に挨拶をし、相手の警戒心を解く。昔読んだ、自己啓発本にそう書いてあったような気がする。  座っていた女性は、黒髪のショートカットで、眼鏡をかけた女性だった。顔が小さく、座っていてもわかるほど、スタイルがよかった。 「お、おはようございます。赤井美羽(みう)です。よろしくお願いします」  かろうじて挨拶はしてくれたものの、ぶっきらぼうな感じだった。人見知りなのかもしれない……。  お互い席に着くと、タイミングを見計らったかのように、部屋のドアが開いた。 「おはようございます!」  大柄な男性が元気よく入ってきた。 「みなさん、仙善村へようこそ! だいぶこちらの生活には慣れたでしょうか? いい村でしょう。うんうん。あっ、自己紹介忘れてました! ほんとこういうとこだめなんですよねー。えー、私の名前は坂田京平です。よろしくお願いします」  大きいのは体だけではなかった。声まで大きい。何を言いたいのか、全くわからない。今、来たばかりだというのに、既に青いシャツが汗で濡れている。一瞬で私は苦手認定をした。 「それではまず、自己紹介をしてもらおうかな。じゃ、右のあなたから!」 「高峰美月です。よろしくお願いします」 「はい! ありがとうございます。美月さんよろしくね!」  馴れ馴れしい……。これは私たちを油断させる戦法なのだろうか。 「それでは、次の方」 「──赤井美羽です。──よろしくお願いします」 「赤井さんも、よろしくね! でも少し元気が足りないかな? 緊張しているのかなー?」 「──いえ、大丈夫です」  彼女も鬱陶しく感じているようだった。しかし、彼はそんなことお構いなしと言った感じで、距離を詰めてくる。どうやらこの人は、人との距離がわからないらしい。 「今日から、一か月間、月曜から金曜の五日間、毎日二時間の講習を行います。講師はその都度変わりますのでよろしくお願いします」  色んな講師が来て、あの手この手で私たちを洗脳させる気か……。 「それでは、さっそく始めていきますね。一日目の講習は、この村についてです。お二人は少し聞いているかもしれませんが、この村は政府から認定されている特別な村です。政府にとってこの村は、現在村長の江口恵子の曾祖父の頃からの付き合いとなります」  江口家が代々、村を牛耳ってきたのか……。 「その方が村長になった時に、当時の官房長官と知り合いだったということもあり、今の関係になりました」  官房長官……。大物だな。 「そして、その官房長官が村長に、一緒に国を守ってほしいと、とても名誉あるお言葉をいただき、お二人もご存じの『善行』が始まりました。この依頼を受けるにあたり、仙善村が政府からの指定を受け、生活の保障が約束されました」  まわりくどいことを言っているが、要するに村長が、お金で動いたということだろう。  すると突然、赤井さんが手を上げた。 「質問があります。その善行とは具体的にどんな事をするのですか?」  いきなり、確信を付く質問だ。 「はい、それでは説明します。善行とは徳を積むをいう意味があるのはご存じかと思います。この村での善行とは、国に、私たちが協力をすることによって、たくさんの人たちを救うことに繋がり、結果、自分たちにも返ってくることを指します。これを私たちは『善行』と呼んでいます。理解していただけましたか?」 「意味はわかりましたが、どんなことをするのか、内容を教えてほしいのですが……」 「具体的な内容は、追々、違う講師が説明することになっていますので、ここでの言及は避けたいと思います」 「──わかりました」  赤井さんは、この間一切表情を変えなかった。まるで無機質なロボットのようだ。しかし、赤井さんもまた、私と同じように家族に説明を求め、結果、曖昧な返答しか返ってこなかったのだろう。知りたい気持ちは痛いほど理解できる。  それにしても、すぐには具体的なことは言わないのか…。それもそのはずだ。善行と言いながら、人を殺めているのだから。でもまさか、私が善行の真相を知っているとは思うまい……。 「あと、一点善行についての注意事項があります。善行について、実際に勉強するまでは見てはいけないということです。しっかり、説明を受け、理解をするまでは、見たり聞いたりしてはいけません。これは、先入観を持つのを防ぐ為です。お二人には、しっかり理解をして、胸を張って善行を行ってほしいのです。万が一、見たり聞いたりしてしまった場合、なんらかの措置がとられることをお忘れなく……」   ──措置。人を殺めることを、正しいと言っているような村が考える『措置』とは、想像するだけでも恐ろしい。しかし、やはりあの時、バレないようにしてよかったんだ。もしバレていたらもうこの場にはいなかったかもしれない。  二時間の講習が終わり、安堵していると、赤井さんが話しかけてきた。 「途中まで一緒に帰りませんか?」  意外な誘いに驚きながらも、仲良くなれるチャンスと、快く快諾した。 「高峰さんは、どこからこの村に?」 「東京です。東京から出たことがなかったので、色々戸惑っています」 「東京から……。それは大変でしたね。私は東北から来ました。住んでいた所はそこまで田舎ではなかったんですが、なぜか村のここの方が栄えていてびっくりしました」 「そうなんですよ! 異様ですよ。充実ぶりは東京と大差ないですよ!」 「本当、異様です……」  赤井さんは、しみじみと言った。私が感じた違和感、間違っていなかった。同じ事を思ってくれていた人がいたと思うと、途端に心強さが出てきた。 「赤井さんは、前職は何をしていたんですか?」 「看護師です。こっちで復職できたらと思ってはいます。高峰さんは?」 「保育士です。私も復職したいです」  こんな普通の会話、ずっとしたかった! 「明日から一か月間、講習だと思うと憂鬱ですね」 「そうですね。でも、少しでも村の事がわかればいいなと思います。納得できないことが多くて……。それに、私と同じように感じてくれている高峰さんがいてくれて少しほっとしています」 「嬉しい! 私もです。なんとか頑張れそうです!」  やはり、赤井さんも私と同じく、村に不信感を抱いているのか。 「一緒にがんばりましょ!」  赤井さんに会えただけでも、講習に来た甲斐があった。    赤井さんと別れたあと、買い物をして帰るため、散歩がてら少し遠回りして行くことにした。  通った道は、車通りが少なく、繁華街からは少し離れた道だった。  繁華街へ向かって歩いていると、白い四角い建物が見えてきた。煙突がついていたり、なんとなく工場だということだけはわかった。しかし、壁一面白く、何も書いていない不思議な建物だった。窓はあるようだが、その窓はマジックミラーになっていて、こちらからは中の様子を伺えない。  その白さはもとより、その一帯に広がる臭いの方が気になった。どこかで嗅いだことのある臭い……。  ──餌だ。餌の臭いだ。うちでも使っている、あの餌の臭い。独特な臭いで、健治が言うには、企業秘密の特別な配合で作られていると言っていた。  そうなると、ここは家畜の餌を作っている工場ということになるのかもしれない。それにしてもこの臭い、いつまで経っても慣れない。  買い物を済ませ家へ帰る途中、ビルに囲まれたこの村で、一番長い横断歩道を歩いているおばあちゃんを見かけた。足が悪そうで、この長い横断歩道を渡り切れるか心配になり、見守っていると、案の定渡りきれず、私は慌てておばあちゃんに駆け寄り補助をした。 「危なかったですね。大丈夫ですか?」 「ありがとう。──この村にもまだ、優しさを持った人がいるんだね」 「えっ?」 「あら? あなた、この村では見ない顔だね。新入りさんかい?」 「はい、三か月くらい前に引っ越してきました」 「そうだったのかい。それは大変だねえ。今の村は変わってしまって……。昔は幸せな村だったのにね……」  おばあちゃんは皮肉めいたゆっくりとした口調でそう言った。そしてもう一度私にお礼を言い、歩いて行ってしまった。  この村の人で、そんなことを思っている人がいるだなんて。てっきり誰もが今の状況に満足をしているかと思っていた。思いもしなかったが、もしかすると、善行にも反対の人がいるのかもしれない。それにしても、あのおばあちゃん、かなりの高齢に見えたけど……。  ──あっ! もしかして、あの人なら、善行をはじめた頃の、村の話を聞けるかもしれない! 追いかけようと走りかけたが、突然そんな話をして、不審がられるに決まっている。それでは、聞けるものも聞けなくなってしまう。栄えているとは言え、小さい村だ。またどこかで会えるだろう。  慌てない方がいいと判断をし、帰宅した。
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