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─8─
次の日、講習に行く準備をしていると、健治が、話があると言ってきた。善行の一件から、健治への不信感が強まり、会話が減っていた。そのことについて何か言われるのかと、つい身構える。
「何? もうすぐ講習なんだけど」
「わかってる」
健治は少し緊張しているようだった。
「俺たち、結婚してから三年経つだろ? それで、そろそろ……子ども欲しいなって」
うん? 今なんて? 子どもって言った?
「えっ、今、子ども欲しいって言った?」
私は意表を突く言葉に動揺し、思わず聞き返した。
「ああ、二人の子どもが欲しい……です」
健治の顔は、今にも火が噴きそうなほど、真っ赤だった。
「もちろん、私も同じ気持ちよ!」
素直に嬉しかった。二人の子どものことを考えてくれていたなんて、思いもしていなかった……。ここに引っ越してきてから、二人の仲はお世辞にも良いとは言えなかったし、夜も別々で寝たり、そんな雰囲気などもなく、半ば子どもは無理かもしれないとあきらめかけていたのだ。
「そう言ってくれて嬉しいよ。この村は子育てへの支援も充実しているし、安心して子育てできると思うんだ。お金にも困らないし……」
また村の事……。健治はこの村に心酔しきっている。せっかくの嬉しい気持ちが萎えてしまう。
しかし、正直なところ、子育てには非常にお金がかかる、外部から人が来ないとなると、悔しいがここなら確かに安心かもしれない……。
「確かにそうね。とりあえず、講習の時間だから続きは帰ってきてからでもいい?」
「わかったよ。気を付けてな」
村への不信感が消えた訳ではないが、嬉しさで少し薄れたのは事実だ。そう言えば、赤井さんって子どものことをどう思っているんだろうか。それも今日聞いてみよう。なんか同期みたいになんでも話せる人がいるって嬉しい。
赤井さんがいてくれて本当によかった……。
気分よく、研修センターへ向かった。
「おはようございます!」
弾んだ声で挨拶をしながら扉を開けた。
「あれ? まだ来てないのかな?」
いつもは、先に来ているはずの赤井さんがいなかった。おかしく思いながらも、さほど気にはせず、赤井さんを待った。
──時計を見る「遅いな……。もう講師が来ちゃうよ」
「おはようございます」
講師が来てしまった。
「えー、赤井さんは、本日体調不良でお休みとのことです」
体調不良? 昨日あんなに元気だったし、今日は大事な情報交換の日なのに……。どうしたんだろ。
「今日の講習は、村でのルールについてお話をしていきたいと思います」
講師は、赤井さんの休みのことは無かったかのように、淡々と話を進めていく。
今日の講習はルールか。注意事項だのルールだの、縛りが多い村だな。
「引っ越してきた時に、役場で少しお話を聞いたと思います。今回はそれに加えて、もう一つお話をします」
役場では確か、村の外へ出る時は申請が必要だとか、インターネットの投稿について話しを聞いた。
「今から話すことは、そのルールを守れなかったときの罰則と、それを見た時の報告の仕方について説明します」
罰則と報告……。急に恐い話になってきた。
「まず、ご自分がルールを守れなかった時の罰則についてです。ルールを破ったことをご自分で申請した場合、役場が指定している施設で禊生活を一週間していただきます。これは故意的でなくても同様です」
禊って……。
「そして、申告せず隠蔽した場合、一か月間の禊生活をしていただきます。これは先ほどの施設より、より劣悪な環境であり、厳しい内容となります。なぜこれほどまでにと思われるかもれませんが、村の治安を守り安全に暮らしていけるように……。そして、政府からの依頼を受け、国民を支えているということは、絶対に外部へ漏れてはいけないのです。なぜなら、私たちは縁の下の力もちなのですから、表立ってはいけないのです。ですから、このように厳しいルールを設け、村を、村民を守り、安全を最優先しているのです」
もし、善行が外へ漏れれば大変なことになる。それには厳しい罰則と金を握らせ、村民を操作する……。飴と鞭ということか。しかし、禊とはどんな内容なのだろうか。
「すいません、禊ってどんなものなんですか?」
「ここでは、禊の内容は言えないんです。それに、実際に禊をされた方が公言をすることも許されていません。ただ……、再犯率はゼロとだけお伝えしておきます」
再犯率ゼロ……。二度とルールを破らないようにさせる為、余程の恐怖を植え付けるのだろう。いや、それとも、生きて帰って来られないから再犯率ゼロなのかもしれないが……。
「続きまして、ルールを破った方を発見した時の報告義務についてお話させていただきます。報告していただいた方にはお礼をお渡ししています。そして見つけたのにも関わらず、報告義務を怠った場合、隠蔽とみなし、禊生活をしていただきます。村の治安を守る為に、みんなで見守って行こうといいうことです」
違う。これは見張りだ。そして、お礼はきっと金だろう。しかしこれでは、誰も信用できなくなってしまう。でもこれが狙いだ。村民同士が団結し、反乱を起こすことができない。まるで恐怖政治のようだ……。
「美月さん、この村でのルールなどお分かりいただけたでしょうか?」
「──はい、わかりました」
こう言うしかない、今は……。
「それでは、最後に新しく届いた映像を見ていただきます」
映像……。また、お礼を言われる怪しい動画。そして、部屋が暗くなった。
「仙善村のみなさん、ありがとうございました。こんなに元気です。一年前が嘘のようです。これで無事に結婚式が挙げられます。本当にありがとうございました」
今日の人物は、三十代前半くらいの綺麗な女性。幸せがこちらにも伝わってくる。昨日と同様に元気になったことを報告してくれているらしい。そして昨日と同じナレーションで締めくくられた。
「はい、お疲れ様でした。幸せそうで本当によかったですね。私たちの苦労が報われます」
だから、何を見せられているのだ。それについては講師も誰も触れることはない。ただこの村のおかげで、誰かが元気になり幸せになる。元気で幸せになるのはもちろんいい事ではあるが……。
「それでは今日の講習はこれで終わります。お疲れ様でした」
今日の講習は、村の黒い部分が少し聞けた気がする。こうやって小出しにしていくのだろか。こんな日に赤井さんがいないなんてもったいない! 明日教えてあげよう。
帰宅中、見張り合いの事を思い返していた。さっき、反乱する者はいないと思ったが、今まで一度もいなかったのだろうか。今でこそこのシステムが確立していて騒ぎ立てる者はいないだろうが、村が変わりだした当時ならいたかもしれない。ますます、交差点で出会ったおばあちゃんに話を聞きたくなってきた。
「ただいま」
「おかえり。講習どうだった?」
私が帰ると健治は決まって講習の話を聞きたがる。
「今日はね、ルールを破ったら恐ろしいことをするって話を聞いてきた」
正直に感じた通りに言った。
「恐ろしいことをするって……。なんか嫌味っぽいな」
嫌味っぽい? 健治は心酔しているから、村に対してフィルターがかかっている。フィルターのかかっていない正常な目で見ればこの村の異常性がわかるし、正常な耳で聞けば、今日の話はそう理解するだろう。
「健治って、ルールを破ったことある?」
「ある訳ないだろ。そんなことしたら家族に迷惑かかるだろう」
「そんなに、罰則って大変なことなの?」
「俺にもわからないよ……」
「あ、あとね、赤井さんがお休みだったの。体調不良だってさ。昨日まではあんなに元気だったのに、なんか変よね」
「風邪でも引いたんだろ。明日にはきっと来るよ」
そうだよね。健治もそう言っているし、大丈夫だよね……。
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