陰徳

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─7─  講習が始まって、十日目の朝。今日は、健治の仕事を手伝ってから家を出た為、少し遅くなってしまい、車で送ってもらった。なんとか間に合い、赤井さんに挨拶をし、席に着いた。  ほどなくして今日の講師が入ってきた。 「おはようございます。はじめまして、村長の江口恵子です。よろしくお願いします。あと、こちらは、厚生労働省の方で、高野信二さんです」  この人が村長……。想像よりずっと若い。二十五歳くらいか……。   村長は、少しふくよかで、たれ目が印象的な優しい雰囲気の女性。髪は低めにひとつでまとめられ、スーツなどではなく、茶色の薄手のセーターに黒いズボンといった、少し地味な服装だった。 「まず、厚生労働省の高野信二さんにお話しをしていただきます。高野さん、よろしくお願いします」 「高峰さん、赤井さん、はじめまして。高野です。私はこの村の相談役として、昨年から担当させていただいています。今日は、お二人に移住のお礼と、この村が国にとってどれだけ重要な役割を担っているかをお話させていただきます」  厚生労働省の人がなぜ直々に講習を……。この人も若く、三十代前半といったところだろうか。 「まず、この村に移住の決断、ありがとうございます。政府からも感謝致します」  ただ結婚して、旦那の実家に引っ越してきただけなのに、まさか国から感謝されるとは思ってもみなかった。 「他の講師の方からも、少し説明があったと思いますが、この村は国にとって非常に重要な村でございます。村の皆さまには、いつもご協力していただいており、感謝しております。この村の皆さまのご協力で、今まで何人もの命が救われております。これからも村の方達と一致団結して善行に取り組んでいただきたいと思っております。またお二人には、この村の一員になったことを誇りに思っていただき、ここでの生活に早く慣れていただき、快適で安全に暮らしていけるよう心より願っております」  ──村民が国民の命を救う……。私が見た善行は、命を奪う行為だった。それがどうなったら国民の命を救うことに繋がるのだろうか。まるで、誰かの命と引き換えに、誰かを救っていると言っているようだ。でもそれでは、救うことにはなっていない……。それに、ここでも話は抽象的で、当たり障りのない言葉でまとめられている。何度もこの講習で話してきたセリフなのだろう。 「ではここで、お二人に見ていただきたい映像があります。今、準備しますの少々お待ちください」  映像? 教材のようなものなのか? 「お待たせいたしました。十分程度のものとなっております。それでは、部屋を暗くします」  どんな映像を見せられるのだろう。善行の様子だったら……。すると、四十代くらいと思われる、ほっそりとした女性と、その隣に娘さんと思われる中学生くらいの子どもが映し出された。 「仙善村のみなさん、私の命を救っていただきありがとうございました。おかげでこんなに元気になりました。本当にありがとうございました」 「お母さんを助けていただきありがとうございました。今では、毎日一緒にお料理をできるまでになり、大変うれしく思っています。これからもたくさんの人を救ってください」  ──いったいこれは。なにを見せられているのだ?  わかることは、村民に命を救われ、感謝していること。あと、この映像を見る限り、家の中で撮影しているようで、白を基調とした綺麗な部屋が映っている。背後に映っている家具からもわかるが、裕福といった感じだ。すると、女性の声でナレーションが入った。 「今、ご覧になっていただいた映像は、都内に住むあるご家族が、村民の皆さんに直接感謝の言葉と伝えたいと、送っていただいた映像です。そして、今映っていたお母さまは、村民のみなさんの善行によって命を救われた方です。これを見てわかるようにみなさんの善行はたくさんの人の命を救っています。本人だけではなく、そのご家族までも幸せにしているのです。次、あなたが善行を行う時はどうか胸を張って、堂々と善行を行ってください」  ここで唐突に映像は切れた。そして、部屋が再び明るくなった。 「今見て頂いたのは、動画内でも説明がありましたが、善行によって幸せを得たご家族です。みなさんが善行を行えば行うほど幸せになる人が増えるのです。お二人も早く善行を行えるように、この講習で理解を深めていってください」  結局、この映像でも善行の内容を教えてはくれなかった。しかし、これを繰り返し、自分たちが人々を助ける英雄だと刷り込ませるつもりなのかもしれない。 「続いて、わたくし村長の江口が少しだけお話させていただきます」  この村長は何を語るのか……。 「私は、江口家、四代目の村長をさせていただいております。昨年父からかわりまして、二十六歳で村長となりました。この村が国から依頼を受けまして、国を支えるようになってから、だいぶ年月が経ちました。紆余曲折しながら今のように栄え裕福な村へと成長を遂げました。私の役目として考えていますのは、村民の皆さまの心の幸せを考えていきたいとお思っています。見せかけではなく、心から幸せを感じられるようにお手伝いできたらと思っています」  見せかけの幸福……。 「みなさんにも、故郷があると思います。ですから、ここを第二の故郷と思ってもらえるよう、暮らしやすい村にすることが私の使命だと思っています。よろしくお願いします」  今までの流れから言って、故郷など忘れろと言われるのかと思っていた。この村長は意外にも物腰が柔らかな人なのかもしれない。  ──影が動いたような気がして、赤井さんの方を見る。すると、赤井さんが手をあげていた。 「赤井さんどうぞ」 「村長は、善行をやったことがあるのですか?」  善行の内容を知っている者としては、この質問は非常に興味をそそられる。 「私はありません。善行はランダムに選ばれるものですから、私はまだ当たっていません」  やはりか。あんな汚れ仕事、普通なら誰もやりたくなどないはずだ。しかし、村民は平然とやってのける。怖くて封筒の中身は見てはいないが、案外洗脳でもなんでもなく、報酬金額に目が眩みやっている人が大半なのかもしれない。それに、一度やってしまうと、二度も三度も変わらないのだろう。 「ランダムなんですね。──わかりました、村長」  赤井さんは少し含みをもたせたような、ものの言い方だった。このあと、私たちについての軽い質問をされ、講習は終了した。 「何か、わからないことなどありましたら、いつでもいらしてください。だいたい役場にいますから」  臨戦態勢で挑んだ講習で、肩透かしにあったようだった。柔らかな口調で威圧感などは全くなかった。何より、こちらに寄り添う感じが見受けられたのだ。この村に来て、はじめての事かもしれない。なぜか、信用できそう……。  ハッとした。私は何を考えていたんだ。これが戦略なのかもしれない。危ないところだった。あの柔らかな雰囲気にすっかり騙されていた。危険だ。 「美月さん、今日も一緒に帰りませんか?」 「はい、もちろんです!」  帰る支度をし、部屋をあとにした。  外へ出ると、太陽が出ていたはずが、すっかり厚い雲に太陽が覆われ、うす暗くなっていた。 「今日の講習、とうとう村長が来ましたね」 「そうですね。思っていたより、ずっと若くてびっくりでしたけど……」 「ほんと、若くてびっくりしましたよ。しかも私なんて、ちょっと優しそうでいい人そうだなって思っちゃいましたよ。騙されるところだったー」 「騙されるって」  赤井さんは私の言葉を聞いて、クスっと笑った。 「考えてたんですけど、村長の曾祖父って今何歳くらいなんだろって。もしかしたら生きたりするのかなって……」 「私もちょっと気になって、旦那に聞いたらもうだいぶ前に亡くなってるって言ってましたよ」 「そうなのかあ。ちょっと見てみたい気もしたんですけど。──あっ! そういえば、この間、あの大きな交差点の所で、結構年配のおばあちゃんを助けたんですよ。それで、そのあと少し話したら、今の村のことをあんまり良く思っていないような口ぶりだったんです! 正直驚きましたよ。みんなが満足して暮らしているもんだと思っていたから。もしかして、案外反対派とかいたりしてって……」  つい、この間の事を話してしまった。 「そんなことがあったんですね。──確かに、反対派がいたっておかしくないですよ。特に、村が変貌を遂げる前から住んでる人なら。変化を嫌う人もいますからね。──あと、これは今度ゆっくりお話ししたいことなんですけど……」  赤井さんは、そう言うと周りを見回した。 「実は私……善行の事わかったかもしれないんです」  赤井さんは私に近寄り、小声で続けた。 「──見たかもしれなんです!」  まさか、赤井さんも見ていたなんて……。 「ここからは長くなるので、明日の講習の帰り、詳しく話します。明日、時間作れますか?」 「もちろんです! 早く聞きたいです。それに…、私も善行ついて話したいことがあったので」 「よかった。じゃ、明日は情報交換会としましょ。このことはお互い旦那には内緒ということでいいですか?」 「もちろん!」 「じゃ、私これから用事あるのでここで。明日楽しみにしてます!」  それにしても、赤井さんが善行を目撃していたなんて予想外の展開だ。  しかし、合点がいった。今までの講師に対しての質問も、目撃していたからこそ、真相を聞きたかったんだ。でも……、攻めすぎているような気がして少し心配な気もするが……。  とにかく、共有することは大切だ。明日が待ち遠しい。
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